神崎の思惑
「さて――」と神崎がいった。「これから推理をはじめようと思います」
誰もがその様子を静かに見守っていたが、咲だけは燃えるような怒りの視線を神崎にぶつけていた。神崎はそんなことには気を留めずに、ゆっくりと部室を徘徊し出した。
騒々しいバレンタインデーが過ぎ去ってからというもの、神崎はタワーを喰い崩すことよりも、咲が犯人である証拠を見つけることに集中していた。
だが、そう簡単に有力な手掛かりを得ることはできず、それどころか重大な要素を見落としていたことに途中で気がついたのだ。
『咲は当初神崎に渡そうとしていたチョコレートを会長に奪われている。そして、会長にあげるはずだった袋を、神崎に提供した』という事実をふと思い出し、頭を抱えたのは調査をはじめてから二日後のことだった。
どうしてこんな簡単なことを見落としていたのだろう。
頭に血が上っていたという言い訳ならいくらでもできるが、どんな理屈をならべたところで咲に売った喧嘩は買い戻すことはできない。それこそ国家予算ほどの金額をならべるか、ブラジルまで届きそうなくらい深々と土下座するくらいの心持ちでないとだめだ。
冷酷非道な眼をした咲が、鞭を持って目を光らせているイメージが脳裏にこびりついて離れない。
いっそ学校から逃げたしてどこかに潜伏した方が安全かもしれない。もしくは先手を打って、咲の弱みでも握ってしまうかだ。
だが、はたして咲に弱みなんてあるんだろうか。
結論はすぐに出た。そんなものは存在しない、考えるだけ無意味だ。
「聞かせてもらったよ、今年は僕の圧勝だったようだねえ」
神崎が頭を抱え込んでいると、背後から嫌な予感をともなった声がした。勝ち誇ったような口調からして、そうとう機嫌のいいらしい綾小路がそこに立っていた。
「……そうなのか?」
神崎は絞り出すようにうなった。
「圧勝さ。なにせ僕のほうが2インチもタワーが高かったんだからね」
歌舞伎の女形のような声色をした綾小路は、ひと目で高級だとわかる品のいいブランド服に身を包んでいる。身長こそ神崎よりは低いが、お金持ちによくあるような貧相な体つきはしていない。
むしろ均整の取れた体格なんだろう、と神崎は無意識のうちに考えていた。
「60センチも違ったのか。そりゃ完敗だな、勝負していたつもりはないけど」
「……それはフィート換算だろう。1インチは約2.5センチメートルさ」
「なんだ、たったの5センチか」
「たったの、とはなんだ。去年は君に1インチ差で惜敗したことを思えば、大勝利じゃないか」
綾小路はとにかく圧勝ということにしたがっているらしいので、神崎は素直にうなずいた。
「わかったよ。お前の勝ちだ」
ヒラヒラと手を振る。綾小路はその端正な顔にしわを寄せた。
「つまらないな。こうもあっさり認められてしまうと張合いがない。君は来年こそ僕を負かしてやるとか思わないのかい?」
「残念だがそれどころじゃないんだ。おれはいま猛烈に忙しい」
綾小路は小首をかしげて尋ねる。
「なにが忙しいんだい? 今は特別忙しいような時期じゃないだろう」
「バレンタインデーのお菓子のなかに下剤を混ぜたやつがいるんだ。その証拠を探してる」
「下剤を?」
怪訝そうな表情の綾小路に、神崎が状況を説明する。
神崎の言葉をひとしきり聞き終えると、綾小路はいたって平凡な考えをつぶやいた。
「食べすぎじゃないのか?」
「違うわい! これは絶対に事件なんだ、そうでなければいけないんだ。だからおれは犯人と証拠を探し回るのに奔走しているんだ」
「どう考えても食べすぎだろう。僕も去年は腹を下すどころか、三日間ほど寝込んだくらいだ。高校になると破壊力が増すんだろうか」
「知らん。おれがこんなにチョコをもらいだしたのは霞ヶ丘高校に入ってからだ。それまではせいぜい数十個というところだったんだけど。――この学校にはなにかあるのか?」
神崎がぼやくようにいうと綾小路は目を丸くした。
