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怪異

 自分たちの本拠地へと帰還した探偵同好会の部員たちはみな疲れ果てた表情をしていた。

 なかでも会長と結衣の顔色があまり良くない。そばで見守っておきながら、会長もしっかり怖がっていたようだ。

 咲だけがひとり、脅えた様子を見せていない。さきほどからずっと動く10円玉に乗せていた人差し指をながめている。まるで自分の一部でない物を観察するように、しげしげと。

「――今日は、これで解散かしらね」

 会長が聞き取れないくらい小さな声でいった。

 誰もうなずこうとはしなかったが、反対派もいないようだった。奇妙に静かだった。

「会長はこっくりさんを信じてるんですよね」

 咲が確認する。会長は「当たり前じゃない」と返答した。

「実物を目にしたら咲ちゃんだって信じざるを得ないでしょ。それともまだ疑ってるっていうの?」

「あたしも自分で体験したことくらいは信用しています。ただ実際にこっくりさんに出会ったわけではありませんから、まだその存在を承認することはできません」

「ずいぶん意地っ張りね」

「あたしは超常現象なんて認めませんから」

 きっぱりと言ってのけると咲は荷物をまとめはじめた。それにつられるようにして他の部員たちも帰り支度を開始する。

 いち早く鞄を背負った咲が会長に声をかけた。

「本当に今日は終わりでいいんですよね?」

「そうよ」

「わかりました」と一礼する。「また明日も部活はやりますよね?」

「たぶんね」

「そういえば、会長も副会長ももうすぐセンター試験でしたよね」

 咲が思い出したようにいった。受験生ふたりがうなずくと、二コリと微笑する。

「じゃあ、会長たちがちゃんと試験に成功するよう願掛けをしてきます。神崎、行くよ」

「え、おれ?」

 いきなり名前を呼ばれた神崎が自分を指さして訊きかえす。

「そうだよ。会長たちのためにお願いをするんだから、お賽銭を投げなくちゃダメでしょ?」

「もしかして、それをおれにやれと」

「せっかくだから憑き物も落してきちゃった方がいいんじゃないかと思って。今日はあんなことがあったばかりだし、神崎もお払いしたいでしょ」

「たしかに」

 神崎は納得しように首を縦に振った。

「それじゃ、楽しみにしていてくださいね先輩」

「しっかりお願いしてきます」

 咲のあとから神崎が出ていくと、会長たちもゆっくりと動き出す。副会長がしきりに首をひねっているのを見て、結衣が質問する。

「どうかしましたか?」

「お払いなら僕らが直接行ったほうがよかったんじゃないかなって思うんだけど」

「副会長は寄り道しないで勉強しなきゃだめですよ。ほんとうならこの時期に部活をやっていること自体、かなり危険なことなんですから」

「そうはいってもなあ――」副会長は頭をかく。「霊が実在するという意見に対する賛同者がここまで増えると、嬉しくて勉強どころじゃないかもしれないな。今夜もたぶん徹夜だ」

「そんなんだから成績が悪いのよ」

 と会長が呆れたようにいう。

「みなみだって寝るのは遅いじゃないか」

「うちは怖くて眠れないのよ。健輔みたいに他人の不幸を喜んでいるわけじゃないの。なんていったって当事者なんだから」

「わたし思ったんですけど」結衣が口をはさんだ。「αうラスの事件ってこっくりさんを呼んでしまった罰なんじゃないかなって」

「交霊の儀ってやつね。でも、なんで今更になって流行ってんのかしら」

「会長は不安じゃないんですか?」

「なにが?」

「センター試験の結果です。この点数でこれからの人生が大きく変わってしまうんですよ?」

「うちはそこまで成績悪くないから」

 会長が紺色の鞄を肩にかけながらいった。霞ヶ丘高校の校章が入った鞄は、長い間使われて来たために白っぽい傷がたくさん刻まれている。

「――けど、今は不安。この調子じゃ、どうなるかわからないもの。頭痛はするし、あんまり上手に考えられない。テストなんて無理かもしれない。健輔は常にその状態かもしれないけど」

「僕は僕なりに頑張っている。問題ない。と思いたいな」

「αクラスのみなさんもそう思っていたんでしょうか」

 結衣が立ち止まって質問する。

 副会長は天井を見上げた。

「αクラスは優秀な人間ばかりだからな……楽勝なんじゃないか?」

「それは副会長と同じレベルの目標を立てていた場合の考えです。αクラスのみなさんはもっと偏差値の高い、難しい学校を志望していることでしょう。それこそ学校側からの期待、親からの期待、周囲の視線、それから同級生に負けたくない、恥ずかしい思いをしたくないという様々な重圧がのしかかっているんじゃないでしょうか」

