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第四部

「とりあえず、なぜ野球部にだけ風邪が流行しているのか、それを調べなければいけない。探偵の基本は聞き込みから――というわけで、さっそく行こうかしら」

「会長、なにをどういうふうに聞きこめばいいのかさっぱりわからないんですけど」

 神崎が質問する。

「誠くんの好きな2時間サスペンスの刑事のようにねちっこく尋問すればいいのよ」

 会長がびしっと指をさして答える。

「じゃあ手帳が必要ですよね! おれ買ってきます」

 はつらつとした口調で、とてもうれしそうに駆けだそうとする神崎の襟首を副会長がむんずとつかんだ。

「行かんでいい」

「えー」

 気分がでないだとか、メモができないだとか散々ごねていたのだが、咲に「経費では落ちませんからね」と諭されてようやくあきらめたみたいだった。

「5人じゃさすがに多すぎるから、結衣ちゃんと誠くんはうちと一緒に。健輔と咲ちゃんは別行動でよろしくね」

「なんであたしが副会長と一緒なんですか? 男同士でなかよく調査させればいいじゃないですか」

 咲が口をとがらせて不満をならべたてる。

「天才とはいえまだ学校に慣れていない結衣ちゃんと完全初心者の誠くんの面倒をうちがみて、頼りない健輔としっかり者の咲ちゃんをペアにする――我ながら素晴らしい采配だと思うんだけど?」

 平然と説明する会長。

「完全に貧乏くじじゃないですか」

「本人の目の前でそんなことを……」

 こんなメンバーで大丈夫だろうか、と結衣は心配になった。なんだかコンビネーションがばらばらだ。

 そんなことを露ほども気にする様子もなく、会長は部室のドアを開けて階段の踊り場に飛びおりた。

「誠くんの携帯でいま学校を休んでいる人たちに連絡取れるかな?」

 旧校舎をでて本校舎にむかう道のりで会長がそういった。

「できますよ」

「メアド知ってる範囲でいいから変わったことはないか、病気の原因は何だと思うかって聞いといてくれる?」

「了解です」

 さっそくシルバーの携帯電話をズボンのポケットから取り出し、手慣れた様子でメールを作成する。本来なら学校で携帯電話を使うのは禁止されているのだが、意味もなく廊下を徘徊するほど教師は暇ではないのだ。

 見つからなければどうということはない――ただ、見つかると没収されてしまうのだけど。

「さてと。結衣ちゃんはなにか調べたいことはあるのかな」

 会長がやさしく問う。

「――野球部はいま筋トレをしているって聞いたんですけど……」

「それ本当、誠くん?」

「いや……あまりこの時期に筋トレをしていた覚えはないですね。去年は空梅雨だったせいか、普通にグラウンドで練習をしていたと思います。あ、ただ雨の日は野球部の部室にこもってみんなで筋トレでした」

 野球部の元エースピッチャーがメールを打ちながら答える。

 ひじの怪我で野球人生を絶たれた神崎は、結衣が連れて来られたすこし前に探偵同好会に入会したという。だから、野球部のことに関しては結衣たちよりもずっと詳しい。

「それで、その人たちは腹筋が9つに割れてきたって……」

「それはない」

 会長がきっぱりと否定した。

 メールはすぐに返信されてきた。きっと風邪で寝込んでいるとはいえ暇を持て余しているのだろう。テスト直前でもなければ高校生は勉強なんてしないのだ。

 学校のない日なんて退屈なだけなのである。

 会長と結衣が、神崎の携帯の画面をのぞきこむ。本文は絵文字もなにもない簡素な文章だった。

「ハートマークとかつけないの?」

「会長はなにを期待してるんですか――。男同士のメールなんてこんなもんです」

「ふうん」

 メールの内容をまとめると、いつものハードな練習ではなく筋トレばかりだからたいして疲労はしておらず、とくに風邪の原因となるようなことも見当たらないということだった。

