第六部
「わたし犯人わかっちゃいました」
5人の会員が部室にもどったのは下校時刻ギリギリの、空がうっすらと夜の闇に染まりはじめるころだった。夏の夜はみじかい。だけど雨雲におおわれた空は昼間からずっと薄暗くて、時間の移ろいを忘れてしまいそうになる。
咲が気をきかせて買ってきた缶ジュースを飲みながら、簡単に調べてきたことをホワイトボードにまとめていく。まるでサスペンスドラマの刑事たちがやっていることみたいだと、神崎は喜んでいた。
ひととおりの報告が終わり、ホワイトボードがいくつもの丸で囲まれた情報で埋まると、下校時刻をしらせるチャイムが流れた。
最近ではここまで遅くなることがなかったので、咲にとっては初めての最終チャイムである。
つまらない校歌をピアノの音にのせて放送しているだけなのに、なぜか楽しく思えてくる。これが青春なのか、とすこしばかり感動した。
「今日の部活はここまでにして、もう帰りましょう。続きはまた明日ということで」
会長があちこち擦り切れている学生鞄を肩にかけながら言った。
「えー、もうちょっとやりましょうよ」
神崎が口をとがらせる。
「これからが謎解きの面白いところじゃないですか」
「だからこそ先延ばしにするんじゃない。サスペンスドラマでいえば『あなたが犯人ですね』と言ってCMに入るべきところよ」
と会長が諭して、しぶしぶ帰り支度をはじめる。野球部のころはもっと遅くまで残って練習していたものだ。まあ、ほとんど強制的に練習させられていたというのもあるけど。
「あたしも副会長といっしょに行動して疲れちゃいました。おかげで今晩はすぐに眠れそうです」
「それは皮肉か、それとも嫌味か」
「やだなぁ、どっちもですよ」
というような咲たちのやりとりは、結衣の耳には届いていなかった。
真剣な表情をしてホワイトボードを凝視している新入部員の様子に気づいた会長が声をかける。
「どしたの結衣ちゃん?」
「あの、風邪の原因だけなんですけど――」
結衣はしばらく笑うべきかどうか迷ったあげくに、
「わたし犯人わかっちゃいました」
と控えめに微笑した。
聞きたいことは山ほどあったのだが、すこしくらいは自分で考える時間もほしいということで、その日の部活は解散になった。推理小説だって主人公の探偵が一方的に種明かしをしたのではつまらない。
だけど結衣があっけなく謎を解いてしまった以上、その推理を聞いてみたいのもまた事実で、残念なようなほっとしたような不思議な気分だった。
暗くなった雨のなかでも、副会長の歩幅はかわらず大きい。
黄色の傘をさしながらその先を歩くのは会長で、うしろにいる副会長に追い抜かれまいとやや小走りで足を動かしていた。
結衣や神崎たちとは帰る方向が違うので校門を出てすぐにわかれた。
幼馴染というだけあってふたりの家は近く、道路をはさんで向かい側に建っている。だから幼稚園から高校までずっと同じ場所に通うことになったのだ。
雨のせいか人影のない道を歩いていると、街を照らすはずの電燈さえ寂しげに思えてくる。そんなときにちらりと後ろを振り返ると、いつだってひょろひょろした幼馴染がいる。
「ねえ健輔」
「なんだ」
「結衣ちゃんのこと、どう思う」
「いい新入部員だな。素直で言うこともきくし、なにより口が悪くない」
副会長がこたえる。
コンクリートの上に溜まった水たまりをふみつけると、花火みたいに水しぶきがはじけた。
「ほかには?」
「びっくりするぐらい推理力がある。みなみが褒めるんだからすごいとは思っていたが、まさかここまでとは予想もしていなかったな。白谷さんがいれば、これからの同好会もうんと楽しくなる」
「部長のうちが負けてはいられないわよね」
その言葉は、雨滴が傘をたたいて落ちる音にもさえぎられることなく副会長に届いた。
「よし。呪いのほうの犯人はうちらで見つけよう」
なにかふっ切れたように笑うと、会長はスカートをひるがえしながらバレエダンサーみたいに一回転した。あやうくその下にあるものが見えそうになって、副会長はとっさに視線をあらぬ方向へやったのだった。
まるで意地悪しているみたいにゆっくり時を刻んでいた時計が授業の終わりを告げ、解放のチャイムが鳴りひびくと教師が出て行くのよりもはやく会長が教室をあとにした。
廊下は走るななんて標語は気にも留めない。
一直線に職員室にかけこむと、部室の鍵をなかば盗賊団のような勢いでさらっていく。そのまま世界陸上にも出場できそうなスピードで階段をかけ上り、雑然とした廊下の奥にある探偵同好会と書かれたプレートのさがった鍵穴に鍵をさしこむと、ようやく一息ついた。
いつもなら購買部で菓子パンやジュースをゆっくり吟味している時間だが、今日ばかりはクリスマスプレゼントを目の前にした子供みたいに部活が待ちきれない。
