魔女
「やはり霊はいるんだ。『αクラスのこっくりさん』事件がそれを完全に証明している。これほどまでに強力な証拠がこれまであっただろうか、いや、ない。みなみも児玉くんも反論しようがないだろう」
挑発するように副会長がふたりに訊く。
αクラスをおそった事件は全校生徒の知るところとなり、もちろん探偵同好会が話題の怪事件を無視するはずもなく部室で会議ということになったのである。
「とはいってもねえ」
いつもはハイテンションな会長はあまり乗り気ではなさそうだ。
興奮した様子なのは副会長だけである。咲と結衣は沈黙し、神崎は困ったように推移を見守っている。
「霊の仕業に見せかけたトリック、っていうなら話は別だけどうちの学校にそんな大業なことをやってのける催眠術師や知恵者はいないのよね、残念ながら。第一うちは催眠術すらも怪しいと思ってるのよ。胡散臭いテレビ番組でしか見たことないもの、あんなの」
「催眠術だって立派に科学的に検証されているんだぞ」
副会長が胸を張って主張する。
「あー、わかったわかった。全部はプラズマのせいよ、それでいいでしょ?」
「なんだその適当な返事は。それにプラズマ説なんて古い物を……」
「とにかくうちは霊現象になんてこれっぽっちも興味はないの。今はいかに『αクラスの犯行』を人為的なものだったと証明するかが問題なのよ。一見まやかしのような事件だけど、きっと裏には誰かの陰謀か事情が絡んでるはずだわ。この世はだいたいそんなふうにできてるのよ」
「みなみの性格も誰かの陰謀なのか」
「なに?」
蛙を睨みつける蛇のような視線を副会長に突き刺す。
失言を悟った副会長は首をひっこめた。
「誠くん、この事件を探偵的に解決するならどうすればいいと思う?」
急に話題を振られた神崎はあわてて椅子から立ち上がる。授業中に居眠りをしていて、教師から注意された時のような反応だった。
「お、おれは幽霊とかの仕業じゃないと思います」
「ふむふむ、それで?」
「だからきっと――なるべく競争相手を減らそうと画策した誰かが、教室に薬剤をまいたのではないかと。一瞬で眠らせてしまうような薬を」
「思いつきにしては中々のものね」
会長が合格点を出すと、神崎は安心したように着席した。探偵同好会で神崎が最も恐れるのは会長なのだ。ちなみに副会長はもっとも怖くない人物である。
「でも、それだと先生が眠らなかった理由がわからないわ。最前列の席でさえ効果が及んでいたなら当然、教室にいた先生にも作用が働くはずよね」
「成人未満にしか利かない分量だったのかもしれないです」
神崎が食い下がる。
会長は感心したような顔をして、神崎を褒めた。
「あらゆる可能性を想定するのは悪いことじゃないわ」
「ありがとうございます、会長」
「でも甘い。高校3年生にもなれば体格、体重はほとんど成人と変らないわ。むしろ勝っている人もちらほらいるしね。そのギリギリの境界線を見極めるのはまず不可能と思っていいんじゃない?」
「――じゃあ、薬のセンはなしですか」
「落ち込まない。着目点は悪くなかったわ。生徒だけに共通するなにか、というのが分かれば解決への糸口がつかめるかしらね」
会長はそれから咲を横目に見たが、ロクな反応は帰って来ないだろうと判断して結衣に話を向ける。
「結衣ちゃんは?」
「わたしは――こっくりさんの、仕業だと、思います」
捻りだすように言葉を区切って、結衣はうつむいた。
まるでなにかにおびえているかのような仕草。
「結衣ちゃん、もしかしてあなたこっくりさんにトラウマがあるとか? いやなら別に強要はしないけれど」
不審に思った会長が心配してをかける。
黒い髪の下にかくれた結衣の顔色は、優れているとはいえなかった。
「その、こっくりさんではないんですけど」
「うん」
「この学校にはなにかがいるような気がするんです。――みなさんがわざとわたしに意地悪しているのでなければ、わたしが夢でも見たのでなければ、たぶん」
「……なにかあったのね」
「でも会長は覚えてないんですよね。合わせ鏡の話」
「鏡?」会長は小首を傾げた。「それが問題なの?」
「ともかく、わたしはこっくりさんのせいだと思います。昔にもそういう事例はたくさんあったみたいですし」
「事情はよくわからないが、とにかくこれで味方ができたな」
副会長が鼻の穴をふくらませながら勝ち誇ったようにいう。会長は冷たいまなざしを向け
「まだ半数に達してないのわかってる?」
「もちろんだ。あとは児玉くんが――児玉くんか、はぁ」
ようやく現状を把握したらしい副会長が盛大なため息をつく。当の咲はめずらしくオカルト関連の本を読んでいるが、あまりおもしろくなさそうにページをぱらぱらとめくっているだけだ。
面倒くさそうに本を鞄にしまって、咲は口を開いた。
