卒業
霞ヶ丘高校の卒業式は盛大に執り行われた。
校庭を囲むようにして植えられた桜の木は残念ながらまだ花をひらかせてはいなかったが、淡いピンク色のつぼみが枝先に丸まっていた。
堅苦しくネクタイを絞めた卒業生たちは、体育館で開かれた卒業式とお別れの会を終えると、いくらか自由な時間を得る。
それは卒業アルバムの余白のページに寄せ書きをしたり、記念写真をとったり、後輩たちと最後のお別れをするためにつくられた余暇で、短い時間を終えると学校公認の二次会へと移っていく。
二次会では卒業生たちが水入らずで高校生最後の日を惜しみながらカラオケやボーリングなどで盛り上がるのが恒例となっていて、そこに後輩たちが立ちいる隙はない。
つまり、セレモニーのあとのわずかな時間が実質最後のお別れとなるのだ。
吹奏楽部や室内楽部の演奏するクラシックミュージックが学校中に響きわたっている。校舎や校庭のあちこちでは涙を流している生徒や、お互いに肩をたたき合って名残惜しんでいる姿も多い。
旧校舎には同好会の部室で記念写真を撮って行こうという生徒たちであふれかえっている。
3階にある探偵同好会の部室でも、その他多くの同好会と同じように部員たちが集合していた。
埃ひとつない長テーブルの表面には微小な傷がいくつも刻まれている。それらは雑巾でぬぐっても消えないものだった。
テーブルの正面には会長がすわり、副会長と神崎、結衣と咲がその前に向き合うようにして坐っている。開け放された窓から話し声が聞こえてくる。春の色を帯びはじめたやわらかな風が部室に吹き込む。
「さて」と会長がいった。「うちらは卒業なわけだけど。なにかいい残すことはあるかしら?」
「立場が逆だろ」
副会長がたしなめると、会長は素直にそうねと訂正する。
「うちらに伝えたいことはあるかしら?」
部員達を見まわす顔には「あってもらわないと困るのだけど」と書いてある。会長は耳にかかった髪をかきあげて、副会長を見た。
寒がりな副会長ではあるが、今日はコートを着てきてはいない。きちりと首元まであげられた緑色のネクタイは、垂直にブレザーの胸元に消えている。
ひときわ高い視線を隣に座っている神崎に落とす副会長。
「どうだい?」
「あります――ただ、おれから話していいのなら」
ちらりと咲の表情を確認する。小さくうなずきかえす咲。
深呼吸をひとつして、神崎は口を開く。
「いままで一年間だけでしたけど、一緒にいられて楽しかったです。できることなら入学したときから野球部と兼部できていればよかったんですけど、途中参加だったのが残念ですね」
「野球部のエースを勧誘するのにゃ勇気がいたのよ。変にひきこんじゃ恨みを買うことにもなりかねないし、なにより誠くん自身のメンタルのこともあったしね」
「ケガで野球を辞めざるを得なかったときは、そりゃすこし茫然としてましたけど――会長たちが新しい目標を与えてくれたから立ち直れたんです。ありがとうございます」
「いいってものよ。こっちも新しい部員を手に入れられたんだから互い様」
手をヒラヒラと横に振る会長の口元はかすかに歪んでいて。
まんざらでもなさそうな様子を見ながら、神崎が続ける。
「探偵同好会に入ったばかりのころは――いまでもそうかもしれないですけど――おれはまだホームズも知らないような初心者で、推理どころか探偵がなんなのかさえよくわかっていませんでした。ゼロから育ててくれたのが会長と副会長だったんです。文化祭のとき、グラウンドの警備を任されたのがおれすごくうれしかったんです。ようやくちょっとだけ認めてもらえたんだって。怪盗同好会もやっつけましたし、多少は成長したんじゃないかと思います」
「うちらからいわせれば、まだまだひよっこよ。卵にひびが入ったくらいだわ」
「どうでしょうね。それを確かめたかったんじゃないんですか?」
会長と副会長がニヤリと笑う。
神崎はネクタイの位置を微調整してから、おもむろに言葉を発した。
「さて――」