「知らないで決闘に挑んでいたのか」
「だから戦っているつもりはない。それになんだ、事情があるのか?」
「霞ヶ丘高校では代々、学校でもっとも人気のある男子生徒に大量のチョコが送られるという風習が伝わっているんだ。誰がはじめたのかは知らないが伝説によると、中途半端に多くチョコを貰ってしまうとひがまれやすいので、それならいっそ大量に受け取ってしまえば問題ないだろうということで始まったそうだね。モテない男子諸君もイベントになってしまえば諦めがつくし、チョコを渡す勇気のない女子生徒も気兼ねなく参加できるという素晴らしいシステムなのだよ」
「ずいぶんと生々しい伝説だな」
神崎はため息をつくと、教室にある机のひとつに腰をかける。
大小さまざまの傷や落書きの刻まれた机は、古びたシーソーのようにかしいだ音を立てた。
「それで? どうしておれ達の代に限ってふたりなんだ」
「あまりいいたくはないが君と僕の実力が拮抗しているからだろう。つまり君は僕の永遠の好敵手
ライバル
なのさ」
妙に片仮名の発音がいい綾小路が鼻孔をふくらませながらこたえる。
神崎は肩が重くなるのを感じながら、あるひとつの考えに行き当たった。とくに深く考えることもなくその思いつきを口に出す。
「綾小路、お前が犯人だろ」
「急になにを馬鹿なことをいい出すんだ。僕がどうしてそんな野暮ったいことをしなくちゃいけないんだよ」
「おれを負かすためだろ。もしくは復讐とか」
「みくびらないでくれ」綾小路はいくらか強い口調でいった。「僕はきみを好敵手
ライバル
だとは思えど、君を貶めてまで勝とうと思ったことは一度たりともない。その証拠に僕は一年間自分をみがきあげつづけた――代わりに君の評判を落とすこともできただろうが」
神崎は去年からの記憶をたどっていく。たしかに綾小路に絡まれ、喧嘩を吹っ掛けられたことは何度かあったが、陰で悪口をいわれていたなどということはなかった。
ある意味、綾小路はマゾなのかもしれない。
「失礼な。僕は騎士道精神にのっとっているだけだ」
「フェンシングでもやってるのか?」
「あれは意外と泥臭いスポーツだよ。君が思うほど優雅なものじゃない」
綾小路が首を横にふってこたえる。
やはり金持ちのやる趣味というのはどこか似通ったものになるらしい。フェンシング、乗馬、社交ダンス。そういったものも難なく習得しているのだろうということは、見当がつく。
「――僕でなければ、君に恨みを持つ人間はいるかもしれないな」
綾小路があごに手をやりながらつぶやいた。男の眼から見ても、映画のワンシーンになりそうなくらい洗練された動作だ。
「君はガールフレンドはいないんだろう?」
「ん、まあな。作るのも面倒だし」
「それは賢明な判断だ。僕もそう思う。だが――ということは、女性からの怨恨という線は薄いだろう。逆に男子からの嫉妬という可能性はかなり高い」
神崎はバレンタインデーの朝に出会った二人組の同級生や、冷やかしにやって来た野球部の先輩のことを思い出した。実際に目撃したのはそのくらいだが、お菓子タワーのなかにも男子が恨みをこめて送ったプレゼントは相当数あるだろう。
去年は1年生で想定できなかったにしろ、2年目になれば再び神崎と綾小路がチョコレートを独占するのは目に見えている。
「けどさ、それならどうして綾小路はどうもなってないんだ? おれだけに毒を盛るっていうのも不公平な話だろ」
「それは」と綾小路はいう。「仁徳の差じゃないか」
「そういうもんか」
「そういうものさ」
「違うだろ。単にまだ毒入りのお菓子にあたっていないだけの話だな」
「甘い。僕は修業を積んできたといったはずだ。君が腹痛で休んでいるあいだに、僕はすべてのお菓子を美味しく平らげた。おかげで4キロは太ったがね」
「涙ぐましい努力の結晶だな」
神崎が呆れたようにいうと、勝ち誇った足取りで綾小路は教室を離れていった。誰が犯人なのか、容疑者が増えるばかりで証拠をつかむことはできなかった。
