咲の推理とエピローグ
「最初にいっておきますがあたしはオカルトや霊とか、そういった超常現象や異能の存在をまったく信じていません。副会長とは対極の立場にあるといっていいでしょう。べつに他人まで否定するつもりはありませんが、それが事件の元凶となっているのだとすれば許すわけにはいきません」
咲が部室のなかを徘徊しながら話す。
「結論からいえば、ある意味では、犯人は副会長ということになるでしょう」
「僕が?」
意表をつかれた副会長がすっとんきょうな声をあげる。
咲は「ですが」とつけ加えた。
「今回の事件、大きく分けてふたつに分類できるでしょう。ひとつはαクラスで起こった謎の集団催眠。もうひとつは会長たちが経験した一連の騒動です。これらは一見まったく関連性がないように思えて、実は根本的には同じ事件だといえます」
「うちらのも事件だっていうの?」
会長が尋ねると、咲は小さくうなずきかえした。
「そうです。呪いではありません、すべては統一されない意思によってもたらされた不幸な事件です」
「――あの、推理中申し訳ないんだけど」神崎がおずおずと手をあげる。「もうちょっと分かりやすい言葉で話してもらえるとうれしい」
「……もっと日本語の勉強をするという約束をするなら」
神崎はしばしの間悩んだあと、勉強の苦痛よりも咲の推理が理解できないほうが悪いと判断した。
「要は、これは事件ではなく、むしろ事故に近いハプニングだったといえるでしょう」
「なるほどな」
やさしくなった解説に喜ぶ神崎。
咲は複雑そうな表情をしてから、推理を続けた。
「たいがいの怪談や心霊体験なんてものは勘違いから生まれるものです。勘違いは暗示をかけられることによってさらに起こりやすくなります。たとえば、夜のトイレに向かうときに『なにか出そうだなあ』なんて思っていると、実際には隙間風が吹いた程度でも幽霊のすすり泣きに聞こえてしまう、といった具合です」
「たしかにあたりが真っ暗だと、いつも以上に怖いものよね」
会長が相槌を打つ。
「いわゆる自己暗示というものです。それは長年の副会長のくだらない話によって蓄積されてしまった知識や、この時期ならではの勉強による精神衰弱によってさらに発生しやすくなっていたことでしょう。不安定な精神状態であればあるほど、暗示にはかかりやすくなります」
「受験勉強、か」
副会長がしみじみと呟く。
勉強ほど学生の精神をけずるものはない。それが毎夜に及ぶ徹夜や、限界を超えた長時間にもなるならなおさらだ。
「まずはαクラスの事件から紐解いていきましょう。事件の発端はもちろんこっくりさんにあります。交霊の儀、という名前で横行した占いは、呪われるという迷信をともなうものでした。それでも、頼らざるを得なかった。一種の精神安定剤みたいなものです。そして薬には、中毒性と副作用がある。
あたしはさほどでもありませんが、一昔前に爆発的に流行したこっくりさんは、過大に恐れられてしまう傾向があります。過去にあった様々な事例を必要以上に警戒したためです。それは、校長が校内放送をしたことからもわかるでしょう。ただのおまじないなら、わざわざ校長自ら禁止令を出すことはありません。むしろ笑い飛ばすでしょう。くだらない、と」
「大人でさえも怖いんですから、精神の不安定な状況で高校生がパニックにならないはずはない――ですね」
結衣がうつむきながらいう。
咲は歩みを止めずに推理を続行する。
「その通り。会長でさえも信じてしまうほどです。そして教室という密閉された環境下では、人間は集団催眠にかかりやすい。こっくりさんには、経験者がいると成功しやすいといううわさがあります。これはひとりが催眠にかかると、他の人たちも催眠にかかりやすくなるということから派生したものでしょう。αクラスの教室でも、同じことが起こってしまいました。生徒だけによる強制睡眠。集団ヒステリーというやつです。その証拠に、先生は無事でした。それに加えて保健室でぐっすりと休んだ彼らが、それ以上催眠にかからなかったことからも、αクラスの事件がこっくりさんによる呪いではなく暗示による集団催眠であったことが証明されました」
保健室で充分に休息をとることができたαクラスの生徒は、心身ともに回復しこっくりさんの呪いにかかることはなかった。咲はいちど立ち止まると、今度は逆方向に周回する。