 ただ梅雨がはじまってから一週間ほどして部員のなかで風邪が流行し出したらしい。それからというもの次々に部員が倒れていくので、マスクをつけろと厳命されたとか。

「マスクの着用が義務付けられているのに感染――か。まあ部活やってる最中は外すでしょうし、あまり効果はないかもね」

 会長がつぶやく。

 これだけの情報ではなかなからちが明きそうにない。風邪をひいた本人たちに心当たりがないというのだから原因はきっと意外なところに隠れているのだろう。

 ここで考えていても仕方がない。あの匂いにはうんざりするが、野球部の部室を見ないわけにはいかないのだ。

「誠くん、結衣ちゃん、野球部の練習を見学するよ」

 会長はそういうと、大きなため息をつきながら小雨の降るグラウンドの方へ足を向けた。

 おとといからやむ気配を見せずに降り続いている長雨のせいでグラウンドの土はぬかるんでいた。気を抜くと、すべりやすいローファーに体を持って行かれそうになる。

 こんな泥まみれのなかで転んだら一大事だ。

 ズボンやスカートの裾に泥が跳ねないよう気をつけながらゆっくり歩いて行くと、校舎とは対角線の場所にある野球部の部室が見えてきた。

 どういうわけか野球部が異様な人気をほこる霞が丘高校では、もはや部屋というよりは建物と形容したほうがしっくりくるくらい立派な、専用の部室が用意されている。

 広さはだいたい教室を4つほどつなげたくらい。

 主に内部は2つのスペースにわかれていて1つは着替えやシャワー用、もう片方はバットやユニフォームをしまっておくために使われている。

「あぁ、憂鬱……」

 その野球部の部室の前まで来て、会長がふたたび大きなため息をついた。

「どうして運動部ってあんなに汗臭いのかしら。それさえなければ別にかまわないんだけど、逆にあれが致命傷的な破壊力を持っていると思うの」

「そんなに匂いますかね」

 神崎が首をひねる。

「自分たちで気付いてないの? どうりで平気なわけだ」

 呆れたように肩をすくめる。

 だが、爽やかな雰囲気をまとった神崎ならばたとえ汗をかいていたとしても、オレンジのような柑橘系の甘酸っぱい香りが漂って来るような――。結衣には、そんな気がした。

 神崎がノブをひねって部室のドアを開けると、もわっとした汗と熱気と制汗剤の中途半端にフルーティーな匂いがいっせいに飛び出してきた。せき込みながら膝をつく会長。こころなしか、顔色が悪い。

 結衣も顔をしかめて鼻をつまんだが、神崎は平気な顔をして立っている。

 やはり慣れという要素が強いのだろうか。それとも、男という性別は匂いに鈍感に作られているのかもしれない。

「むり、絶対無理!」

 荒い息をしながら叫ぶ会長。眼には涙も浮かんでいるようだ。

「ほら、行きますよ」

 神崎がそう言って抵抗する会長を羽交い絞めにしながら部室のなかへ引きずり込んでいく。そのあとを、結衣も深呼吸をしてから続いた。

「よお、神崎じゃねえか」

「お久しぶりです先輩」

 1,2,3と大声で号令しながら筋トレに励む部員たちのなかでもひときわ体格のいい、ユニフォームに高木と名前の記された人が声をかけた。

 2年生の神崎に敬語を使われているところを見ると、どうやら3年生らしい。上下関係の厳しい運動部において、頂点に君臨する階級ということだ。

 そのほかの部員たちはちらりと探偵同好会のメンバーに視線をやったが、すぐ練習に戻ってしまった。規則的な動きで腕立て伏せが繰り返されるようすは、まるで機械が動いているみたいだった。

 部屋の壁に取りつけられた棚にはユニフォームやグローブなどがしまわれている。その備品に監視されるようにして、野球部は練習に励んでいた。このさらに奥の部屋に更衣室があるのだ。

