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開戦のゴング

「誠くんってヘタレなのよね、残念なことに。この一年ですこしは成長したかしら」

 部活を終えた放課後の帰り道、かすかに舞っている雪のなかふたつの傘が並んで歩いている。積もった雪は道路の脇に寄せられてはいるが、足を踏みだすたびに湿った音を立てる。

「それは探偵的にか? それとも人間的にか?」

「どっちもよ。名探偵は常に人格者であらなければいけないものなのよ。みんなをハッピーエンドに導いていける人こそが名探偵と呼ばれるにふさわしいんだから」

「みなみが出来ているとは思えないけどな」

「なに?」

「いや、別に」

 副会長がはぐらかす。

 会長はむっとしたように自分の傘を副会長にぶつけた。傘の上に淡く重なっていた粉雪が降りかかる。

 顔をしかめながら副会長が抗議の声をあげようとすると、すっと眼前に小さな袋がさしだされた。

「これでおあいこね」

「――てっきり今年はもらえないものだと思っていたよ」

「間違えたらシャレにならないからよ。それに部室で渡したりなんかしたら咲ちゃんたちがうるさいでしょ」

「それもそうだな」

 副会長は部室でからかわれているのを思い出して顔をほんのりと赤くする。

 さっき会長にかけられた雪が解けて、首筋を伝っていく。

「春になると、これからもっと騒がしくなるかもしれないけどな」

「その頃にはうちらはもういないのかしらね」

「どうだろうな」と副会長がいった。「寂しいもんだ」

「そうね」

「でも、僕にはみなみがいるもんな」

「バーカ」

 もういちど会長が傘を揺らす。

 でも、先ほどストックを使いきってしまったばかりの傘はいたずらに衝撃を与えるばかりで。

 そのあとから会長が静かに体を寄せた。

 雪は包みこむようにしんしんと降り続いていた。



「――そんな理由で部活を欠席していたの?」

 咲が小馬鹿にした口調で神崎をののしる。その神崎は申し訳なさそうに顔を伏せながら、しきりに腹部をさすっている。

 探偵同好会の部室にそびえたつバレンタイン・タワーはいまだにその勢力を保持していて、圧倒的な存在感を放っている。たまに隙を見ては会長がこっそりとお菓子を抜き出してはつまみ食いしているのだが、それさえ感じさせないほどだ。

「仕方ないだろ。体調不良はどうしようもないんだからさ。学校に来るのだけはどうにかできたけど、部活までは堪えられなかったんだよ」

「自業自得じゃない、そんなの」

「誠くん。いただけないわね」

 会長が口をはさんだ。

 部室にはすでに全員がそろってはいたが、別に事件のことについて議論を交わしているわけではなく、神崎の欠席理由について問いつめているのだ。

 バレンタインデーの翌日と、そのつぎの日を無断欠席した神崎は、ようやく顔を出した瞬間から咲と会長に尋問されているのである。

「自分の体調も管理できないようじゃスポーツマンとしてやっていけないわよ。チョコの食べ過ぎでお腹を下して休むなんて、人には話せない大失態よね――それとも、自分はこんなにモテるんだぞっていうアピールのつもりなのかしら?」

