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結衣の決意

 ページをめくる。

 物語はまだはじまったばかりで、主人公の少年が日常生活に退屈さを感じているというシーンの途中だ。何ページにもわたってつづられた夏の描写。主人公の友人は詩人らしい。

 結衣はベッドにあおむけに転がりながら、その小説を読んでいた。

 ひと月ほど前に本屋で見かけてタイトルが気にいったのでろくに内容も確かめずに買ってみた本なのだが、いくら上手く描かれた文章を追っていっても風景を結ぶことができない。

 主人公たちの会話も、文字の上をなぞるばかりで頭に入って来ようとしない。

 かわりに脳裏の大部分を占めているのは神崎が事件を解決できるだろうかとか、探偵同好会は無事に復活するんだろうかという不安定な心配ばかり。

 ごめんね、と小説のキャラクターたちに謝る。

 きみたちはわたしのなかじゃ生きられない、すくなくとも、今は。

 全部がうまく収まったら改めてきみたちの世界をのぞかせてもらうから、それまでは本棚の片隅に仕舞っておこう。そう思って、とりあえず閉じた小説を枕もとにおいた。

 起き上がればすぐ届きそうな位置にある本棚まで動くのが億劫だった。まわりにあるのは携帯電話と、数ページで幕を下ろした文庫本の小説。蝉の鳴く並木道を歩く二人組の高校生の描かれた表紙は、この寒い季節には不似合いだ。

「なつ、か。懐かしいな」

 意にかけず韻を踏んでしまった自分に苦笑しながら、結衣は去年の夏に起こった出来事をぼんやりとイメージした。天の川に彩られた七夕と、身の毛のよだつ怪談。あの時は会長と副会長がいいところまでいったんだっけ。

 楽しかったな。

 唐突にまた涙腺が緩みかけているのを感じた。せめて涙は流すまいと、自分の体温でぬるくなった枕に顔をうずめる。

 しばらくそうやって真っ暗な世界に身をゆだねているとだんだん心も落ち着いて来て、結衣は枕から顔をあげた。まぶしい高校生たちの絵が目に映る。

 彼らがどんな非情を運命をたどるにしろ、ハッピーエンドを迎えるにしろ、結末はすでに決められている。生まれたときから確定した運命。だから、いちど知ってしまった彼らの未来は変えられない。

 読みかけの本のオチを、とくに推理小説において犯人やトリックを明かされてしまうのは、その本の魅力を半分以上失ってしまったのと同じくらいの意味を持つ。

 マジックのタネを知りながら、目の前で繰り広げられる奇術を観賞するようなものなのだ。色あせたミステリーの世界は、自分で到達した真実だからこそ上塗りされる。

「咲先輩、怖かったな」

 あれだけの気迫があれば証拠くらい簡単に見つけてしまえそうなものだけれど。

 会長が咲と神崎の仲裁に入らなければ、あのまま神崎はアリのように押しつぶされるか、ねじあげられたシャツの襟で窒息死していたことだろう。推理するまでもない殺人事件。

 探偵としての器量は、正直いって神崎よりもずっと上だろう。すくなくともいまの時点では経験的に咲のほうがずっと有利だ。

 その咲が苦戦しているのなら、本当にお手上げな事件なのかもしれない。

 事件というのは魑魅魍魎で不可思議な事件よりも、茫然としてしまうくらい単純なほうが難しい。ある朝、道ばたで人が倒れていたなんて事件ほど、名探偵の出番が少ないものもないだろう。

 咲の本にメモをはさんだのは神崎ではないだろう、と結衣は思う。

 いくら神崎でも阿修羅のような咲を呼び出したくはあるまい。それに犯人からすれば、単純な犯行ほど身元が特定されやすいのではないかと不安になるものだ。だからこそ幾重にもトリックを張り巡らせて我が身を隠そうとする。

 だから犯人がいるとすれば、よほど肝がすわっているか、特定されない自信があるのか――それか、犯人だとばれたとしても不都合を被らない人間。神崎は、そのどれにも当てはまらない。