「それはたしかに、そうかもしれないな。想像がつかなかったが」

「藁にもすがる思いで過ごしていたなかで、誰かがこっくりさんのことを思い出したのだと思います。そして合否のことかもしれませんし、他のなにかかも知れないですが、すこし質問してみようということになりました。それは瞬く間にクラス中に広まって、全員が参加してしまった。わたしは、そんな風に思います」

「――ひょっとすると、それが真実なのかもしれないわね。なにかに頼ろうとしてしまった弱さを、こっくりさんは怒ったのかしら」

「もし本当にそうだとしたら」結衣は目を伏せる。長いまつ毛が何度かまたたいた。「あまりに残酷な仕打ちですね」

「そうね。触れてはいけない物に触れてしまったということかしら。こっくりさんに頼るべきではなかったのよ。自分の未来は、自分でたしかめなきゃいけないのよ」

「けど、あの程度ですんだのならまだよかったんじゃないのか」

 副会長がつぶやいた。

「全員が手を骨折する、なんてことにはならなかったわけだし。呪いなら誰かが死ぬような事態になってもおかしくはない。軽度の呪縛でよかったよ」

「果たしてそうなんでしょうか。呪いはこれだけなんでしょうか」

「答えは誰にもわからない、か――こっくりさんを除いては」

 会長は天を仰ぐと、ドアをぬけて部室を後にした。

 残ったのは冬の暗闇ばかりで、空にはもう夜が訪れかけていた。

 帰り道は街灯が寂しげに弱々しい光を発しているだけで、会長と副会長、それに結衣を加えた3人以外に人影はない。

 まだ星も見えないくらいの時間帯。

 不思議なくらいに静かな帰路を、時折吹く風だけがからかっていく。

「会長前に言ってましたよね、事件をハッピーエンドに解決するのが名探偵の仕事だって」

「今回もそうだっていいたいの?」

 会長が結衣の意見を察して先まわりする。結衣は小さくうなずくと

「でも、どうやったらハッピーエンドになるのかわたしには分かりません。犯人はいない、ある意味では自業自得の出来事です。ここに探偵の出る幕はあるんでしょうか」

「さあ――うちにもさっぱり見当がつかないわ」

 会長は道ばたに落ちていた空き缶を発見すると、思い切り蹴飛ばした。放物線をえがいて飛んだ空き缶は痩せこけた電柱にぶつかり、地面に落ちる。カランカランという乾いた音が聞こえた。

「けど、それをどうにかするのが探偵同好会ってやつかもしれないわね。うちらはただの同好会にあらず、その実態は学校を影から支える名探偵」

「――なあ、あれ」

 会長が独り言にひたっていると、さきほど蹴飛ばしたばかりの空き缶を凝視しながら副会長が肩をたたいた。なによ、といいかけて副会長の視線を追うと、ゆらゆらと見えない糸につりさげられているかのように空き缶が浮き上がっている。

 見間違いだろうかと思って結衣を見やるが、会長と同じように目を見開いている後輩の姿が現実であることを物語っていた。

 再び空き缶に視線を戻す。

 やはり浮遊している。会長は一歩後ずさって、副会長のうしろにかくれた。

「なにあれ?」

 声がふるえている。結衣も副会長の背中の影に入る。

「こ、こっくりさんの呪いなんでしょうか」

「どうしてうちが呪われなきゃいけないのよ。いけないことなにもしてないじゃない」

 会長は泣きそうな声で弁解するが、空き缶は宙に浮かぶ感触を確かめているかのように電柱のまわりを動き、そしてゆっくりと副会長のほうへ向かってきている。

 空き缶にのり移った得体のしれない何かと呼応するように、今まで静寂を守ってきた植木や電線が不気味な音をかなぐりだす。驚いたカラスが鳴きながらどこか遠くへ飛んでいく。あたりに人はいない。空はどんよりと暗い。