「そんなことは……ないです」

「ならどうして素直に連絡をよこさなかったんですかね。部活を休むときには必ずその理由を伝えるようにいってあるはずですが」

 咲の言葉は刺さるように冷たい。

 神崎はますます申し訳なさそうに直立不動の姿勢を保ちながら弁明する。

「それはその――恥ずかしかった、からです」

「なにが恥ずかしかったのか、くわしく説明して」

「……はい」

「咲ちゃん、容赦ないわね」

 会長が半ばあきれたような、驚いたような口調で感心する。

 咲は無表情のまま神崎の襟首をつかんでいう。

「この阿呆がいけないんですから。あたしたちが遠慮する必要性なんて少しもありませんよ。会長もどうぞご自由になじってやってください、この色ボケ男、と」

「そんなことは……」

 首元をしめ上げられ苦しそうに神崎がうめく。咲はやくざのごとく大きな舌打ちをしてから手を離した。圧迫感と恐怖から解放された神崎がはあはあと荒い息を吐く。

「くわしく事情を説明してもらいましょうかね。何をどれだけ食べたらそうなったのか。覚えてないかもしれないけど」

 皮肉をこめた視線で咲がそう問いかけると、神崎はすこしばかりためらってから口を開いた。

「これはおれの過失なんかじゃない――だれかが故意に起こした事件だ!」

「へえ?」

 絶対零度に到達した咲の口調は、聞いているだけで背筋に鳥肌が立つほどだった。部室のすみで縮こまっている副会長と結衣が不安そうに身を寄せ合って、事の成り行きを見守っている。

 神崎は全身に悪寒が走るのを感じながら、懸命に続ける。

「だれかが毒を、もしくは下剤かなにかを盛ったにちがいないんだ。おれはむしろいつもより少なめにセーブしたはずだった。去年のこともあるし、すでに部室で鼻血を出すくらいだったから。今年はゆっくり消化していこうと思ってたんだ。それなのに腹を下すなんてありえない」

「うぬぼれてるんじゃない?」

「おれに恨みを持っただれかか、もしくは変な薬をつかまされた人間が間違って毒を混入したんだ。それを食べてしまったおれは、あえなく体調を崩して部活を休まざるを得なかった」

「それで?」

 咲が冷たく問う。神崎は意を決したように咲の瞳を見すえて、いった。

「おれは児玉が犯人なんじゃないかと思っている」

「……ふーん?」

 ただならぬ緊張感が部室のなかを痛いほどに支配する。

 静寂のなかで鼓動する心臓の脈拍さえも、その場の空気を揺るがすことは許されなかった。会長と副会長、、それから結衣は息をのんだまま微動だにしない。

「どうして?」

「昨日も児玉のチョコレートを食べた瞬間に鼻血が出た。それに普段からの恨みとか、嫉妬とかをこめてバレンタインデーに復讐したにちがいない。そうやっておれが体調を崩せば、思う存分におれを非難することができるもんな。調子に乗った馬鹿だって」

「そこまでいうなら証拠はあるんでしょうね?」

 咲が問いかえすと、神崎は唇を固くかみしめた。ぐーに握った拳がかすかに震えている。

「証拠は、これから見つけ出す」

「どうやって?」

「まだわからないけど、絶対に探し出して、児玉の目の前に突き出してやる。そしたら土下座して謝って貰うからな」

「もしあたしが犯人である証拠を得られなかったらどうする?」

 咲は挑発するように問いかける。

 名探偵が犯人を指名するように、神崎は人差し指をびしりと突きつける。

「なんでもいうことを聞こうじゃないか。約束、忘れるなよ」

「その台詞、そのまま返す」

「あの……」

 副会長がおずおずと手をあげて制止する。神崎と咲は勢いそのままに血に飢えた肉食獣の眼を向けた。小動物のように怯えながら副会長はぼそぼそといった。

「そんな無茶な約束はしない方がいいんじゃないかと思うんだが……根拠もないわけだし、今ならまだ取り消せるよ」

「探偵の勘です」

 神崎が胸を張って答える。すぐさま咲が皮肉を返した。

「素人探偵の当て勘ね」

「なに?」

「まあまあ、ふたりとも落ち着いて」

 いまにも取っ組み合いのけんかが起こりそうな雰囲気をいやがおうにも感じ取って、副会長は助けを求めるように会長を見た。子供が自分の仕掛けたいたずらを観賞するみたいに会長はほくそ笑んでいる。

 これはあてにならないな、と判断した副会長が再び口を開こうとしたときには、すでに対決ははじまっていた。

 ゴングが打ち鳴らされる音がする。

「これは大変なことになったな――」

 副会長が結衣に話しかけると、うっとりした言葉がかえって来た。

「なんでもするって……なにをするんでしょうね」

 恍惚とした表情を浮かべている結衣を見て副会長は、まわりにまともな人間がいなかったことに気づき、愕然として肩を落とした。白いため息が長々と吐き出された。


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