「二度目の推理になってしまうっていうのは探偵としてまだまだな証拠なのかもしれないです。でも、これだけは最初にいわせてください。『児玉咲は犯人ではない』。おれは調査をはじめたとき、児玉を犯人だと決めつけてから証拠を探しました。成り行き上そうせざるをえなかったこともありますが、ときにはプライドを捨てて素直になることも必要だったんだと思います。実はおれ、児玉が犯人じゃないっていう証拠にすぐ気がついたんです。バレンタインデーの日、おれがもらうはずだったチョコレートを会長が取り上げてしまったから、もし本当に児玉が犯人なら会長を狙っていたということになります。犯人としては、チョコレートがすり替わった時点でどうにかして取り返したいところです。それを、自分から渡したということは、無差別事件でない限りありえません」
神崎はたちあがって、部員たちの座るテーブルのまわりを歩きだす。名探偵は推理のさいに、こうして徘徊行動をしなくてはならないというのが会長の持論であり、会則だった。
それからもうひとつ、推理は「さて」から始めなければならないというルールもある。
これは子供のころに読んでいた推理小説シリーズの掟なのだそうだ。
「前回の推理は犯人を特定するという点では間違っていましたが、全部が間違いだったというわけではありませんでした。犯人はどうやっておれに下剤のはいったお菓子を食べさせたのか――チョコレートに混ぜるという方法を使ったのです」
「じゃあ、チョコレートをくれた人だけを調べたのかしら? いちいち誰がなにを渡したかなんて覚えてるとは思えないんだけど」
会長が手をあげて質問する。
「おれがバレンタインデー当日に食べた分だけでいいんです。まあ、誰からもらったなにをどれだけ食べていたかなんて記憶には残っていませんけど。それが犯人の狙いでもあります」
神崎は足を止めてこたえる。
「ねらい、とは?」
副会長がきく。
「容疑者を不特定多数のだれか、というふうに仕立て上げることです。犯人の候補が多ければ多いほど捜査はやりにくい。それと同時に自分の身元を隠す絶好のシチュエーションにもなります」
「それで、とうやって絞り込んだの?」
今度は会長が尋ねる。神崎は会長に微笑みかけた。
「会長がやさしかったからですよ。たぶん、どうにもならないおれを見かねてヒントを出してくれたつもりだったんでしょうけど――正直、それがなければお手上げなところでした」
ふたたび歩きはじめる神崎。
端正な横顔は、部室のなかであってもよく映える。
「バレンタインデーのお菓子は多種多様です。チョコレートは大定番ですけど、ほかにもクッキーやマフィン、マカロンやケーキを作ってくる人もいます。むしろ最近はそちらのほうが多いかもしれません。――そして、トリュフも」
神崎は人差し指を立てる。
「トリュフの作り方はチョコレートのそれとほとんど変わりません。刻んだチョコレートを温めてある生クリームに入れて、かき混ぜてから冷やし、最後にココアなどをまぶして完成です。これなら下剤の成分が変質する危険性もありませんし、食べている途中に味がおかしいと気取られる可能性も低いです」
「なるほどね」
会長が相槌を打つ。
うららかな日差しが差し込むなか、桃色の風が結衣の黒髪をなでていった。
「犯人は、会長ですね」
「……証拠はあるのかしら?」
つとめて無表情でいようとしてはいるのだろうが、会長の口元に浮かんだニヤニヤ笑いは隠し切れていない。副会長が姿勢を変えるために動いて、プラスチックの椅子がきしんだ音を立てる。
神崎は入口の脇に置かれている、お菓子タワーを指さした。バレンタインデー当日よりはかなり低くなっているが、それでもまだ積まれたお菓子の量は充分に多い。
「あれです。会長、塔からお菓子を引き抜いて食べてたんですってね」
「そうよ。腐らせちゃ悪いし、誠くんが来ない間に美味しく頂かせてもらったわ」
「なんかそれが目的だったんじゃないかと思えてきましたけど、違うと信じましょう。ところで会長はどうして他にも下剤のいれられたお菓子が混入してるとは思わなかったんですか? おれが犯人なら、確実性を高めるためにいくつもいれておきます。会長ともあろう人がそんな簡単なことに気づかないはずもない、ましてや副会長まで食べてたっていうんですから完全にグルです。そうですよね?」
