会長の推理
「今回の事件はうちと健輔がマネキンの死体――まあ、死体に見せかけたものだけど――を発見することからはじまりました。現場の鍵は閉じられ、窓も閉まっていた。つまり、密室で起こった事件だったのです」
名探偵がなぞ解きをする時、敬語で話さなくてはならないというルールがあるのだと会長は常々語っている。ということは、これはなぞ解きなのだろうと副会長は推測した。
「なぜ私たちがこのボロッちい部室を密室だと認識するにいたったのか、それは部室の鍵を他人が借りることができないというひとつの事実からです。でも、現実には密室なんて面倒なものを用意するだけの頭脳をもった生徒はそうそういません。ましてや、悪趣味ないたずらをするようなやつが賢いとは思えません」
一人称まで『うち』から『私』に変わっている。会長は歩きまわる足をとめずに続けた。
「ならば、密室はどうやってつくられたのか。真相は簡単です。私たちが密室だと思うもの、それが密室になってしまうのですから」
すこしの間がある。
こういうときには相の手が必要なのだ、と副会長はとっさに判断した。声をかけなければ会長が不機嫌になるのは火を見るよりも明らかだ。
「どういうことだ?」
「つまり、勘違いだったのです。この部屋は確かに密室だったけれど、犯人にとっても密室であったとはいえなかった。そうよね、咲ちゃん」
名前を呼ばれた咲はぴくっと体をこう着させる。そして、震える声で尋ねた。
「トリックがわかったんですか?」
「トリックもなにも、犯人が部員のなかにいたなら簡単な話だったのよ。普通に鍵を借りて、さっさとマネキンを運び入れて、鍵をかけて出ていけばいい。どうしてあんな血まみれの工作をしたのかは分からないけど」
「証拠はあるんですか」
もはや追いつめられた犯人は『証拠』という単語を口にしなければいけないという暗黙の了解があるらしい。それは咲にとっても同じことであった。
「よく考えてみれば不自然だったのよ。咲ちゃん、今日は妙に口数が多いし、いつもなら首を突っ込まないところにまで割って入って来るし。うちらが密室について議論しているあいだ、いつもの咲ちゃんなら読書を中断することなんてしないでしょ」
「あれは会長たちのことを思ってです」
「服をもって帰るだとか、注意深い咲ちゃんにしては珍しく財布を落としただとか、なぜか咲ちゃんだけマネキンを見ても驚かなかったとか、いろいろ根拠はあるわよ。でも、これだけじゃ確実な証拠とはいえないわね」
「…………」
「咲ちゃん、あなたマネキンを持って帰るっていってたわよね。どうしてそんなこといったの」
「それは、邪魔になると思ったので……」
「普通マネキンはショーウィンドウにあるような重たそうなものを思い浮かべるわよね。まさか持って帰ろうとは考えもしないはずだわ。誠くんならともかく、咲ちゃんが運べるとは思えないもの。咲ちゃん、うちらがマネキンを立たせる時にもさわっていなかったし、そのあとにも触れていないのよね」
会長は、人差し指を結衣の目の前に突き付けた。
「どうしてマネキンが持って帰れるほど軽いのだと知っていたのか。それは咲ちゃんが犯人だからに他ならないわ」
「おおー」
副会長から簡単な拍手が送られる。満足そうな表情で会長は咲に近づく。
「教えてもらおうかしら、どうしてあんないたずらをしたのか」
脱兎のごとく、すばやい動きで咲はドアを開いて脱走しようとする。だが、その前に会長の不気味なほどの笑顔が行方をさえぎった。
「逃がしはしないわよ」
咲はほかに逃げ道はないものかと周囲を詮索するが、会長がふさいでいるドア以外に脱出経路がないのをすぐに悟ると、名探偵に真相を明かされた犯人の大部分がそうするようにがっくりとうなだれた。
ぽつり、と自供をはじめる。
「ほんとうは驚かすつもりはなかったんです。あのマネキン、じつは文化祭で使ったものだったんですけど誰も引き取らないものですから、あたしがとりあえず引き受けることにしたんです。でも、鞄も小さかったし、いちど部室においてから準備をして持って帰ろうと思っていたんです。洋服を着たマネキンを見ていたら、なんだか無性に殺人現場に仕立て上げたくなって。文化祭では実際そういうふうに使われていたものだったので、ナイフも刺さっていましたし、あとは床に絵の具をまけば完成だったんです。ほんの出来心でやってみたら、ことのほかうまくいってしまって、片づけるのが惜しくなってしまったので、次の部活までとっておこうかと」
「そしたら、みなみが腰を抜かしてしまったというわけだ」
「あんたもでしょうが健輔」
会長が深々とため息をつく。
「財布を盗まれたっていうウソは、鍵の持ち出し記録をごまかすため。あれを見れば、犯人は一目瞭然ですものね。それに洋服を持って帰るための大きなスポーツバッグ。物おじしない態度。全部合点がいったわ」
「すみません」
咲が深々と頭を下げる。その肩を副会長がやさしく叩いた。
「まあ、悪気はなかったわけだし、許してあげようじゃないか」
「だめよ」会長の目は笑っていない。「これから罪を償ってもらうんだから」
恐怖に身をすくませる咲の耳元で、会長が何やらささやく。
名探偵の推理を動かないマネキンだけがじっと見守っていた。
「会長からの呼び出しですってね。いったいなんでしょうか」
旧校舎の階段をのぼる結衣の足どりは軽い。部室に近づくたび、スカートがリズミカルに揺れる。
「どうせ昨日のことで怒られるんだろうけど、こっちは弱みを握ってるんだから問題ないさ」
結衣のとなりにいるのは神崎で、こちらは口元をゆがめている。整った顔立ちはつねに笑みを絶やさない。
「まさか会長たちがあんな破廉恥なことをしているなんて」
「いつかそうなるんじゃないかとは思っていたけど、過程をぶっ飛ばしすぎたな」
「強引な愛――それもいいですね」
「白谷さん、目がうっとりしてない?」
「だって素敵じゃないですか」
そんな風に会話をしながら探偵同好会の看板がさげられた部室のドアを開く。
「……え?」
人が死んでいる。
部室のまん中で、児玉咲が血を流して倒れていた。背中にはナイフが深々と突き刺されている。犯人の姿はない。
時間がとまったように動けなくなる。そして、死体がもぞもぞと冬眠から覚めるように動きだす。
「……やめ、」
いきなり背後から突き倒された。
振り向きざまに見たそれの顔は、般若の仮面をつけている。背の高い、鬼。
ふたりが倒れると、すぐ目の前に死体と血だまりがある。冷たくなった咲の顔は戦慄するほど青白い。
ドアが閉まる。
「……え?」
ドアのかげにかくれていた覆面をつけた女が、ナイフを片手に襲いかかって来た。
どうして制服のスカートをはいているんだろう、そう考える前に。
結衣と神崎の絶叫にも似た悲鳴が遠くまで響き渡った。