その日の収穫はゼロどころか、むしろ事件をややこしくした。
容疑者は他に誰がいるだろう。咲はもちろんとして、野球部の先輩、板チョコを投げてよこした二人組、ひょっとすると結衣あたりも怪しいかもしれない。変な薬を混入しようとして、間違って下剤を入れてしまったなんてありそうな話だ。
「容疑者がおおすぎる……」
それが最も深刻な問題点だった。
咲が犯人だとタンカを切ったはいいが、証拠どころか動機さえ怪しくなってくる。そもそもなぜ咲は下剤を入れなくてはならなかったのだろうか。いや、そもそもあの下痢は本当に薬によるものなのだろうか。もしかしたら料理の下手くそな女の子が、砂糖と洗剤を勘違いしてしまったのかもしれない。白くてよく似てるし。
「んなわけあるか」
くだらない思いつきはいくらでも浮かんでくるのに、肝心の推理は一向にはかどりそうな気配がない。
どうしようか。
凄まじくまずい事態になった気がする。
喧嘩を売った相手が悪かった。会長あたりならまだ笑ってはぐらかせそうだが、咲がそんなに優しいわけがない。素直に謝ったところで許してくれるはずはなかったし、神崎のプライドがそれを認めようとはしていなかった。
わしゃわしゃと髪の毛をかきむしる。
このままじゃ白髪だらけになりそうだ、などと考えていると、閃光のようにアイデアがひらめいた。
だらしなく歪んだ口元から笑みがこぼれる。そうだ、そうすればいいのだ。余計なことに頭を悩ます必要はないのだから。
こうして神崎の推理の準備は整った。
「さて――」
「このたびの事件は、不本意ながら私
わたくし
、神崎誠がバレンタインデーに毒を盛られるというものでありました。これは大変遺憾な出来事であり、二度とこのような失態を起こさないように日々精進してまいる所存でございます」
馬鹿丁寧な口調で推理をはじめる神崎。
部室には探偵同好会の全員がそろってはいたが、表情は様々だ。
固唾をのんで心配そうに推理をみまもっている副会長とは対照的に、結衣と会長は楽しそうにしている。このふたりはいつも推理中には楽しそうにしているのだが、今日はさらにニヤニヤが大きくなっていた。
「まずは事件の概要から説明してまいりたいと思います。犯行日時は2月14日で間違いはありません。その晩、私は強烈な腹痛に見舞われ、翌日と翌々日の学校を欠席いたしました。これが単なる食中毒であるはずはありません。真冬に、しかも加工された食品が食中毒を起こすでしょうか。そんなはずはないです」
咲はひとり、憤怒のこもった瞳で神崎を睨みつけている。
唇を強くかみしめているせいか、赤い血が滲んでいた。それをぬぐう気配もなく、咲は神崎を凝視する。
「単なる食べ過ぎでもありません。私は去年も同じような状況を経験いたしましたが、今年はあまり食べていないのにもかかわらず異常な腹痛に襲われたのです。これは意図的に誰かが下剤を混ぜた証拠になります」
部室のなかを歩きまわる神崎。
咲の近くを通りかかるたびに、冷たい視線の交錯が火花を散らした。
「方法は簡単です。チョコレートに下剤を混ぜておけば、私が自然とそれを口にする。味の濃いチョコレートのことですから、ちょっとやそっと薬が混ざっていたところで気づくはずもないでしょう」
「質問でーす」
結衣が手をあげる。
神崎はきざっぽく右手を差し出し、うながす。
「どうぞ」
「下剤はチョコレートに限った話ではないと思います。他のお菓子じゃダメなんですか?」
「とてもいい問いだ。私は逆にこう答えよう――チョコレートでなければならなかった、と」
結衣が小首をかしげると、得意げに解説する。
「犯人の心理として、千載一遇のチャンスを逃すようなリスクは冒したくないはずだ。バレンタインデーは年に一度しかなく、次の機会まで一年も待っていることはできない。だが、それ以外で警戒されずに下剤を盛る方法もわからない――つまり、チャンスを確実にものにしなくてはならなかった」