「どうしかしらね」
会長がはぐらかす。
副会長は微笑するばかりでなにもいおうとはしない。
「もうひとついわせてもらえば、会長がおれにトリュフを渡すとき、児玉と白谷さんとは別にしていましたよね。男女別、と見せかけて実は目当てのものを間違えないようにするための方法です。副会長には結局あげてませんでしたし」
「ま、そういうことにしておこうかしらね」
会長は肩をすくめてみせる。
一礼してから神崎は副会長のとなりの席にもどった。結衣がぱちぱちと拍手を送る。神崎は照れ臭そうに鼻の頭をかいた。
「さて、次は誰かしら?」
会長がわざとらしく咲のほうを見やる。
ツインテールにした長い髪をなでながら咲はため息をつく。
「もうすこしうまい演技はできないんですか? これじゃあたしも気乗りしませんよ」
「あらら、うちはかなり演技派女優だと思ってたんだけど――ねえ?」
皮肉っぽく笑いかける会長。咲はやれやれといった様子で立ちあがった。結衣から拍手が送られる。
「さて」
今日はすこし長いスカートをひるがえしながら咲が歩きはじめる。さきほど神崎がたどった道筋とおなじルートだ。部室がせまいためにそこをまわるしかないのである。
「あたしのほうはしがない推理になりますが、ご清聴願えると光栄です。あたしの読んでいた本にネタばれのメモがはさまれていたという事件、はたから見れば本当にくだらない事件かもしれませんけどあたしにとっては人生でも有数の重大さを秘めたものでした。推理小説において犯人とトリックを明かすという行為は、死罪に相当します。法で裁けないなら個人的に復讐してもいいくらいです」
咲の口調は穏やかなものだが、メモを見つけたときの怒りがよみがえって来たのか、その裏には強い意志が感じられる。
こぶしを握りしめながら咲はつづける。
「犯人はなぜこんな愚かなことをしでかしたのでしょうか。答えは簡単です。あたしをけしかけるためです。あたしの性格をよく知っている人なら、ネタばらしをされればあたしが激怒するくらいすぐに見当がつくでしょう。ただ、タイミングが絶妙でした。ちょうど神崎へ怒りの矛先が向くように操作されていたのです。おそらくは神崎があたしを犯人呼ばわりしはじめたことから考え付いたトリックなのでしょうが、じつに巧妙でした」
咲はいちど止まると、今度は逆方向に進みはじめた。
「もしあたしがメモなんて気にせずに最後まで本を読み進めていたのなら、この事件は完全な失敗に終わったことでしょう。なぜなら、あのメモはほんの悪戯にすぎなかったのですから」
「犯人だとわかっても、不都合でない人物」
結衣がつぶやく。咲は大きくうなずいた。
「そう。冗談なんだよ、といえばこの事件は解決してしまうのです。だから犯人は安心してトリックを仕掛けることができた。悪戯の犯人は、犯人にはなりません。そもそも事件がなかったことになるのですから」
「それはまた、ずるがしこい犯人ね。日ごろから咲ちゃんに恨みでもあったのかしら」
会長が白々しく独り言を述べながら副会長を一瞥する。そっぽを向く副会長のあたまを、咲の平手が襲った。
「半殺しにしても足りないくらいですけど、せっかくの卒業式に流血は似合いませんからやめておきましょう」
「僕が死んだら、桜の木の根元に埋まって毎年呪ってやる」
「すぐさま燃やしますから構いません。それか復讐する気力も起こらないほど痛めつけるかの二択ですね」
冷たくいい放つ咲。副会長は口を閉ざした。
「悪戯――というのはつまり、ネタばれなんて真っ赤なウソだった。犯人も違えばトリックもまるで見当はずれなものでした。けれどもあたしは最後まで読み進めないとメモが本当なのか嘘なのか判別がつかない。結末だけ確認しようものなら本末転倒です。結局はメモに負けたことになる。犯人との勝負は、ある意味ここにあったのかもしれませんね。あたしが粘り強く自分を信じてラストを迎えるか、真実だけを急いで求めて自爆するか。まあ、あたしの勝ちでしたけど」
咲は結衣のとなりに腰を下ろした。もう推理を続ける気はないらしい。