「さて、もうひとつの事件に移りましょう。会長たちが経験した一連の事件、あたしはそれがαクラスの事件と根本的に同じであると説明しました」
「だいたい想像はついたわ」
会長が口をはさんだ。
だが、その表情は晴れない。
「咲ちゃん、お終いまで話してちょうだい」
「わかりました。まず会長が悪夢を見たことからはじめましょう。たしか昔の自分にこっくりさんをするよう勧められ、結果として呪われてしまうという内容でしたよね」
「そのとおりよ」
「会長がその夢を見たのはαクラスの事件が起こった後でした。そのことが会長の記憶を呼び覚ましたのでしょう。嫌な思い出は、気付かないうちに深層心理の下で大きくなって行きました。夢はその人の深層心理を反映しますから、会長が夢の内容をやすやすと信じ込んでしまったのにもうなずけます。本当はどこかでこっくりさんを信じていたはずです」
「――思い出した」
静かな声で会長が副会長を睨みつける。
よくない予感を敏感に感じとった副会長は、いつでも逃げられる体勢にかまえながらおそるおそる訊きかえした。
「なにをだ?」
「小学校のころだった。健輔に無理矢理こっくりさんをやらされたのよ。うちは嫌だっていってるのに、健輔は強引に10円玉は用意するし変な紙は持って来るし、あげくの果てには部屋に鍵をかけて閉じ込めたりして、うちは嫌々付き合わされた覚えがあるわ」
「そういえば泣いてたな」
「最低ですね副会長」
「人外です」
「それは男としてどうかと思います」
結衣、咲、神崎から容赦のない辛辣な怒声が浴びせかけられる。副会長は助けを求めて会長を見るが、もちろん救済の女神が現れることはなかった。
「――すまん」
「この落とし前はどう付けてもらおうかしら。咲ちゃんの推理が終わるまで考えておくわ」
副会長は観念して頭を下げたが、会長は冷たい視線をつきかえしただけだった。
咲は軽蔑のまなざしを存分に浴びせかけてから、大きくため息をついた。
「やはり犯人は副会長ですね。このダメ男」
「そ、それはいいすぎじゃ――」
「次は会長が夢から覚めたあとのことについてお話しましょう。たしか後ろに気配を感じたのに、振り向けなかったんですよね?」
「まったく動けなかったわ。体が別人になったみたいに」
「原因は、ありきたりなことかもしれませんが金縛りだったと考えられます。極度の疲労や睡眠不足によって引き起こされる金縛りは、意識があるのに体は眠ったままという不思議な状態を作り出します。すると幽霊に抑えつけられているみたいに錯覚し、心霊体験として語られるわけです」
「そんな古典的なトリックだったとはね」
会長はぎろりと副会長を睨みつける。
意図せずとも完全に犯人になってしまった副会長は申し訳なさそうにうつむいた。
「さらにオカルト同好会に連れていかれたとき、あたしたちもこっくりさんを体験させられました。あの10円玉はたしかに動いていました」
「それじゃあ、やっぱりこっくりさんは本物なのか?」
神崎が尋ねる。咲はかぶりを振った。
「もちろん違います。オカルト同好会なんてあたしは怪しいと思っていたんですけど、彼らはおそらくオカルト研究をしているうちにその手法まで体得してしまったんでしょう。あの不気味すぎる部室からしてそうです。不安な心理をあおっています」
「探偵同好会の部室もあんな風にアレンジしようと思っていたんだが」
副会長がまったく反省の色を見せず残念そうにつぶやくが、咲がどこからか持ってきたガムテープで口を封じたのでそれ以上喋ることはできなくなった。
時折、もごもごという声のような音が聞こえる。
「彼らは巧みな話術であたしたちを特定の方向に誘導していました。さりげないテクニックだったので気付きにくいですが、あたしは最初からこっくりさんになど興味はなかったので注意深くオカルト同好会の人たちを観察していましたから、すぐにそれとわかりました。あれはある意味詐欺ですね」
「そうだったっけ?」
神崎が首をひねる。
さっぱり記憶にないらしい。
「元からこっくりさんを信じている副会長。脅えていた結衣ちゃん。それからバカで雰囲気にのまれやすい神崎とくれば、参加者としては十分なくらいです。会長も直接参加していたわけではありませんが、しきりにあたしたちを脅迫していましたから同罪ですね。仕方ないことでしたが」