 オレンジジュースの空き缶は手繰られるように副会長の足元まで浮遊して来ると、そこで静止した。

 会長と結衣が思いきり副会長の背中を引っ張る。副会長が転びそうになりながら後退すると、磁石のように空き缶は追いかけてくる。

 缶に描かれているのは擬人化された蜜柑。ニタリニタリと笑みを浮かべている。

「なんで動いてんのよ!」

 会長は副会長の分厚いコートのはしをぎゅっと握りしめる。

 怪異を前にして副会長の大きな体はあまりに頼りなかった。だが、それ以外に身を隠す場所がないのも事実だった。

 小刻みに震える身体。寒さからではない、震え。

 全身を鳥肌が駆けめぐる。背筋は凍りついたように冷たい。

 心臓の鼓動は破裂を望んでいるかのように激しく、荒い。体中の血管が破れんばかりに波打っている。

「か、会長ぅ」

 結衣は副会長のうしろに身を潜めている会長のうしろにまわって空き缶との距離を取った。

 会長の背中からのぞき見ると、空き缶はまだ浮かんでいる。

 周囲の騒音が大きくなる。風がスカートを乱暴にはためかせる。が、中身の空っぽになったオレンジ色の缶は、凪のなかにいるかのように動かない。

 オレンジ色の蜜柑が描かれた空き缶は、いまだに副会長の前で立ち往生している。

 その様子はまるで、これからどうやって始末しようかと舌舐めずりしながら思案しているかのようだ。

「お経よ! お経を唱えればたぶんどうにかなるわ!」

 悪霊退散、悪霊退散……と会長は目をつぶって詠唱する。

 副会長が「それはお経じゃない」とつっこむ間もなく結衣も一緒になって悪霊を退散させようとする。ふたりともパニックになって南無阿弥陀仏というフレーズを思い出せないらしかった。

 突風にかき消されそうな声が力なく響く。叫ぶような轟音が鼓膜を突き破らんと叫びたてる。

「く、来るな!」

 副会長が悲痛な叫びをあげるが、空き缶は飛ぶのをやめるどころか、徐々にその高度をあげはじめる。副会長の膝あたりから胸の前、そして視線が合わさる高さを超えて、身長を完全に抜かす。

 障害のなくなった空き缶はゆっくりと会長のほうへ向かって降下を始めた。

「悪霊退散、悪霊退散、悪霊退散――」

 目を閉じているために空き缶の存在に気がつかない会長は、必死に間違ったお経をくりかえしている。

 周囲の騒音がさらに膨張する。

 かすかに鴉のしゃがれた鳴き声が聞こえる。老人があざ笑うかのような、声。

 まるで台風が訪れたかのような喧噪。空き缶が近付くのと呼応するように、あたりのざわめきは強まっていく。

「こ、こんなもの!」

 会長の頭上に迫った空き缶を副会長が叩き落とそうと腕をひくが、そこから動かすことができない。見えない力に縛り付けられているかのようだった。

 その感覚を、副会長は覚えていた。ついさっき経験したばかりの感触に似ている。10円玉が自分の意思とは関係なく勝手に動きまわる、あの奇妙な感覚に。

「みなみ、上だ!」

 副会長が声を発する。

 会長は目を開いて頭上を見ると、すぐさま頭を抱えてしゃがみこんだ。

「なんでこんなことになるのよ!」

「会長、わたしがいま、助けます! しょ、しょせんは空き缶です、こんなもの!」

 結衣が甲高く叫んで、学生鞄を野球のバットのように振りまわす。副会長とは違って乱暴なスイングから繰り出された紺色の鞄は、見事に空き缶をとらえた。

 勢いよく浮遊する空き缶が吹っ飛ばされる。

 地面にたたきつけられたオレンジジュースはアスファルトの路面を転げまわると、最初にあった電柱の根元でおとなしくなった。

 何事もなかったかのようにただの空き缶へと変貌する。

 気付けば空気はまた静かなものへと戻っていた。耳が痛くなりそうなほどの静寂のなかに、緊張と恐怖からくる荒い呼吸音が聞こえる。

「や、やったか……」

「なんでこんなときに限って復活フラグを立てるのよ、この馬鹿!」

 副会長の背中をどつく会長の声は、すこしばかり安心したように思えた。

 いつでも逃げられるように上体を反らしながら副会長は空き缶をつま先で転がす。蜜柑のイラストが描かれた空き缶は自然の摂理にしたがって、わずかばかり動いた。

「なんにもないみたい、だな」

「ホントに?」

「疑うのなら自分で確かめてみるといい。大丈夫だ、たぶん」

 胸をなでおろす副会長。

 結衣は空き缶をはじき飛ばした鞄に霊が乗り移っていないか調べるようにしばらく上下にゆすっていたが、教科書がぐちゃぐちゃになるだけだと気づいてやめた。

「本当にただの空き缶だな」

 副会長が動かなくなったオレンジジュースの容器をながめながらいう。

 それは命を失ったかのように微動だにしない。会長の背中に、いやな悪寒が走った。

「もう、帰りましょ。結衣ちゃんもはやく。ここにはきっと、良くない気が澱んでいるのよ」

「わたしも、神社に行った方がいいでしょうか」

 鞄を胸に抱えて結衣がきく。

 彼女の両目は思い出したように潤みはじめている。

「そうね、それがいいかもしれないわ。とりあえず咲ちゃんと誠くんにお守りをもう一つもらえるように頼んでみたら?」

「そうします」

 携帯を操作し、神社に向かっているであろう神崎と結衣にメールを送る。間に合えばいいけど、と結衣は思う。もしすでに神社を去っていたら、明日にでもお祓いをしてもらおう。

「……さ、はやくしましょ」

 会長がせかす。

 三人は足早にその場を離れた。副会長がふと後ろを振り向くと、空き缶が風に吹かれてカラカラと転がっていた。


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