「一応いっておきますけどあたしは霊なんて少しも、微塵も、わずかたりとも、ミジンコほども、副会長程度にも信じていませんから」
「ちょっと待てそれはいったいどういう意味――」
「この『αクラス事件』の犯人、先生ではないかと思います」
副会長の言葉をさえぎって咲が推理を展開しはじめる。会長は興味心身に身を乗り出した。
「それでそれで?」
「彼が犯人なのだとしたら話は簡単です。予防策を講じることができますから、さっき神崎の言っていたように薬なり、ほかの仕掛けなりで生徒を眠らせることができます。ただ」
「動機がないですね」
結衣が静かに口をはさんだ。
咲は頷いてから
「なぜ教える立場の教師がそんな七面倒なことをするのか、まったく理由が見当たりません。まあ、こじつけの推理なので穴はたくさんあると思います。なんらかの個人的な恨みがあった、などの理由以外に可能性は薄いですね」
と結衣に賛同する。
「勉強したくなくてみんな寝たふりをしたんじゃないのか?」
副会長が手をひらひらと振りながら発言する。
「健輔じゃないのよ。自分の首を絞めるような真似はしないわ。なんなら絞めてあげましょうか」
「そういうプレイが好きなんですね、会長」
「咲ちゃん、あまりハシタナイ言葉を使うものじゃないわ。それは結衣ちゃんの役割よ」
「あ、すみません」
結衣がぺこりと頭を下げる。
「間違ったわ。あなたも自重しなさい」
「えー」
「えー、じゃないわよ。正しくない方向に進んでるわよ、確実に」
「会長がいけないんですよ。不埒な姿を見せるから」
咲がなじる。会長は眉をひそめた。
「まだそんなことしてないでしょ」
「まだ?」
咲がここぞとばかりに言葉尻をとらえる。会長はあ、と口をおさえた。
「どういうことですか会長。もしかしてなにか進展が?」
「キスですか、それともそれ以上ですか? ABCでいうとどのくらいですか。わたしすごく興味あります」
「うるさいわね、なにもないわよ!」
「結婚のご予定はいつですか。式にはあたしも呼んでくださいね」
「お子さんの名まえはわたしに任せてください。きっと素敵な名前にしてみせますから」
「あーもう、なにもないってば! あんまりしつこいとお化けが出るわよ」
会長が結衣に脅しをかけるが、へこたれた様子はまったくない。むしろ元気になったようだった。
「会長のお化けですかね。愛の逃避行のすえにふたりで雪山で遭難してしまったとか」
まくしたてる結衣と咲をうかがいながら、副会長は顔を真っ赤にして後ろを向き、神崎は照れ臭そうにため息をついたのだった。
ちょうど日の光が当たる窓際、後ろから3番目という席に座って授業を受けている会長は、黒板に書かれた内容を板書するよりも襲いかかる眠気と戦うのに必死だった。
うつらうつらとまどろみながら禿げた国語教諭の声をぼんやりした頭で理解しようとする。だが単調な古典の解説は、まるで子守唄のように多くの生徒を夢の世界へといざなっていた。
眠い。
抗いようのない睡魔が会長のまぶたを下させようとする。
目を閉じると心地の良い感覚が体全体を包み、思考がゆっくりと停止しはじめる。
いいや、寝ちゃおう。
会長が抵抗の意思をなくしたとき、唐突に意識は途切れた。
――夢を見ている。
会長は、ふと、そう思った。理由はどうしてだったろうか。子供のころに何度か行ったことがある神社の境内に腰かけていたからかもしれない。今はまだ授業中だったはずだ。
木の板のざらざらした手から感触が伝わって来る。それから甘いキャラメルのような匂い。どうしてだか神社の柱からは、いつも懐かしい甘い匂いがしていた。
「こっくりさん、こっくりさん」
女の子の声がする。会長が声のした方を向くと、淡いピンク色のスカートを履いた少女が10円玉をおはじきにして遊んでいた。
少女の顔には見覚えがあった。
「昔の自分か――」
会長は境内から飛び下りると、自分が制服を着ていることに気づいた。夢の中くらい律儀に制服姿でなくてもいいのに。
「なにしてるの?」
少女にたずねる。幼稚園を卒業したばかりといった幼い昔の会長は、錆びた10円玉をかかげて答えた。
「こっくりさんを呼んでるの」
「こっくりさん?」
たしか小学生のときくらいに流行った遊びだったはずだ。周りの友達たちがとりつかれたように白い紙を囲み、黒い10円玉を無表情で見つめていた光景がこわくて、やったことはなかったのだけれど。
少女はそんな会長の過去も関係なく、無邪気に笑って硬貨を会長の手に握らせる。
「あなたもやってみる?」
外見とは裏腹に大人びた声。さっき聞いた声とは完全に違うものにかわっていた。まるで別人になってしまったかのように。
しかし容姿は幼いままの小さな会長は、高校生の会長の手首をうっ血するほど力強くつかんだ。少女とは思えぬ異常なまでの力に、会長はとっさに恐怖を覚えて逃げ出そうとするが、つかまれた手首は釘で打ちつけたように動かせない。