「犯人はあなたですね――副会長」
「さあね。どうかな」
副会長は相好をくずしている。犯人だといわれたのになんだか嬉しそうな表情だった。
最後に結衣が立ちあがろうとするのを、会長が片手をあげて制した。あげかけた腰を下ろす結衣。
「どうしたんですか?」
「ここらでちょっと昔話をしようと思ってね。結衣ちゃんと誠くんには、あんまり昔のこと話してなかったでしょ。咲ちゃんはそういうことを話すようなキャラじゃないし、ここらでうちが探偵同好会の歴史を伝えておかないと困るからね」
「僕らが入部したときからすでに、探偵同好会は少人数でなんとか成り立っているというような状況だった」
副会長が語りだす。
結衣と神崎は身を乗りだして耳を傾けている。正直なところ、入部以前のことはさっぱり知らなかった。
「僕はみなみにつれられて探偵同好会に入ったわけだけど、最初はオカルト同好会にでも入ろうかと思ってたんだ。背が高かったから運動部にもかなり勧誘されたけど僕には厳しい練習を乗り越えられる根気はないから、どうにかしてどこかの同好会に転がりこもうとしてた。幸いなことに霞ヶ丘高校には大小さまざまな同好会があったからね。そのうちのひとつが探偵同好会」
「うちは結衣ちゃんや誠くんみたいに勧誘されて入ったわけじゃなくて、ポスターを見て探偵同好会しかないと確信したの。昔から推理小説やなんやは好きだったけど、この同好会に行けば事件に出会えるんじゃないかって思ったのよ。名探偵になってみたかったのよね」
「僕も推理というものには興味があったから、まあ、入ってみてもいいかなぐらいの気持ちで参加したんだ。すると案の定――」
「探偵同好会というよりは、推理小説同好会って感じだったわ。先輩が全員咲ちゃんみたいな人だったといえばいいかしら。とにかくミステリマニアばっかり。べつに悪い人たちではなかったけど、探偵ではなかったわ。彼らはただの読者。名探偵の披露する鮮やかな世界に魅了されているだけに過ぎないもの」
副会長の言葉を、会長が引き継いだ。
会長の声には非難したり、軽蔑するような色はない。ただ事実を淡々と述べているという調子だった。
「当然、そんな人々に難事件がふりかかるようなことはなかったわ。事件はそこらじゅうに転がっているかも知れないけど、それを解決する探偵とセットでなければ意味がない。自分から探偵になとうと思わないと、探偵にはなれないわ」
「そうしてあっという間に一年間が過ぎた。それなりに楽しい日々ではあったよ。あそこに並んでいる小説はほとんどが先輩たちの私物だ。僕らのために買ってくれたものもある。古本だったけどね」
「うちらが二年生になると、咲ちゃんが加わった。まあ、とくに変化はなかったわね。何事もなく時間だけが過ぎていったわ。あ、でも、ひとつだけ事件らしい事件があったことにはあったわ。ふつうに謎を解いて、終わっただけのものなんだけど。そのときの快感は半端じゃなかったわね。来年こそは、たくさん事件を解決するんだって決意した」
「二年が終わる直前になって、誠くんがフリーになっていると聞きつけてみなみが勧誘にいったんだ。来年のために活きのいいのがほしいって」
「そんな理由だったんですか」
神崎がじっとりと会長を見る。
「それ以外にないでしょ。野球でいうなればその辺の元気な少年を拾って来たってところね」
「たとえになってません。野球関係ないですし」
「細かいことを気にしてると禿げるわよ。で、誠くんが参加したところで先輩たちがいなくなり、ついにうちらの天下となったわけ」
「そうはいっても当面の問題があってな。部員を集めなければならなかった」
副会長がしみじみと呟く。どうやら相当に苦労したらしかった。
「そんな折に結衣ちゃんのうわさが全校を駆け巡ったのよ。これこそ天啓、とうちは思ったわね。神社におれいの100円玉を放りに行ったくらいだわ」
「ちょっと安すぎやしませんか。逆に神様が怒りそうですけど」
神崎が口を突っ込む。会長は機嫌を損ねたように口をとがらせた。
