探求
神崎からメールが来たのは、タイムリミットを知ったその晩のことだった。寒い夜。青色のカバーのベッドに寝転がっていると、結衣の携帯がメールを受信したことを告げた。
『明日、部室に一緒に来てほしい』
メールには、そう書かれていた。
動悸が激しくなっていくのを感じる。
白紙とわかっているテストを返却されるみたいな心持ち。だって、居眠りしてしまったんだもの。それなのに、残酷なくらいに現実はおしつけられる。
深呼吸。
目眩がするくらいに心臓は痛く打ちつけていた。ゆっくりとボタンを押す。
『わかりました』
送信中、のメッセージは見つめているとすぐに消えてしまった。かわりに表示される送信完了の宣告。これで逃げることはできなくなった。
神崎がわざわざ部室に行こうと提案するくらいだから、きっとなにか手掛かりがあると踏んでのことだろう。それにいつかは通らなければいけない道でもあるわけだし。
咲先輩と神崎先輩がそれぞれに事件をかかえているんだから、残った部室消失の謎はわたしが解かなきゃいけないんだ。
血管を駆け巡るざわつきはいくら目をつぶっても消えなかったけど、朝は律儀にやって来た。
鍵を差し込む。
カチャリ、という乾いた音がした。
「準備はいい?」
ドアノブに手をかけながら神崎が尋ねる。
「はい」
結衣がうなずくと、殺風景な部室が顔をのぞかせた。
最初に見たときは違和感が強すぎてどこかどうおかしいのか判断がつかないままに目をそむけてしまったが、改めて部室を確認してみると、異常な点が鮮明に感じられた。
無駄なものがなさすぎるのだ。
普段の部室には会長の持ちこんだクリスマスツリーだったり、七夕に使う笹だったり、そのほかにも雑誌やホームズのコスプレ衣装が所狭しと並べられていた。
湯のみ。本。空き缶。UFOの小型模型。得体のしれないなにか。
そういったものが姿を消しているのだ。渋谷のスクランブル交差点から、いきなり人ごみが消えてしまったように奇妙な光景。
「――ちょっと、気味が悪いね」
神崎がぼそりと感想を漏らす。
本当ならこんな風に小奇麗な部室であるべきなのだろうけど、模様替えも、大掃除もされることのない部室が姿をかえてしまうのには抵抗を覚える。
それはたぶん、会長たちとの思い出まで否定されたような気がするから。
「でも、タワーは健在みたいですね。よかったです」
結衣が指し示す先には、神崎がもらったチョコレートやクッキーで積み上げられたお菓子の塔が悠然と立っている。中途半端に崩れかかった楼閣は、そこだけ忘れ去られたように雑然とそびえていた。
神崎は頂点から下まで、網膜に焼きつけるように眺めまわす。
その間に結衣は、消えてしまった小道具がどこへ行ったのか調べていた。
床一面を覆い尽くすとまではいかないものの、あちらこちらに居座っていたみんなの私物がなくなってしまったというのが、この事件の特徴だった。それを解き明かすことで、真相に近づけるはずだ。
「ホームズの衣装、どこ行ったのかな……?」
文化祭で作ったお気に入りの衣装は、いつもハンガーにぶら下げられて窓際におかれていた。
いまは余計なものを一切合財、排除してしてあるため、こげ茶色のインバネスコートさえも見当たらない。書類のしまってある棚をのぞくと、見かけたことのある推理小説がタイトル順に並べられていた。
アクロイド殺人事件からはじまって、少年探偵団、そして誰もいなくなった、緋色の研究といったポピュラーな名作が、図書室の本棚のように整然とそろっている。
どれも探偵同好会の備品として、結衣が入部したときから部室のあちこちに点在していたものだ。古くからあるせいか、ほとんどの背表紙は黄ばんでいる。
神崎はこの類の本をしきりに借りていっては、数週間後に返却していた。
「こんなにたくさんあったんだ……」
まとまって整列しているのをいままで見たことがなかったから、これほど多くの小説が小さな部室に隠れていたとは知らなかった。
これでひとつわかったことがある。