少女はさらに力を込める。腕が千切れてしまいそうだった。
「わかった、わかったから離して」
「こっくりさん、やるの?」
「そうだってば! だから離して!」
少女はにこりと嬉しそうにほほえむと会長の腕を離した。いきなり万力のような力から解放されて、会長は廊下に尻もちをついてしまう。見ると、手首にはくっきりと手形のあざが刻まれている。
「さあ、早くやろう?」
友達を遊びに誘うみたいに少女がいう。
会長は恐るおそる立ち上がると、少女が遊んでいた10円玉の上に指を乗せた。
「こっくりさん、こっくりさん」
歌うように節をつけて、少女も指を乗せる。
「こっくりさん、こっくりさん、あなたは本当にこっくりさん?」
力をまったく込めていないのに輝きの失せた10円玉は導かれるように「はい」と書かれた部分へ向かってゆっくりと動いて行く。
背筋に異様な気配を覚えて、会長が背後を振り返ろうとするが、目を離すことを許さないように指を乗せた10円玉から視線をそらすことができない。
「だめだよ。こっくりさんが怒っちゃう」
「……怒ると、どうなるの?」
「ずっと私と遊ぶの。死ぬまで、死んでからも、ずっと、ずっと」
屈託のない少女の笑顔に戦慄する。こっくりさんなんて、一度もやったことがなかったのに。
少女はそれからも他愛のない質問をくりかえし、そのたびに楽しそうに笑う。会長はだんだんと背部に感じる禍々しい気配が強まっていくのに気付いた。
そしてそれと同時に、強烈な異臭が鼻をついた。腐った肉に、鮮血を浴びせかけたような腐臭と鉄の匂い。神社の甘い香りはどこかに追いやられ、意識がもうろうとしそうなくらいの刺激臭が漂う。
「息を止めてもいいよ。どうせすぐに苦しくなるから。べつにあなたが死んでいても生きていても、私には関係のないことだし」
「うちは――死ぬの?」
「まだ生きてるよ」
少女はそう答えたきりで、死なないよ、とはいわなかった。会長は泣きそうになるのをこらえながら、少女が質問を重ねるままに10円玉が動いて行くのをながめる。
どうしてこんなことに。
こっくりさんてしたこともない、呪われる理由もないのに、どうして。
そうして恨み事を述べていると突然にこれが夢だったことを思い出した。吹っ切れたように明るく笑いだす。
「どうしたの?」
少女が首をかしげる。怖い物がなくなった会長は、過去の自分をまじまじと観察する。写真で見た自分にそっくりだ。でも、こんなに冷たい目をしていたっけ。
「あんた、よく似てるわね」
「当たり前だよ。だって私だもん」
「夢にしては、だけど」
会長が小馬鹿にしたようにいうと、指を乗せた10円硬貨が見えない力に引き寄せられるようにして「いいえ」を指し示す。
いやな汗が、会長の額を伝った。
「夢なんでしょ? だったら怖くもなんともないじゃない」
「こっくりさんは、違うっておっしゃっている。だから夢じゃないよ」
「だってうちは、今古典の授業中で――」
「ホントにそうなの? それは夢じゃない?」
「でも――」
「もしもあなたが見ている世界が夢なら、あなたは目覚めなければいけない。けどその前にこっくりさんにお伺いを立てなきゃ。『こっくりさん、こっくりさん、お離れしてもよろしいでしょうか?』って」
「……こっくりさん、こっくりさん、お離れしてもよろしいでしょうか」
会長が一言ずつ、絞り出すような声で復唱する。
だが、10円玉に反応はなかった。
「駄目だって。あなたはこっくりさんに感謝していない、信じていないから」
「そんなの関係ない」
指をひきはがそうとする。
力は入っているはずなのに、紙上に固定されてしまったかのような10円玉から離れることができない。空いてる片手を添えて引っ張ってみても、肉を裂くような痛みが走るばかりだった。
「どうしてっ」
「こっくりさんが駄目だっておっしゃってるからだよ。あなたは私とずっと一緒」
「やだ、離してっ!」
「あなたは私、私はあなた。だから離れるなんて無理だよ? こっくりさんはあなたを逃がさない」
「これは夢でしょ、だったらはやく覚めて」
「――仕方ないなあ。あなたがそう望むのなら、あなたは戻りたいと思っている世界に帰ることができる。でも忘れないで、私はあなたと一緒にいる。そして、こっくりさんも」
少女がほほえみかける。
唐突に体が痙攣して、会長は夢から覚めた。
相変わらずつまらない声で教師は授業を続けている。よかった、ほっと胸をなでおろそうとして体が動かないことに気づく。
なぜ、どうして? パニックになりかけながら懸命に会長は手を伸ばそうとするが、それすらもかなわない。
混乱する。動揺する。そして、慄く。
「――そして、こっくりさんも」
と後ろから少女の声がしたような気がして。
会長は起き上がることができないまま、うつぶせに硬直していた。