「無信仰のうちが神様に感謝しただけでも充分なのにお賽銭まで投げいれたんだから、いま死んでも悔いはないってくらいに神様は満足だったと思うわ。そのおかげなのか、この一年は事件のほうから飛び込んできてくれた。個人的には結衣ちゃんが運をはこんできたのだと思ってるんだけど」
「なにせ天性の名探偵だからな。探偵のもとにはおのずと怪事件が引き寄せられてくるもんさ」
副会長がどや顔でいった。咲の小さな舌打ちの音が聞こえる。すぐさま真顔に戻る副会長。
「うちらが解決した事件がどれだけみんなを幸せに出来たかはわからないけど、すくなくともハッピーエンドを目指したことに間違いはない。そして、これからも」
「僕らが卒業しても探偵同好会らしく、事件を解決していってほしい。世の中は謎であふれかえっている。僕らがきちんと目を向けてやればどんな時でも不思議なものが見えるはずだ――たとえばUFOとか」
「それはオカルトでしょうが」
すっかりオカルトの類を信じなくなった会長が、副会長の後頭部をぺしりと叩く。部室がきれいになる前まではツッコミを入れるためのはりせんも用意されていたのだが、それもいまはない。
結衣はそっけない探偵同好会の薄汚れた壁と、床と、机を見まわした。
副会長の私物だった分厚い怪奇現象の本や、ネッシーをはじめとするUMAのフィギュア、天上からつりさげられていたUFOの模型、怪しげな占いセットといったようなものはどこにも見当たらない。
「わたし、副会長のオカルト話好きでしたよ」
結衣がやさしく声をかける。副会長はあつくなった目頭を押さえた。
「そういってくれるのは白谷くんだけだよ……僕はこれだけでも満足だ。もうやり残したことはない。悔いが残るとすれば児玉くんをこちら側の世界に引き入れられなかったことくらいか。いつもチャンスは狙っていたんだが」
「まるで反省してないみたいですね。会長、こんなやつとはすぐに別れた方がいいですよ」
咲の鋭くとがった氷柱のような言葉が副会長の胸に突き刺さる。
さらに会長はほんのりと頬を紅潮させながら否定する。
「どうしてうちがこんな甲斐性なしと付き合わなきゃなんないのよ。天地がひっくりかえってもありえないことだわ」
「いえ、それが」
神崎はちらりと咲のほうを見てから、
「児玉の友達に、会長と副会長が手をつないでデートしてるところを見かけた人がいるらしくて。証拠の写メも送られてきたそうです。おれも検証しましたけど、正真正銘、会長と副会長でしたね。いつからそんな関係になってたんですか――いってくれればお祝いパーチーでも開いたのに」
「パーチー、パーチー!」
結衣が楽しそうにはしゃぎながら手を打ち鳴らす。
その場にクラッカーでもあればいっせいに爆発させそうな勢いだったが、整頓されてしまった部室にそんなものが残っているはずもなく。やけに響く結衣の拍手があちこちに反射した。
「静かにしなさい結衣ちゃん、うるさいわね! き、きっと合成映像かなにかよ!」
会長が耳を真っ赤にしながら否定する。それどころか顔中が林檎のように赤く染まっている。頭から湯気が上がってもおかしくない剣幕だった。
「動機がありません。誰が会長と副会長のアベック写真なんて作るんですか」
会長と副会長とは対照的にクールな咲がにべもなくいってのける。
ただ、その眼が笑っているのを結衣は見逃さなかった。
「じゃ、じゃあ咲ちゃんがウソついてんのよ!」
「それならどうして会長たちが動揺してるんですか? さっさと認めてしまえばいいのに、楽になりますよ」
「……咲ちゃんに彼氏ができたときには真っ先にからかってやるんだから。誠くん、写メと報告をお願いね」
観念した会長がこうべをたれながら神崎の肩をたたく。
「あ、はい。わかりました」
「結衣ちゃんのときには別の意味で注意が必要ね。彼氏というよりは禁断の恋の相手って予感がしてしょうがないわ――もしくは、変な男にたぶらかされるか。どちらにせよしっかり監視してあげてちょうだい」
「わたしは大丈夫ですよぉ」
結衣がはにかみながら手を横に振るが、まわりの視線はとても冷たかった。誰も信じていない目だ。
しょぼくれる結衣をよそに会長は話をまとめにかかる。