神崎は徘徊しながらつづける。ローファーの靴音がかつかつと響く。
「白谷くん、君ならどのタイミングでお菓子に下剤を混ぜる?」
「えーと――たぶん、材料がまだ固まっていない時に入れると思います。そうじゃないとうまく混ざりませんから」
「その通り。たとえばチョコレートとクッキーを比べてみよう。チョコレートは材料を溶かしたあと、最後に冷やして固める。けれどもクッキーは」
「焼きますね」
結衣が神崎の言葉を引き継いだ。
こくりとうなずいてから神崎は推理を再開する。
「そう、薬品を加熱するとその形質が変化してしまうのは常識。たとえその心配がないとしても、万が一のことを考ると犯人がリスクの大きい方法をとるとは考えづらい。それにチョコレートと比較して薄味のクッキーでは、味の微妙な違いに感づかれる可能性もある。これらの理由から、犯人がチョコレート以外のお菓子を選ぶことはありえません」
「おおー」
ぱちぱちと会長が拍手を送る。
副会長は顔をしかめて会長を非難するそぶりを見せたが、気にする様子はない。
機嫌をよくした神崎はさらに饒舌になる。
「下剤は効果が表れるまでにしばらく時間がかかります。そのため犯人にとっては特定される恐れの少ない、ローリスクな犯行ということになるでしょう。捨てられでもしないかぎりチョコレートは必ず私のもとへ届き、食べられる。時間がたてばたつほど犯行を立証するのは難しくなります」
ですが、とつけ加える。
「私は犯人をある特定のひとりに絞って調査を開始しました。誰というのは伏せておきましょう」
ちらりと咲を見やる。
咲は苛立たしげに椅子の脚を蹴りつけた。
「はやくしたら?」
「そうさせてもらおう。私は犯人――ある人物のことですが――からもらったチョコレートの袋に残ったかすを調べました。なんと、そこから薬品が検出されたのです」
「どうやって調べたの?」
間髪いれずに会長が尋ねる。
ぴたり、と神崎の靴音がやんだ。
「なに、リトマス試験紙とブロモチモールブルー溶液を使えば簡単なことですよ。見事に黄色の反応を示しましたからね。これで明らかです」
「……ねえ」
「どうしましたか、会長」
「ブロモチモールブルー溶液って、つまるところBTB溶液よね。酸性とかアルカリ性とかを判断するやつ」
「……よくご存知ですね」
「受験生をなめないでちょうだい。このくらいは誰でも知ってるわよ」
にべもなくこたえる会長。神崎の背中に冷たい汗が流れる。
「下剤の成分は酸性であるのはいいとして、たしかチョコレートも酸性の食品じゃなかったかしら」
「やだなあ、あんな苦い物が酸性なわけないじゃないですか。アルカリ性ですよ」
「かりにうちの記憶が間違っていたのだとして、溶液が酸性を示したのなら大量の下剤が混ぜられていたはずよね。チョコレート本体よりも多いくらい大量に」
「…………」
「それって不可能じゃない? さすがにもうチョコではなく、チョコ味の薬になってるわ」
神崎がそろりそろりとドアに近づいていく。
容赦なく会長は続けた。
「だいたい誠くんがそんな便利なものを持っているわけがないでしょ」
「……両親が科学者なものでして」
「さしずめ、チョコレートも下剤も酸性だってことを発見したってところね」
「……チョコはアルカリ性です」
「咲ちゃんが犯人だという証拠はひとつも見つかってないのね。というわけで、難しい単語を使ってはぐらかそうとしたけど失敗した。あんまり現役の受験生を甘く見ないことね」
脱兎のごとく逃走を図る神崎。
だが、ドアにはかぎが掛けられていて開かない。焦って鍵を開けようとするが、うしろからすっと手が伸びて、神崎の肩をつかんだ。
全身に悪寒が走る。
いや、それは恐怖であった。
本能的な恐怖。
振り向くことはできない。
後ろを見れば、喰われる。
「あんたが犯人か」
破裂しそうな怒気をはらんだ咲の声。神崎はおそるおそる問いかえす。
「犯人?」
「この期に及んでしらばっくれるとはいい度胸じゃないの。吐け、吐いちまえ!」