 裏表紙はどうなっているのだろうかと思い立って本を裏返して見る。

 そっけないカバーの表面には無機質なバーコードと、簡単なあらすじが記してある。どうやら彼らはこれから過酷な世界を生きなくてはならないらしかった。

「…………」

 ふと、頭のなかを一筋の線が横切ったような感覚がして、結衣は思考を集中させる。

 切れないように、逃げられないように、慎重に、でも、確実に。

 見たばかりの夢を思い出すような作業のすえ結衣は携帯電話を手に取った。アドレス帳から咲の名前を選ぶ。

 短い文章を打ち終えて、送信。返事は数分後に届いた。

『読んでない』

 絵文字もなにもないそっけない返信ではあったけれど、結衣にはそれで十分だった。たった一言のメールからも咲の不機嫌そうな表情が浮かんでくるような気がして、なんだか面白い。

『じゃあ、はさまれていたメモをください』

『破いて棄てた。どこにあるかはわからない』

『頑張って探してみてください。大事な証拠ですから』

 それ以上の返信はなかった。

 でも、ちゃんと想いは伝わったことだろうと思う。結衣はすこしだけ目をつぶって、携帯電話を胸に押し当てた。壊れた歯車が動きはじめた、気がした。



「それでね、あたしが百円玉を消しちゃったら詐欺だ、強盗だって騒いでうるさかったんだから――」

 昼下がりのお弁当の時間。

 結衣と瞳は机を向かい合わせながら話していた。すでにお弁当の中身は空になってしまったので、次の授業がはじまるまではこうやって談笑するのが恒例になっている。

「その百円はもらっちゃったんでしょ?」

「そんなことしたら退部させられちゃうよ。仕方ないから返したけどさ、ちょっとは太っ腹なところを見せてくれてもいいと思わない? こっちは毎日マジックの練習してるっていうのにさ」

 授業中だというのに、瞳はよくコインを使ってパームの練習をしている。パームというのはコインマジックの基礎技術のひとつで、手のひらや裏に、不自然でないようにコインを隠し持つようにするテクニックのことだと瞳に教わった。

 目の前でくるくる消えたり現れたり、増えたり減ったりする摩訶不思議なコインを見ているのはすごく愉快だ。ためしに真似をしてみたのだけれど、ちっともうまくいかないから、すぐにあきらめた。

「ちょっと練習すればすぐできるようになるよ、このくらい」

「わたしには無理だよ。不器用だもん」

「ま、結衣には他にすごい才能があるからいいんだけど」

 瞳が外国製のコインを指ではじきながらいう。

 澄んだ金属音が耳に心地よかった。

「でさ、昨日は先輩たちもかくし芸を披露してたわけなんだけど、部長ったらこともあろうに先生の変装してくるもんだから驚いちゃって。『君たちの部長が不祥事を起こしたから、怪盗同好会は取りつぶしだ』なんていうんだよ。それも、その不祥事っていうのが校長のかつらを盗んだからっていうから笑っちゃって」

「いいなー、楽しそうだなー」

 瞳には探偵同好会の部室がなくなってしまったことは話していない。

 もしその事実を伝えていたら、こんな風に楽しく会話することもできなかっただろう。変に気を使わせてしまうより、ふつうに接してもらった方が楽でいい。

「いっつもそんな風にパーティーみたいなことしてるの?」

「今回は先輩たちのお別れパーティーだから、特別だよ。もうあんまり時間もなかったし、ギリギリになっちゃったけどね」

「時間がない?」

 結衣が問いかえす。

「知らないの? 三年生はもう授業を受けなくていいから、学校に来るのはあと数日なんだよ。卒業式と、あとは今日くらいなものかな。その卒業式も三日後だしね」

「それって……すごく切羽詰まってる?」

「そうだね」

 まずい。

 時間がない。

 会長たちが霞ヶ丘高校からいなくなってしまうまで、残された猶予はほとんどない。それまでに事件を解決して、すべてをハッピーエンドに導くことなんてできるんだろうか。

 いや、やらなくちゃいけないんだ。

「わたしが。頑張らなきゃ」

「なにを?」

 瞳が怪訝そうに聞く。

 結衣は両手のこぶしを固めて、いった。

「わたしが名探偵であることを」


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