それは会長に限ったことではなかったようで、他の会員たちも授業が終わるとすぐ部室にやって来た。そして、いつもの調子で結衣がのんびり探偵同好会のドアを開けるころには、目をキラキラ輝かせた4人が座っていた。
「――さて」
結衣が人差し指をたてて話しはじめる。
合唱部にいたというだけあって、水晶のように透きとおる声をしている。聞いていて心地の良い声だった。
結衣のうしろにあるホワイトボードには黒マジックでところ狭しと書かれた文字が整列している。昨日から手は加えられていない、そのままにされた情報だ。
「なぜ野球部ばかりに、そしてこの湿気の多い梅雨どきに風邪がはやっているのか。その謎を解く決定的な手掛かりになったのは副会長と咲先輩のはなしでした」
わずかに口元をほころばせる副会長。
「一昨年にも小規模ながら同じ状況が起こっている。そして去年にはまったくならなかった。この時期ですから考えられる要因はやはり雨でしょう。空梅雨だった去年とは違って、今年はほとんど晴れる日がありません。ぬかるんだグラウンドでは練習できず必然的に野球部は部室で筋トレということになります」
あの匂いを思い出したのか会長がすこし顔をしかめる。
咲はホワイトボードの前を左右に往復しながらつづけた。
「それこそが原因です。屋内にこもって練習していたのでは、練習道具もユニフォームくらいしか使わないでしょう。もちろんボール磨きをするようなこともない」
「それとどういう関係があるんだ」
神崎が半分面白がって聞いた。探偵の推理には茶々が必要なのだと勉強してきたのだ。
「だから掃除をすることもなかったんです。雨が降っていては換気のために窓を開けることすらしなかったでしょう。それに加えて動かされることのない道具たち。すべてが悪い方向へ向かっています」
「あ、うちもわかった」
「僕もだ」
途中で会長と副会長がうれしそうな声をあげる。それでも神崎と咲はまだ気がついていないみたいなので、ネタばらしはしない。
手品の最中に横からトリックを明かされてしまうことほど無粋なものはないから。
「答えはそう――カビです」
ああそうか、と咲が納得した表情をするが神崎はまだしっくりこないようだった。
おずおずと手をあげて結衣に尋ねる。
「どうしてカビが風邪につながるんですか?」
「症状は風邪に似ていますが、おそらく軽い気管支炎になっていたのでしょう。軽度のものですから、数日も家で休んでいればなおってしまう程度の。部室で感染しているわけですから、マスクが意味をなさないのも当たり前です。部活中にはもちろんマスクをはずしていますからね」
「だから去年は起こらなかったのか……雨が降らず、屋内で練習することもなく、カビも生えることがなかったから」
感嘆した神崎の声。
「そうです。それに加えてマネージャーがいなかったことも災いしたでしょう。せめて誰か定期的に掃除してくれる人がいれば、カビが蔓延することもなかったはずです。汗臭いのが当然となってしまった場所ではだれもカビの匂いなんて気にしませんから」
「なるほど……」
神崎はしきりにうなずいている。
その横では咲が無表情で宙を見つめていた。
「おーい、咲ちゃん」
心配に思った会長が声をかける。
すると我に返ったように咲の視線がもどった。
「あ――、ちょっとびっくりしてました。あまりにも鮮やかだったもので……」
「うちも愕然とするくらい素晴らしい推理だったよ、結衣ちゃん」
「ありがとうございます。会長」
「うちは会長じゃなくて部長だからね」
「はい」
屈託のない笑顔で返事をされると、訂正する気もうせてしまう。
それからしばらくはみな気が抜けたみたいにぼんやり座りこんでいたのだが、定時を告げるチャイムが鳴ると、魂がもどったみたいに時間が進み出した。
会長が気合いを入れ直すためにトイレで顔を洗ってから、ホワイトボードをひっくり返して新たに文字を記入する。
「呪いの元凶が解決したいま、うちらの調査は呪いを作りだした人間のほうにコンバートする。だれが、なぜ、呪いなどといううわさを流したのか。今度はそっちを調べなくちゃね」
「そうですね」
咲があいづちを打った。
「今度はあたしたちの出番です」
こんなところで書くのは無粋かもしれませんが、ひとつ質問です。
この小説、視点移動が多すぎますかね?
いちおう結衣を中心にしているつもりですが、他のキャラクターだけのシーンとか、それ以外にもところどころ他キャラの心理描写とかあると感情移入しにくいのでは――という話を見かけまして。
そういえばこの小説にも当てはまるのでは……と思ったのです。
もし読みにくい、ここを直したらいいなどのアドバイスがあったらどうぞ遠慮なく教えてください。
お願いします。