「あの――咲先輩?」
尋常でない咲の様相に不安を覚えた結衣が、おずおずと声をかける。
咲は神崎の肩を圧迫したまま動かない。
「どうしたんですか? すごく怖いんですけど……」
「あたしを犯人呼ばわりしただけなら、素直に謝ってくれば許してやろうかとも思っていたけど、それももうやめた。こいつは人間としてやってはいけないことをやってしまった」
結衣がつばを飲み込む。
言葉を発せば、自分も無事ではすまないと本能的に感じ取っていた。
「で、なにがあったの?」
ヘリウムガスがたっぷり詰められたはちきれんばかりの風船を、会長が針の先でつつき割る。結衣と副会長は反射的に顔をそむけた。血の惨劇が引き起こされるだろうという確信があったからだ。
だが、幸いなことに、壁の色は白いままだった。
咲は肩をつかむ腕に力を込める。神崎が顔をゆがめた。
「あんたから話したらどう?」
「な、なにを……」
「チッ」
思い切り舌打ちをする咲。副会長は恐怖に身をすくませた。
このままでは神崎の身が持たないかもしれない。とりあえず咲を神崎から離すことが先決だ。
そう思ったのだが、逃げ隠れてしまったかのように言葉が出て来ない。戦慄ばかりが募った。
「あたしの――」
咲がゆっくりと言葉を紡ぐ。それはまるで呪詛のような低い声だった。
「読んでいる本に、メモがはさんでありました。犯人の名前と、トリックの書かれたメモが。あの時ほど自分の読むスピードを呪ったことはありませんでした。目を閉じる間もなく一瞬で内容を理解できてしまった自分が憎らしかったです」
「誠くん……あなたって人は」
「お、おれじゃないです! ホントにやってないんですってば!」
涙ながらに訴える神崎を、会長は冷たく見下ろす。そして、あきらめたというふうに肩をすくめた。
神崎を壁におしつけるにぶい音がした。
咲は耳元で、死刑宣言のようにささやく。
「認めたら? 認めたところで許すわけじゃないけど」
「証拠はあるのかよ! なにもなければおれの犯行だって証明することはできないはずだ!」
「犯人はみんなきまってそうわめくの。とっても見苦しいことに」
「会長!」
神崎が最後の望みをかけて、腕を組みながら状況を静観している会長を仰ぎ見る。すこし考えこんだあと、会長は静かに判決を告げる。
「たしかに誠くんが犯人である可能性は限りなく高いわ。でも、証拠がなければ無罪。疑わしきは罰せずよ」
咲はしばらく黙って神崎を押さえつけていたが、しぶしぶといった様子で解放した。左肩をおさえながら神崎は床に膝から崩れ落ちる。唇が青くなっていた。
きれいに使われている学校指定の鞄から、咲は一冊の文庫本をとりだした。
神崎が壮大なタワーを披露したバレンタインデーに読んでいた、長編シリーズものの第三冊目である。かすれた表紙には寂しげに浮かぶ孤孤島が描かれていて、どこかの古本屋で発掘してきたのだろうと推測がついた。
咲はこうして時々、いつの時代に書かれたものとも知れない本を読んでいることがある。
「これです。ご丁寧なことに、あたしが栞をはさんでいた場所にメモはありました。読書を再開しようとすれば、必ず目に入るように」
「つまり意図的な犯行だったってわけね」
会長が頷きながらあいづちを打つ。
「それにしても短編ならともかく、長編のネタばれとはかなりえぐいことをしたものね。犯人はなにを考えていたのかしら」
「復讐に決まってるでしょう、そんなもの」
吐き捨てる咲。会長は苦笑いした。
「咲ちゃんを敵に回すだけの動機があるのかしら。こうなったら外国にでも逃げないかぎり、命は保証できないわよ」
「海外どころか――」咲は神崎を睨みつけながらいう。「地獄の果てまで追いかけていきますよ」
「誠くんは咲ちゃんが犯人だといい、咲ちゃんは誠くんが犯人だという。なんか面白くなって来たわね――」
会長がニヤリと笑う。
心労をたっぷりのせたため息が、副会長からこぼれでた。