副会長が、ほれみたことか、というような目で会長を見るので、さらにハンカチで目を覆う。ついでに両手両足も縛って、身動きが取れないよう拘束した。
ミノムシのようにじっとしている副会長を満足げに見下してから、咲は推理を再開する。
「たとえばオカルト同好会ははじめ、こっくりさんに質問をしろといいました。そうすれば『あぶらあげ』という答えが返って来るはずだとも教えてくれました。もしも失敗したらあたしたちに原因があるのではないだろうか? 呪いにあってしまうのではないだろうか? というような恐怖が鎌首をもたげます」
怪しげなサングラスと衣装は、声だけに意識を集中させるための道具。
術者の声に耳を傾けさせる技術は催眠術のなかでも初歩の初歩だ。
「あたしたちは必然的に『あ』の文字へ行かなければならないという強迫観念を覚えます。そしてオカルト同好会のもくろみ通り『あ』を指し示したのを見て安心してしまったんでしょう。『ぶ』の文字まで10円玉が移動することはありませんでした。彼らはさりげなくあたしの責任だという方向に持って行って、いやでも意思を統合させようとしたようですが」
「咲先輩はまったく信じてないのに、どうしてこっくりさんは成功したんですか?」
結衣がきいた。
「オカルト同好会は10円玉から手を離さないようにと忠告していました。全員を共犯者にすることで、誰も途中でリタイアできなくするためです。あたしは10円玉に指を乗せていただけでしたから、誰か一人でも動かそうとする人がいたら抵抗せずについて行ってしまいます。それが誰なのか、副会長なのか結衣ちゃんなのか神崎なのかはわかりません。ひょっとしたら全員かもしれませんが。とにかく誰かが動かしたとき、わざわざ抵抗することもないでしょう」
「だからこっくりさんは経験者がいると成功しやすいのか」
神崎がうなずきながらいう。
「4人というのも、誰かひとりくらいは暗示にかかりやすい人間が交じっているからでしょう。それから交霊の儀で副会長が『試験は成功するか?』と聞いたとき、10円玉は『はい』を示した件ですが、あれも犯人は副会長です」
全員の視線が副会長に集まる。
どれも非難の色をふくんだものだ。
「個人的な願望が露骨に出てしまった結果でしょう。同じことがαクラスでも起こっていたと考えらます。αクラスのみなさんが熱狂的なまでに交霊の儀を行ったのも、良好な結果ばかりが出たからだと思います」
「健輔がそうであってほしいとねがったから、望んだとおりの結果になったのね」
「だれでもそうなりますと思いますけどね。こっくりさんを終える時に『お離れしてもよろしいでしょうか』と聞かなければいけないというルールがありますが、いいえが出たらどうしようという気持ちがあると、無意識のうちにいいえを選んでしまうことがあるんです。同じように無意識であろうとどこかでそう思っているのなら、結果に影響を及ぼします」
「無意識か」
神崎がつぶやきを漏らす。
今回の事件は心理的な側面が多いようだった。そうなると、これは事件ではなく、不幸な偶然ということになるのだろうか。意図しない事件と、狙って起こされた事故。区別はすごく難しい。
「会長が画策したとおりあたし以外の人たちは霊の存在を信じました。同時に恐怖も覚えたはずです。いかに手順にのっとっていたとはいえ、呪いがあると噂されているこっくりさんですから心のどこかで怯えている部分もあったんでしょう。帰り際に遭遇したというポルターガイスト現象も、会長たちの幻覚だった可能性が高いです。集団幻覚というやつですね」
「実際に空き缶は動いてたわよ」
「風かなにかで動いていたのが、誇大に見えたのかもしれませんね」
空き缶が浮遊していたとき、強い風が吹きつけていたのを思い出す。たしか植え込みの木が激しく音を立てていたはずだ。鴉も飛んでいた。
「…………」
「会長たちに渡したお守りですが」
といって咲は話を締めくくる。
「あれは不安を抱かずに眠ってもらうための方便です。神社の神主さんにおまじないを教えてもらったっていうのも嘘です。神崎にはしっかりお賽銭をしてもらいましたけど。人間、睡眠不足になると感情が不安定になります。夜遅くまで起きているのもいたずらに恐怖心をあおるだけですし、早く寝れば気分もスッキリして勉強にも集中できますから。ということで呪いは解けましたから、あとは試験を頑張ってください。これで成績悪かったらホントに呪いますからね」
