プロローグ
プロローグ
最初は信じられなかった。
ある休日に、海外赴任した両親が列車事故に遭い、生死が分からなくなってしまったと連絡が届いた。それは両親が海外赴任してわずか五日後のことだった。
その後警察が来て、現地の被害状況を聞き、ああマジなんだと、まるで他人事のように理解していた。
そんな現実を受け止める暇も無く、遺体の無い両親の葬式が始まり、終わるのもあっという間だったのを覚えている。列車事故が盛大過ぎて、現地の調査班も諦めたらしい。それで、この事故なんだから生存者はいないだろう……だってさ。だから両親の遺体も無いのだ。
「おにー……たん……ここり……ねむいのん」
「ん、じゃあ俺が抱っこしてやるから寝てていいぞ?」
三女はまだ幼く、父さんと母さんがもう戻って来ないとは知らない。というか、三女には仕事だよと嘘を吐いた。だって言えるわけないだろ? 一番甘えたい年頃なのに……両親が死にましたなんて……。もう……会えないんだよって……。
小学生の次女と中学生の長女は、もう人の死を理解できる年齢だ。
俺に泣き付き、葬式でも通夜でも俺のことを離さなかった。俺は……泣かなかった。泣いちゃイケないと思っていた。
『両親が亡くなったのに泣かないなんて、しっかりしたお兄ちゃんね』
親戚の同情とも慰めとも取れる言葉に、俺は曖昧な返事しか出来なかった。
俺が泣くと妹達はどう思う?
更に悲しむだろうし、なにより弱い自分を見せたくなかった。
俺が泣いたら両親は戻って来るのか?
だったら泣いてやるよ、体中の水分が無くなるまで泣いてやるよ。
しかし現実は厳しい。
一通り悲しんだ親戚達は、俺を含めた子供達をどうするか? との議題に変わっていた。
長女は全寮制の中学に転校させるか? とか。
ウチは年頃の男子がいるから……とか。
三女一人ならなんとか……とか。
自分自身のご都合で話が進められている。
俺達兄妹のことなんて一切考えていない。ある意味他人だから言えることなんだろうな。
そんなとき、俺のところに三十代前半の女性がやって来た。この人は確か……知らないな。多分親戚の人だろう。
『ねえ庵君。庵君は誰と一緒に暮らしたいかな?』
「俺? 俺は…………」
集まっている親戚に目をやるが、誰一人俺と目を合わせてはくれない。そりゃそうだろうな、見てくれ不良っぽい俺を引き取ってくれる物好きな親戚がいるわけない。はは、嫌われてんな……俺。
ふとその時、長女の優理が俺の服を引っ張った。
目にたっぷりの涙を浮かべ、唇を噛み締めながら首を横に振った。
次女の愛理も同じだ。俺に抱き付き、必死に俺を押さえている。
三女の心理は……どうやら寝てしまったらしい。可愛い寝顔だ。
安心しろ、俺はどこにも行かない。ずっとずっとお前達と一緒だから。
妹達を強く抱き締め、目も合わせてくれない薄情な親戚一同に向かって、俺は高らかに宣言する。
「俺はコイツ等と一緒に暮らす! アンタ等のところに行かせるなら俺が育てる!」
親戚一同に、緊張とどよめきが生まれた。
『い、庵君? それは……無理なんじゃないかな?』
「なんでだ?」
『なんでって……君はまだ高校生なのよ? 育てられるわけないわ。だからそんなバカな事言わないで、ここに居る親戚の人達に任せなさい?』
「――――すんのかよ」
『え?』
「父さんと母さんが死んで……四人になった俺達を……更にバラバラにすんのかよって聞いてんだよ!」
『そ、それは……』
俺の鬼気迫る迫力に、女性の親戚は言葉を失ってしまったようだ。
「だから俺が育てる! これ以上家族を失うわけにはいかないんだよ!」
『庵君』