部室のものは消失したのではなく、綺麗に整頓されているのだ。
結衣は手当たり次第にクローゼットや引き出しを開いていく。ホームズの衣装は折り目よく畳まれた状態で、結衣の分だけがしまわれていた。
神崎や咲は自宅に持って帰っていたのだろう。
空き巣が家財をあさるようにあたりを調べていると、うしろから神崎の声がかかった。結衣がふりむくと、険しい眼つきでお菓子の塔を注視している。
「どうしたんですか」
「タバコの箱、持ってない?」
「持ってませんってば――もしかして、高さをはかりたいんですか」
会長のいっていたことを思い出す。
タバコの箱は、写真をとるときに使うもの。
「心なしか小さくなっているような気がするんだけど」
自分の身長と比べながら神崎がいう。
「先輩がいないあいだに会長がつまみ食いしてましたから、すこしは減ってるかもしれないですね。とくに手作りのものはもったいないっていって副会長にも食べさせてましたし――わたしは申し訳なかったからもらいませんでしたけど」
あわててつけ加える。
神崎はタワーをしげしげと眺めた。
「自分はケチなくせに、おれのものは遠慮なしに食べるんだから」
「わたしは共犯じゃないですよ」
「ふたりがかりでこんくらいしか減らないのか――綾小路のやつ、すごいな」
しみじみと呟く。
神崎はタワーから板チョコを引き抜いて、少し考えてから塔に戻した。と思ったら、また思い直したように袋をあけた。
「食べる?」
「遠慮しておきます」
「製品なら賞味期限も平気だよ」
「じゃあ、ちょっとだけ」
半欠片のミルクチョコレートは、室内の気温と同様によく冷えていた。とろけるような甘い感触が口の中いっぱいに広がっていく。
「美味しいですね」
「会長もそういってた?」
「はい。すごくうれしそうな表情でがっついてました」
そっか、といって神崎は結衣を見る。
ちょうど見下ろすようなかたちになるが、結衣の表情はわからない。セミロングの黒髪が横顔をおおっていた。
「おれは調べることはもうないんだけど、白谷さんは平気」
「大丈夫です。探偵同好会がなくなったわけじゃありませんでしたし、わたしのホームズも無事でしたから。ちょっと寂しくなっちゃいましたけど。掃除したんだって思えばいいんです」
「かなり散らかってたからな――おれのはいったときから変わらず小汚い部屋だったし、こうして綺麗になっちゃうと変な感じだけどさ」
「咲先輩とか、片付けたくならないんでしょうか」
名前を出してから、あ、と気付く。
バツの悪そうな顔で神崎をうかがうと、意外なことに明るい表情をしていた。
「散らかってるのがデフォみたいなもんだったからさ、片付けようとかいう気にもならなかったんだよ、たぶん。空が青くて、雲が白いのをいちいち疑うようなことはしないからな」
「いい表現ですね」
「受け売りなんだけどね。名探偵は当たり前を疑ってかからなければならない。そこにこそ犯人の痕跡が身を潜めているって、その本には書いてあった」
「あのなかの本ですか?」
結衣が推理小説のはいった棚を指さす。
神崎は首を横に振ってこたえた。
「児玉に借りたやつだよ。まだ返してないんだけどさ」
「じゃあ、早く返してあげなきゃいけませんね。でも、お礼を忘れちゃ駄目ですよ。女の子はそういうとこ細かいですから」
「これでいいかな」と、神崎はタワーからお菓子を引き抜く。「はやいとこ減らさなきゃいけないし」
「絶対いけません」
断言する結衣。神崎は困ったような顔をした。
「じゃあ何がいいんだよ。花とか?」
「そんな気障な物はいりません。お礼のメモでもはさんでおいてください」
「メモねえ……」
浮かない表情の神崎がなにを考えてるのか、結衣にはなんとなくわかるような気がした。
「怖いんですか?」
「死を目前にしてみろ。誰だってためらう」
神崎は身震いしてから、結衣をともなって部室の外に出る。
そして、ドアを閉じると、鍵を差し込み、まわした。
カチャリ、という聞きなれた音がした。