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咲と神崎

『放課後、部室の前で』

 短い文面が届いたのは冬の夕暮れが終わりをつげ、カーテンの向こうがうす暗くなって来た頃だった。

 携帯電話の画面にうつしだされた神崎からのメールは、それ以上語りかけることもなく。無造作に放置されて冷たくなった携帯を閉じると咲は読みかけの本へ目を戻した。

 全十巻からなる超大作のミステリーはふつうに読んでいけば一か月ほどかかる分量だ。

 いま持っているのは第八巻。結末の記されたメモがはさまれていた事件があってからまったく手を触れていなかったため、だいぶ期間が空いてしまっていた。

 目が痛い。

 徹夜で読み進めてもちっともページが減っていかない。クライマックスにさしかかれば多少はペースが速くなるかとも思っていたのだが、いつまでたっても進展しないストーリーのせいで、だんだん読むのが苦痛に感じてきた。

 授業も合間をぬって本を読む。

 もっと効率のいい方法もあるのだろうけど、途中であきらめたり飛ばしたりするのは絶対に嫌だ。それだけはゆずることのできない部分だし、人間としてのプライドにもかかわってくると思う。

「……あー、もう!」

 栞をはさんでページを閉じる。

 神崎の小憎たらしい顔がちらついて離れないのだ。こんな状態じゃとても読書に集中することなんて出来ない。すこしだけ眠ろうか、とも考える。

 安穏と身体をあずけて、枕に身を任せてしまうという提案がひどく魅力的に思える。そうしてしまえるならどんなに楽だろう。

「でも、駄目」

 自分に言い聞かせるようにつぶやく。

 咲はベッドから身を起こし、洗面所に向かうと冷水で顔を洗った。水をすくう手が痛い。それでも我慢して冷やし続けるといくらか目が覚めた。気合いを入れるために頬を二度たたく。

 寝不足のせいかニキビができていた。

 触れてから気づいたデキモノを鏡で確認する。マスクをすればごまかせるだろうか。

 ――いや、いまはそんなことを心配している場合じゃない。

 時間がないのだ。自分との戦い。それがこんなにも厳しいものだとは知らなかった。探偵は他人と戦うとは限らない、時として己を越えなければいけないこともある。

「頑張れ、あたし」

 誰かのために、自分のために。



 旧校舎というだけあって設備の古い建物には隙間でもあるのか、廊下が妙に冷え込んでいる。つま先の感覚がなくなりそうな空間で神崎は待っていた。

 看板のなくなった探偵同好会の部室。

 鍵は閉まったままで、なかをうかがうことはできない。

「寒いな……」

 両手で包みこむように体を抱く。

 すこししてから咲がやってくると、神崎の向かい側の壁にもたれかかった。

「…………」

 静かな沈黙が流れる。

 空気は重たかったが、けっして気まずいものではなかった。時計の秒針が何回かまわった後、咲がおもむろに口を開いた。

「ごめん」

 意外な言葉におどろくが、神崎はそれを表情には出さない。

 咲は一言そういっただけでまた黙ってしまった。神崎はうつむいていた視線をあげ、咲の瞳をしっかり見据えていった。

「こっちこそ、ごめん。おれが余計なことをいったせいでこんな風になっちゃって。それに探偵としてやってはいけないこともしちゃったし」

「あたしがプレッシャーかけたからでしょ、あんな嘘ついたのは。見栄張って推理するのはいけないことだけど、あたしも頭に血が上って神崎を犯人扱いしちゃったからお相子」

「おれが先に喧嘩売ったんだ。おれに謝らせてくれよ」

「謝るだけなら好きなだけやればいい。あたしは構わないから。でも、こっちも謝らなきゃいけない」

「素直じゃないな」

「そっちが素直すぎて気持ち悪いんでしょ。あたしはいつも通りだから」

 にべもなく咲がいってのける。神崎は苦笑しながら部室のドアをたたいた。

「そういえば、ここのこと聞いた?」

「部室がどうかしたの」

「整理されてたんだよ。きれいさっぱり。空き巣が入ったんじゃないかって疑うくらいに変貌しちゃっててさ、白谷さんも困ってたよ――泣かれちゃったし」

「最低ね」

「おれのせいじゃない。探偵同好会が消えてしまったと勘違いしたんだってさ。あながち間違ってないけど」

「あの散らかり具合だったからこそ探偵同好会らしかったんだよね。会長たちがいっつも変なものばっかり持ちこんでくるから、どれを片付けていいやらわからなかったし」

「やっぱり、あれは会長たちのガラクタだったんだ」

「副会長みたいにね。でも、捨てられない」

「なくなっちゃったよ、全部」

「取り戻せばいい。あたしたちは探偵同好会なんだから、泥棒に取られたものは奪還しなきゃ」

「――そうだな」

 神崎が笑い声を立てる。

 卒業式が近いということもあって、旧校舎に部室をおいているほとんどの同好会は活動をしていない。神崎たちの声は空洞の廊下によく響いた。

「あんたもちょっとは探偵らしくなった。前は体力馬鹿だと思ってたけど、いまは根性と体力馬鹿だって認識を改めてる」

「それってあまり変わらないんじゃ」

「ま、名探偵っていうよりはトンマな相棒役か、足で情報を稼ぐベテラン刑事ってとこかな。どっちも好きじゃないけど」

「ひどい言い様だな、まったく」

「だからあたしのサポート役にぴったりなの。来年こそは結衣ちゃんに負けないようにしなくちゃ。あの子の才能は本物だから、うかうかしてると追いつけなくなるよ」

「追いこすさ、いつか」

 胸を張ってこたえる。

 咲はくすりと笑ってから神崎に背を向けた。

「もう要件はすんだでしょ。あたしは帰る」

「……そういや、今日はあんまり元気そうな顔色じゃなかったな。徹夜で推理でもしてたのか?」

「ある意味ね」咲は振り向きざまに付け加えた。「むしろ犯罪者としての才能を感じた」

「そうかもな」

「帰ったら寝るから。メールとかしてこないでね。結衣ちゃんからだったら許すけど、あんたからだったら容赦なく追放するから」

「部員が足りなくなるぞ」

「減ったら増やせばいいの。来年も同じことでしょ」

「そう簡単にはいかないさ。下手すれば、本当に探偵同好会が消えてなくなっちまう」

 神崎は動かない。

 咲はほんの数秒ほど神崎を見つけていたが、やがて廊下の奥へと姿を消していった。神崎はしばらくその場にとどまっていたが、名残惜しそうに探偵同好会の部室を見やってから歩きはじめた。

 体中が、ほんのりとあたたかかった。


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