推理の前座
その翌日も放課後になると真夜中を迎えたシンデレラのように生徒会の姿はこつ然と消えてしまった。副会長は自分の眼で、朝井が学校にいないのを確認してから渡り廊下をぬけ、旧校舎にある探偵同好会の部室へ向かう。
いつもなら息切れをする階段が気にならない。ある考え事がぐるぐると脳裏で渦巻いているからだ。
「こんにちはです!」
部室に入ると、結衣が実にわかりやすいリアクションを示す。
副会長は軽く頭を下げてから神崎に視線をやる。元野球部員はわかってますよ、という感じで笑みを返す。
「みなみはまだ来ていないのか」
会長の特等席であるホワイトボードの前に荷物は置かれていない。最近は毎日のようにトップバッターで部室に駆け込んでいたのだが。どうせおやつでも買っているのだろう、と副会長は見当をつける。
ピカピカ光るクリスマスツリーの横では咲が座って本を読んでいる。
「心配なら探してくればどうですか」
顔をあげずに咲がいう。その口調はいたって平坦だ。
「すぐにやって来るさ。わざわざ探しに行く必要もないだろう?」
「どこに行ってるか気にならないんですか」
「購買部かどこかだろ、きっと。いつもみたいにいちばん最後に顔を出した方がみなみらしい」
「そうですか」
抑揚のない声で答えると咲は口をつぐんだ。
咲の横にいた結衣が長テーブルから身を乗りだし、副会長に顔を近づける。
「副会長♪」
やけに機嫌がいい。その理由は明白だったが、当の本人はあまり喜んではいなかった。
すこし顔をそらしてから注意する。
「もう少し普通に振る舞えないのかい? その様子だとすぐに感づかれるぞ」
「大丈夫ですって。会長が来たらいつも通りの演技をしますから」
「演技ではなくて普通にしていてくれればいいんだけど――」
会長が勢いよくドアを開けて入って来る。
結衣はあわてて近づけていた顔を引っ込める。その光景をちらりと見やってから
「なに? キスでもしてたの?」
とこともなげに聞いた。
「そんなわけないじゃないですか。会長とは違いますからね」
ようやく墓穴を掘っていたことに気付くと会長は両耳を真っ赤に染めた。11月の誤解をともなうハプニング以来、こうやって何度も結衣や神崎にからかわれる。そのたびに会長が面白いように恥ずかしがるので、怒られようと追いかけまわされようとからかうのを止めようとはしない。
「あれは忘れなさいといってるはずだけど?」
「忘れようにも忘れられなくて……」
「なら、頭から強引にでも引きはがすしかないかしら」
もう慣れっこになった結衣が会長の襲撃に対して身を構える。だが、思惑と反して会長はふっと体の力を抜いた。
「こんなことをしている場合じゃないのよね。うちら探偵同好会は目先の事件を解決しないことには未来へ進めないのよ。結衣ちゃんの灰色の脳細胞を破壊し尽くしたいところだけど、はやく事件の真相を明らかにしなきゃならないから、今は見逃すことにしておくわ」
「未来永劫にですか?」
「事件が終わったら叩きのめす」
とりあえず当面の危機は去ったと見て結衣は警戒を解く。会長はさっそく部室の奥にある窓ガラスを全開にした。
尖った氷のような寒気が部屋に入り込んでくる。
『北風と太陽』の童話で北風に吹かれた旅人のように副会長はえりを立てて風邪から身を守ろうとする。だが抵抗もむなしく心ない風は副会長の無防備な顔まわりを痛めつけていく。
「寒い! 早く閉めてくれ!」
必死に叫ぶが、会長は一向に動く気配を見せない。
「空気が淀んでるとまともな思考はできないわ。空気の入れ替えよ、インフルエンザも流行っているらしいし。この生温かい部室では眠くなるわ」
「もう十分だから窓を閉めてくれ!」
「そう?」
「早く!」
会長は名残惜しそうに鍵をかけてから、ひんやりと冷たいマジックペンのキャップを外した。ホワイトボードには今までの記録がぎっしりと書きこまれていて、これ以上のスペースはない。
「さて――」
と思わせぶりな台詞を吐いたが、会長の次の言葉は意外と平凡なものだった。
「行き詰ってるわね」
「そうですね」
いつの間にか本を閉じた咲が相槌を打つ。
「誠くん、なにかないの」
「おれですか?」
「そうよ。こういうときは誰かが馬鹿やって、その挙動を見た名探偵が『これは……まさか!』みたいな感じで閃くっていうのが定番でしょ。その役目は見事に誠くんだわ」