「――わたしの呪いも、解けるんでしょうか」
結衣が咲の瞳を見すえながら聞く。咲は小さくうなずきかえした。
「もとから呪いなんてなかった。すべては探偵の解き明かせることだけ」
「――そうですよね、名探偵に解けない謎はないですもんね」
結衣は笑顔とともに、ホームズの衣装をぎゅっと握った。
高校生の命運を握るセンター試験の日には、新年になった初めての雪が降った。前日の晩からはらはらと舞い落ちた粉雪のような白い粒は、幸いなことに交通機関を煩わせることもなく、受験生たちの想いを乗せた吐息をほの白く染め上げた。
二日間にわたる試験の間、世の中はひどく静かで、空気には試験会場から伝播した緊張感が漂っているみたいだった。
ニュースに流れるマフラーを巻いた受験生たちの姿を見ながら結衣は咲にもらったお守りを抱きしめていた。御守とシンプルに書かれただけの薄いピンク色のそれは、結衣の不安をすべて取り払ってくれる。
休みが明けて会長たちに再開するのが待ち遠しい。
副会長のことは心配だけど、なんとかなりそうな気もする。明言はしていなかったが会長と同じ大学に行くつもりなんだろう。恋の力があれば大抵のことは乗り越えられるものだ。
「寒いなあ……」
冬だ。
冷たい季節に、背筋の凍るような怪談は似合わない。
冬にはこたつに入りながら蜜柑を食べて、春を待つのがいちばんだ。
「いよっしゃああぁ!」
部室で雄たけびをあげているのは会長だ。手には新聞紙。試験の結果は知らされないので、自分で新聞に載せられた解答を見て採点しなくてはならない。
時にはマークシートのミスでとんでもない点数になってしまうこともあるが、基本的には自己採点で結果を知ることはできる。
会長は新聞をわざわざ部室にまで持って来て採点をしているのだ。
「これは余裕フラグ! 今なら東大だって余裕よ!」
「そんなによかったんですか」
神崎が明るい表情で聞く。
先輩の喜ぶ姿はいいものだ。ついこの間まで呪いやこっくりさんに悩まされていたとは思えない反応だった。
「赤いザクくらいかしらね」
「通常の――えーっと、3倍でしたっけ」
「気分的にはそのくらいね。これ以上にないくらい清々しいテスト結果だわ」
「副会長はどうなんですか」
同じように新聞を覗きこんでいる副会長は、静かにほほ笑んだ。
「来年もよろしくお願いします」
「ちょっと待て児玉くん。僕はまだなにもいってないぞ」
「いわなくても結構です」
「僕は氷の堆積くらいだった」
「ほとんど水面下ですか。残念でしたね」
「違うわ! 1割増しだってことだよ!」
「もとが低いとあんまり変わらないんじゃないですか?」
「僕にとっては大成果だ!」
副会長のつっこみにも威勢が感じられる。
いつのまにか新聞紙を折り紙にして兜をつくりだしていた会長が、副会長の新聞をひったくって丸めだす。細長くつくりだされた灰色の剣は、会長によってハチャメチャに振り回される。
「祝勝会を開くわよ! 結衣ちゃん誠くん、ケーキを買って来なさい!」
「またおれのおごりですか」
神崎が財布の中身をたしかめる。
小銭ばかりがぶつかり合う金属音を立てる。なにかを訴えかけるような瞳で、神崎は会長を見る。
「仕方ないわね。健輔のおごりでいいわ」
「わ、割り勘だろそこは」
「ちっちゃいことをいわないの。男が廃るわよ」
「……くそ」
副会長は財布から千円札を何枚か取り出すと、結衣に差し出す。
うやうやしく夏目漱石を受け取ると結衣は、神崎と一緒に出かけていった。
「これで駄目だったらどうしようもないですね」
静かになった部室で、咲は読書をはじめる。
「不吉なことをいわないでくれ。言霊というものがある」
「――今回の事件、あたしは言霊の存在を感じました。言葉一つで自由に人を操ることができる、それってすごく怖いことじゃありませんか?」
真剣な表情。
「人は科学技術を生み出すことはできるけれど、それを良い方向に使うのも悪い方向に使うのも人間次第なのよね。言葉っていうのは、ある意味最強の武器なのかもしれないわ」
会長が真面目にこたえる。
「何気ない一言が誰かを深く傷つけたり、逆に誰かを救うこともある。うちらはとんでもない世界に生きているのかもしれないわね」
「――それこそ、こっくりさんの生きている世界に」
「やはり霊はいるんだな」
副会長が納得すると、咲と会長は声を合わせて「バカ」といった。