「とにかく。うちらが卒業した後でも探偵同好会は、名探偵らしく活動を続けてちょうだい。次期部長には咲ちゃんを推薦するわ。誠くんは副部長として支えてあげてちょうだい――まあ、せめて迷惑だけは掛けないくらいで」
会長が副会長をにらみながらいった。そっぽを向く背の高い副会長。
「いいんですか、あたしで」
「謙遜するなんて咲ちゃんらしくないじゃない。この同好会でいちばんまともなのは咲ちゃんなんだから。そこだけは自信を持っていいと思う」
「だけ、ですか。とりあえず頑張ってみます。廃部にさせないくらいには」
「頼んだわよ」
指きりげんまんをしようと小指を突き出した会長だったが、咲はひらりとかわして相手にしなかった。不満そうに唇をとがらせる会長に、咲がいう。
「いつか遊びに来てください。そのときにはきっといまより部室がせまく感じると思いますから」
「あっそ。期待せずに待ってるわ」
「おれが副会長になってもいいんですか? 推理力なら白谷さんのほうがずっとあるのに」
神崎が遠慮がちに尋ねる。会長は鼻を鳴らした。
「誠くんは根性だけはあるから。推理力なんてものはあとから身につければいい話よ。結衣ちゃんから盗めるだけ盗みなさい。あとは根性がどうにかしてくれるから」
「会長……」
神崎が目を潤ませながら会長の言葉を手帳にメモする。使っているのは副会長からプレゼントされた朱色の万年筆だ。副会長はその様子を目を細めてながめている。
「さてと、あとは結衣ちゃんだけど。うちらは結衣ちゃんに感謝しなくちゃいけないって思ってる。偶然だったのかわからないけど、結衣ちゃんはうちらにとって幸運の女神だった。ラッキーガールってやつね。誘蛾灯に引き寄せられる虫のごとく、事件は名探偵のいる方にやってくる。最後の一年だけでも探偵らしくいられたのは、結衣ちゃん、あなたのおかげ」
「それについては僕も同意見だ。僕らが望んでやまなかったものを、白谷くんは届けてくれた。これは一種の運命なのではないかと思うね」
副会長が頷きながら同意する。
結衣はブレザーの袖で目じりをぬぐった。鼻をすする音が涙ぐんでいる。泣くのをこらえているせいで全身がふるふると震えていた。
「わたし、そんな大それたことは」
「事実であったのかどうかは誰にもわからない。ひょっとしたらほんの偶然が重なっただけかもしれないわね。でも人生なんてそんなもんでしょ。結衣ちゃんが来て、この5人でやっていけたからこそ事件も舞い込んできたって考え方も、悪くない。それが偶然であったにしろ、必然であったにしろ、うちが結衣ちゃんと過ごした毎日は楽しかったわ。ありがとう」
「ありがとう」
副会長も頭を下げる。
結衣はしきりに目頭のあたりをおさえながら、嗚咽まじりの声で感謝の言葉を返した。神崎も潤んだまなざしでその場を見守っている。
「わ、わたしこそ会長たちにありがとうっていわなきゃいけないんです――。一年間、すごく楽しくて。会長たちがいなくなっちゃうのは寂しくて。部室が綺麗に整頓されていたとき、わたし、探偵同好会がなくなっちゃったんだってすごく悲しくなって。でも、振り返ってみると、やっぱり嬉しいこともたくさんあって――だから、恩返しにはならないかもしれないけど、最後に私の推理を聞いてくれますか。会長たちがくれた優しさの、なぞ解きを」
会長と副会長はすこしのあいだお互いの顔を見合わせていたが、結衣に静かなほほ笑みを向けた。その表情には驚きの色もいくらか含まれていた。
「楽しみにしてるわよ」
「はい」
結衣はごしごしと濡れたまつ毛をこすって立ちあがった。部室のなかにあるタンスからホームズの鹿射ち帽を取り出してくると、それを深々とかぶり、大きく深呼吸する。
「さて――」
「本当はこんなことをいうのは無粋なのかもしれないけど、わたしちゃんとお礼がいいたいんです。会長や副会長たちがくれた優しさがどれだけわたしにとって大切で、どれだけ嬉しいものだったかちゃんと伝えたいんです。だから推理します。名探偵はハッピーエンドを目指さなくてはならないから。このまま秘密を秘密にしておいては、わたしのなかで真のハッピーエンドにはならないから」