「でも、おれ、何にも浮かばないです」
「どんとしんく、ふぃーる!」
ひらがなの発音で会長が叫ぶ。
「なにかしなさい」
「そんなぁ……」
「さあ、さあ、さあ!」
「ちょっと待ってくれ」
ずいずいと神崎にプレッシャーをかける会長を、副会長がいさめる。あまり晴れない副会長の表情に、会長は疑問をぶつける。
「なによ、難しい顔して」
「昨日のことなんだが――朝井を見かけたんだ」
「ふーん、それで?」
「あれは、おそらく、朝井はアルバイトの帰りだったんだろうと思う」
「そうなんですか!?」
結衣がすっとんきょうな声をあげる。それから、あっという顔をして口元をおさえた。
まったく隠せていない、と副会長は頭痛を感じた。とても心配だ。秘密がばれるとすれば確実に結衣の口からである。
「おどろきね。それは確かな情報なの? 人違いとかじゃなくて?」
「ああ、確実だ。しっかり顔を見た」
「アルバイトねえ――それも生徒会長が。生徒会長だけはアルバイト解禁! なんて校則あったかしら」
「ない」
「ということは、なにか秘密があるわね。うちらに話せない隠し事が」
会長は嬉しそうに口元を歪めると、ホワイトボードの雑然とした文字を一気に消し去る。また白い顔をのぞかせたボードの上に、さっそく大きく『秘密』と刻印する。
「大きな手がかりが手に入ったわ。これは確実に正解にたどり着くための重要なピースよ。逆にいえば、これさえ解ければ真実はもう目と鼻の先ね」
「どうしてそんなことがわかるんですか」
神崎がきく。
「探偵の勘よ」
「そうですか」
そそくさと会長の言葉を律儀にメモする。鉛筆が紙をひっかく音が漂った。
「アルバイトってことは、なにかお金が必要なのよね、たぶん。働くこと自体が目的だとは考えづらいわ。働くだけならボランティアをすればいい話だもの。わざわざ校則を破るようなリスクを冒すはずはないわ」
「ねー、副会長」
結衣がわざとらしく視線を送って来るが、副会長は完全にそれを無視する。
「金が必要、つまりなにかを欲しているということだ。朝井が、生徒会長が規則違反をするくらいに重大な理由があるにちがいない」
「だーから放課後になるといなくなっていたわけだ」
会長がうんうんとわかったようにうなずく。副会長はすこし驚いたように
「調べてたのか?」
「そうよ。咲ちゃんに報告されてからすこし気になってたのよね、どうしてうちらが捜査しているのに生徒会がいなくなるのかって。そうでなきゃ遅れたりしないわよ」
「僕もちょうど同じところが引っかかっていたんだ」
副会長は長い腕を組み直す。
「朝井生徒会長が放課後すぐに姿を消すのはアルバイトのためとして――他の役員たちもバイトをしているんでしょうか」
咲が疑問を投げかける。
「そう考えていいと思うわ。朝井個人ではなく、生徒会全体の問題である可能性が高いわね」
「お金と、プレゼント――」結衣がうわごとのようにつぶやく。「盗まれた分を、働いて取り返そうとしているんでしょうか。それなら説明がつきます」
「学校側から出るんじゃないかしら。いくら自分たちの責任とはいえ、校内の問題を隠蔽しようとする学校側にも問題はあるはずだし。プレゼント強奪なんていう非常識なことがあるかしら、ふつう」
「なら、なにか問題が発生して予算が足りなくなってしまったとか」
「それもどうにかなりそうじゃない。すくなくとも不測の事態だったならば、公表して、学校側に金を出させると思うわ」
朝井の手腕ならばそのくらい、簡単にやってのけるだろう。学校側も干渉できない、なにか特別な事情があるにちがいなかった。
「アルバイトしたいのなら、規則を変えればいいだけのことよね。アルバイト禁止にはかなり反対意見があるし、実際何人かは隠れてバイトしているらしいしね」
副会長がこっそりうつむいたのに会長は気がつかない。そのままあごに手をあてて続ける。
「けど、生徒会がやる理由は――」
「意外と生徒会も良い子ばっかりじゃないんですね。アルバイトするなんて。これじゃ犯人と変らないですよ」
神崎がさっぱりアイデアがひらめかず、降参だというようなしぐさをする。その言葉に、結衣が反応した。
ぶつぶつと口のなかでなにやら呟く。少しして、結衣はにっこり笑うと、ホームズの衣装をひるがえした。
「わたし、犯人わかっちゃいました」
笑顔で宣言してから、表情を引き締める。
「さて――」