「そっちは片倉か、なんの用だ」

 と、顔のあちらこちらにニキビのあとが残る高木が言う。結衣のことは気にも留めていないらしい。

「なにってこの悪臭の根源を破壊しに来たの!」

 そう怒鳴り立ててから会長は静かに口で息をすった。こうするとあまり鼻孔を刺激しなくて済むのだ。

「そうか」

「焼き払ってやるんだから、こんなところ!」

「会長、目的が違ってきてます」

 神崎がいさめるが、羽交い絞めにされた下で会長は手足をばたつかせながら暴れていた。

「すみません、本当はこんなことを言いに来たんじゃないんですけど」

「さっさと済ませてくれよ。こっちも暇じゃないんだ」

「実はわたしたち野球部について調査に来たんです」

「調査? ああ、そういえば探偵同好会とやらがあるんだっけか」

 高木が暴れている会長を眺めながら納得したように言う。

「それで? なにを聞きたいんだ」

「もちろん妙な風邪の流行についてです。最近なにか変ったことはありませんでしたか。たとえば、環境が変わったとか、部屋の模様替えをしたとか」

「……いや、とくには」

 しばらく記憶を探るように考え込んだ高木だったが、力なく首を振りながら答えた。

 この事件の原因は思いもよらないところにひそんでいる。結衣は改めてそう確信した。すこし面白いことになってきた。謎が不可解であればあるほど、探偵の好奇心は燃えあがるのだ。

「それなら呪いのほうに心当たりはありませんか」

「くだらない噂だろ。俺たちに恨みを持った人間が呪いをかけているとか、なんとか」

「そうです。誰かに恨まれるようなことはありましたか」

「探偵が呪いなんかを信じてるようなら、こんな茶番に付き合ってはいられないな。帰ってくれ」

 高木は気分を害したようで、露骨に眉をひそめながら背中を向けた。その背中をキッと睨みつける会長。

「ちょっとあんた、うちのルーキーになんて態度とってんのよ。金属バットで殴ってやろうかしら」

「本人を目の前にして言うセリフじゃないです、会長」

 手を放したら本気で金属バットを片手に追いかけまわしそうな気迫だったので、神崎は両手に込める力をさらに強くする。ここで殺人事件が起こったら犯人は火を見るよりも明らかだ。

「こっちはね、ある程度の根拠があって呪いについての調査もしてんの! あんたのちっぽけな脳みそじゃ思いもつかないようなこと考えてるんだから」

 ふん、と鼻を鳴らして、高木は結衣たちに向き直った。

 その顔にはどこかあきらめたような色が浮かんでいる。

「呪いなんてものは知らないな。運動部のやつらなら多かれ少なかれ野球部に恨みを持っているんじゃないか、グラウンドをほとんど占拠されているわけだし」

「うちも忘れないでよね!」

 会長が犬のようにうなる。

「白谷さん、これで質問は終わり?」

 抵抗する会長をけんめいに抑え込みながら神崎が問う。結衣はもういちど野球部の薄汚れた部室を見まわしてから、ぺこりと頭を下げた。

「では部長、これで失礼します」

 神崎も深々とお辞儀をして、会長を引きずりながら部室のそとへでる。

 生温かい空気が体を包みこんだが、それでも部室のなかよりは幾分か涼しく感じられた。いつの間にかあの悪臭もさして気にならなくなっている。慣れというものは恐ろしい。

「マネージャーっていないんですか」

 ふと思いついた疑問を口に出す。部屋の中はあまりにも散らかっていたし、棚にしまわれていたユニフォームのたたみ方も粗雑で、とてもマネージャーがいるようには思えなかった。

「不思議なことにうちの野球部にはマネージャーがいないんだよね。高校3年間で告白し続けたにもかかわらず彼女ができなかった初代部長が女人厳禁の部活にしたっていう伝説もあるくらいだし」

「……悲惨ですね」

「もしかして、その部長の呪いだったりして」

「まさか」

 乾いた笑い声が、雨のカーテンに吸い込まれていった。


長らく更新期間を開けてしまい申し訳ありません。

これからは少しペースアップしていこうと思います。

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