結衣が静かな口調で話しだす。
目をつぶって聞きたくなるような、透きとおった声。夏の風鈴が青い空の下で奏でる音色のように結衣の声は涼やかに響きわたる。
「まず、会長たちが私物をすべて引き揚げてしまった理由について考えてみます。すこしくらい残してくれてもいいのに、って最初は思いました。副会長のUFOとかもずっと飾っておきたかったし、会長が散らかしたゴミだってまるで会長がいるみたいで落ち着く。でも、それじゃいけないんですよね?」
結衣が副会長の瞳をのぞきこんでいう。
あいまいにほほ笑みかえす副会長。
「残されたわたしたちは新しいスタートを切らなくちゃいけない。いつまでも楽しかった思い出に浸っていてはいけないってことですよね。もうすこししたら新入生も入れなくてはいけないし、むしろそちらを大切にしてほしいって」
結衣はブレザーの内ポケットを探ると、一冊の手帳を取り出した。緑色の表紙に、金の校章が刻まれている。
「これはご存知のとおり霞ヶ丘高校の生徒手帳です。細かい学則がたくさんのっています。その中には、もちろん同好会に関する規定もいくつかありました」
「あらら――気付かれてたんだ」
会長がいたずらのばれた子供のようにバツの悪そうな顔で舌を出す。
赤く腫らした目をこすりながら結衣は生徒手帳のとあるページを開いた。細かい文字でぎっしりと規則字や条文がのせられている。
「同好会の設立条件――最低でも5人の会員がいること。わたしを入れて今現在は5人ですけど、5月の時点ではまだ一人足りなかったんですよね?」
「そ。結衣ちゃんがいたからギリギリセーフ」
「会長がわたしの教室に来て探偵同好会に入らないかって誘ってくれたとき、正直不安でした。中学の前の部活で、わたしあんまりうまくいってなくて。だから部活選びも躊躇してたんです。また同じ失敗を繰り返さないようにしようって」
結衣がひとつひとつ言葉を慎重に選定していくようにして話す。
「この部室に連れて来られて、目の前に入会届を突き付けられていたら断っていたかもしれません。今度こそは楽しい部活に行くんだって思ってたから。でも、副会長と咲先輩のおかげで、わたしは探偵同好会に入ることを決意したんです。家に帰ってから考える時間をくれました。ベッドに転がりながら生徒手帳をながめていたら、同好会は5人以上いないと成立しないと書いてあって、それでわたし決めたんです。ここならわたしを大切にしてくれる。わたしがいてもいい場所になってくれる」
結衣の声が涙ぐんでくる。
それにつられるようにして神崎もハンカチを取り出して目蓋のあたりをおさえている。
「いま思えば会長も必死だったんですよね。わたしがいないと探偵同好会がなくなってしまうから。それでもわたしを待っていてくれた。ほんとうに、ありがとうございます」
深々と頭を下げる結衣の背中を、副会長の大きな手がぽんぽんと優しく叩いた。
「僕はただ、みなみが無理矢理連れ込んだんじゃないかって心配だったんだよ。新入生を先輩が強引に勧誘したんじゃ、楽しいはずがないからね」
「あたしも――」と咲がいった。「会長があんまり騒々しいのでなにか裏があるのではないかと思って」
「なによみんな失礼ね。素直にどういたしましてって言えばいいじゃない。うちは会長として新入部員を集めるのに懸命だったけど、あんたたちは余裕な顔して待ってるだけだったもんね」
「……どっちにしても」
結衣が困った表情でいった。
「わたしは楽しかったです」
「そうね」会長が明るい口調でいう。「ハッピーエンドになったならそれでいいじゃない! 写真撮りましょ、デジカメ持って来てるから」
ポケットから取り出した銀いるのデジタルカメラのタイマーをセットすると、会長は部員たちの肩を抱き寄せカメラに向かってピースサインを送った。
副会長は会長のうしろから見下ろすように笑っている。
神崎はハンカチを片手に。
咲は不愛想な表情で。
結衣は満面の笑顔。
カメラのフラッシュが瞬いて、一枚の写真が出来上がった。
3月編はこれにておしまいになります。
次回の4月編で完結となります。