部屋に響のは老人の声。立派な髭を生やし、ドンと腰を据えている厳格な雰囲気のお爺さん。そして、この人が口を開いた瞬間、先程までどよめいていた親戚も、この人から発せられる言葉を待っている。どうやら、親戚の中でも権力を持った人物のようだ。
『君はまだ高校生だろ? 一体どうやって育てるんだ? 金はあるのか?』
「バイトします。それに、父さんと母さんの保険金もあります」
『勉学はどうするんだ?』
「必ず両立させます。両立させる自信があります」
『君は家事とか出来るのかね?』
「覚えます。覚えてみせます」
『…………ふむ』
腕を組み、お爺さんは短く唸った。
『ワシ達も君達兄妹をバラバラにはしたくない。だが、コチラにも事情というものがある。それはわかるな?』
「………………」
『わかるな?』
一時の激情に、身を任せた俺のことを論すような口調。
急に現実を押し付けられた気がした。
確かに俺はまだ高校生だ。バイトと言っても、一日中働くわけにもいかない。それに、いつ母さん達の保険金が底を付くかも分からない。来年から優理は高校生。愛理は中学生。心理も小学生に上がる。それに、来年は俺も受験や就活をしなければならない。やっぱり、バラバラになるしかないのか?
俺の腕の中で不安そうに震える妹達に、これ以上過酷な現実を突き付けて良いのだろうか? それが、妹達の為になるのだろうか?
「……ねえよな」
答えなんて既に出てるじゃないか。
「妹達の為になるわけねえよな」
『……なにを言っているんだ?』
「すんません。やっぱり俺はコイツ等と一緒にいたいです」
「おにぃ……」
切なげに顔を上げ優理に、俺は優しく頬笑み、頭を撫でる。
「安心しろ、ずっと一緒だから、な?」
「おに……お兄ちゃぁああん!」
安心したのか、優理から大粒の涙が溢れ出た。
愛理も大粒の涙を流し、俺の腕の中でわんわんと泣いている。
心理は……まあ寝てるわな。でも笑顔だ。きっと良い夢を見ているに違いない。
『……まるで悪役じゃな』
お爺さんは溜息を吐いた。
「すいません。皆さんの言い分もわかります。ですけど、俺はコイツ等と一緒にいたいし、コイツ等も俺と一緒にいたいんです。それだけは……わかってください」
『……三人も育てるのは楽じゃないぞ? 君にその覚悟はあるのか?』
「あります」
『ふむ……』
お爺さんは髭に手をやり、再度溜息を吐いた。
『わかった。君の好きにしなさい』
『ちょっとお爺さん』
『もういい。これ以上の話し合いは無意味だ。帰りなさい』
お爺さんがそう言うので、俺は心理を背負い、腰を上げる。
「それじゃあ行こうか?」
二人の妹に笑顔を向けると、二人は俺の腕にしがみついてきた。
この温もりがとても嬉しい。家族と言う温かさを感じる。
『庵君』
去り際、お爺さんが口を開いた。
『君は三人の人生を背負うんだ。途中で投げ出すことはできんぞ?』
「わかってます。それも覚悟の上です」
『そうか』
お爺さんは俺に歩み寄ると、俺の頭にポンと手を置いた。
『色々苦しい時がくるかもしれない。その時は遠慮なく頼りなさい』
「お爺さん……」
『頑張りなさい。ワシから言うことはそれだけじゃ』
「……ありがとう……ございます!」
俺は思わず頭を下げた。
『うむ、もう行きなさい。優理ちゃん達が待っているぞ?』
「はい!」
部屋を出て、妹達が待っている玄関に足を運ぶ。
両親の別れは辛い。泣けるなら泣きたかった。でも俺は泣かない。泣いちゃイケない。だって俺はコイツ等のお兄ちゃんだから……。
「うし、じゃー帰ろうか? 俺達の家に」
これが高校二年に上がったばかりの、春の出来事だ。