第三部
それからというものの野球部員の欠席者は日が経つにつれて増え、なかには用心のためにマスクをつけている人もいる。それでもあまり効果はないようで、次々に体調を崩して脱落していった。
普通に考えればただの風邪がはやっているだけだろうと思うのだが、こうも野球部ばかりがピンポイントで感染するとなると、不穏なうわさも流れはじめる。
「のろいぃ?」
「だれかが新種のウイルスを開発してたれ流しているという話も耳にしました。さすがにそんなことはないでしょうが」
部室にくるなり開口一番に咲が報告したのはまことしやかにささやかれているいくつかの流説のことだった。それを聞いた会長は眉間にしわを寄せながらうさんくさそうな声音で反応した。
「なんで野球部が呪われなくちゃならないのさ」
「日々グラウンドを占拠されている恨みだとか、他校の生徒がやっているとか――なんとか」
「それで風邪をひかせる呪い? ずいぶんショボクない?」
「あたしに言われても困ります。どうせどこかの適当な人が面白半分に流したうわさでしょうし」
「ふむ――」
会長は顎に手を当てて考えこむそぶりを見せた。
すこしのあいだ、まるで浮遊する微粒子を見つけようとするかのように宙に視線を投げてから、すっくと立ち上がる。
「探偵同好会の出番かしらね。副部長、ホワイトボードを持ってきて」
「はいよ」
めずらしくやる気を出した会長の言葉に苦笑しながらも、律儀にボードを引っ張ってくる。
他の会員たちを席につかせ、会長の高倉みなみはニヤリと不敵な笑みを浮かべながら黒マジックのキャップを外した。
「さて――。久しぶりに探偵同好会にふさわしい事件が起こったんだからね、みんなやる気だしていくよ」
「ついに活動ですね、会長」
結衣が瞳をかがやかせながら言った。
「うちは会長ではなく部長だからね、結衣ちゃん」
「会長、どうしてただの風邪が事件になるんですか?」
訂正したそばから神崎が手をあげて聞いた。会長は複雑な表情をしながらも、気を取りなおしてホワイトボードに向き合った。
「いい質問ね。なぜ風邪ごときで――まあ呪いという噂があるにしろ――探偵同好会が出動しなければならないのか」
「たんに暇だからだろ」
副会長がぼそりという。
会長は般若のような形相でにらみつけた。
「そこ、うるさい」
「すみませんでした」
「よろしい。ところで結衣ちゃん、うちの言いたかったことはわかるかな」
気をとりなおして会長が指名する。
立ちあがった拍子に思いきり椅子をけりたおす結衣。あわててひっくり返った椅子をもとに戻してから口を開いた。
「副会長が空気の読めない人だということですね」
「それもそうだけど――、いや、それもすごく言いたいことなのだけれども。うちらが調査に乗りだす理由はなにかってことを聞いたの」
「あ、そっちでしたか」
どっちなんだよ、とため息をつく副会長。
「それは会長も言ったとおり、明らかに不自然な病気の流行だからです。なぜ梅雨という時期に野球部ばかりが感染するのか、なぜ予防を充分にしているにもかかわらず風邪をひくのか――そのあたりが不可解ですね」
「ざっつらいと!」
親指をつきだす会長に、笑顔でこたえる結衣。変な構図ができあがったな、と神崎は思った。
「ここまで不自然だと呪いという話を信じたくなるかもしれないけど、そんなはずないからね。必ず事件の裏には人為的な力が働いている。それをつきとめるのがうちらの仕事なんだから」
「いや、呪いなんじゃないか」
急に副会長の両目がかがやきだしたのを結衣は見逃さなかった。
「古来、平安の昔より呪いという概念は継承されつづけているわけだ。日本だけではない、世界中に呪術に関する伝説があるんだ。これほどまでに呪いが広まっている理由はただひとつ。呪いが実際に存在するからだ。現代科学では解き明かせないことがたくさんあるが、呪いもそのうちのひとつなんじゃないだろうか。解明されていないからといって信じないのは、探偵としての心眼をくもらせることにも――」
「わかった、わかった」
とりつかれたような勢いで語りだした副会長を強引にさえぎって、会長が割ってはいった。
内心ではもう少し聞いていたかった結衣が残念そうな顔を見せる。
「あんたのオカルト好きも知っているけど、呪いで片付けたらその後がないじゃない」
「呪いの犯人をつきとめればいいじゃないか」
「どうやって?」
「うちに霊能力に関する本がごまんとある。それを参考にしながら五寸首の刺さった藁人形でも探せばいいんじゃないか」
「あたし夜の神社とか学校には行きたくないです」
「あ――、おれも遠慮したいです」
咲と神崎がそろって辞退する。副会長はとても不満そうな表情だったが、会長が話をつづけた。
「とにかく! うちらはこれから『野球部連続風邪事件』についての調査をするからね」
「会長、もうすこしネーミングセンスのある名前にしましょう」
神崎が異論をとなえる。会長はまゆをひそめた。
「たとえば?」
「そうですね――『マネージャーは見た! 6月の高校球児にふりかかる未知のウイルス、雨のなかに伝染する病気の謎』なんてどうでしょうか」
「一時間たったところで出てくる人が犯人ね、きっと」
「母の録画しているやつを毎晩見ているんですけど、けっこうハマりますよ。どうですか会長も」
「うちは遠慮しておく」
「じゃあ、児玉は」
「あたしもムリ」
「白谷さん」
「途中で寝てもいいのならお付き合いします」
「はあ……」
悲哀のこもった大きなため息をつく神崎。副会長を誘わなかったのはわざとだろうか。
「『水無月の呪い事件』でいいじゃないか」
「『霧ヶ丘高校、連続殺人事件』がいいと思います」
「やだ! 部長権限で『野球部連続風邪事件』だから!」
この同好会にはまともなセンスをしている人はいないのだろうか。咲はこっそり文庫本のカバーを外して、そのタイトルを確認した。だいじょうぶ、あたしは平常だ。
百年も雨が降っていない砂漠よりも不毛な議論が、降りしきる6月の雨のなかで延々とくり広げられた。
すこし文体が変わっているかもしれませんが、お許しください。
本を読むごとに影響されてしまう体質です。