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奇妙な死体

人が死んでいる。

 部室のまん中で、髪の長い女性が血を流して倒れていた。背中にはナイフが深々と突き刺されている。犯人の姿はない。

「……え?」

 副会長の絶叫にも似た悲鳴が遠くまで響き渡った。



「……それで? 女々しい悲鳴を聞きつけてみれば、あんたが腰を抜かして倒れていたってわけ?」

「みなみだって驚いていたじゃないか。眼に涙をうっすらと浮かべながら――その、抱きついてきたわけだし」

「あ、あれはちょっとバランスを崩しただけで、別に抱きついたわけじゃないから! 変な誤解しないでよ!」

 顔を真っ赤にして否定する会長。耳たぶのふちまで赤く染まっている。

「だいたい健輔が悪いんじゃない、死体だ、死体だって怨霊みたいにうめくからびっくりしちゃったのよ。そうでなければこんな状況にならないわ」

「僕だって好きでこうなっているんじゃない。それに、そろそろ僕から離れてくれると嬉しいんだが。腕がしびれそうだ」

「うるさいわね、そんなに重たくないでしょ。健輔よりは軽いわよ――たぶん」

 副会長の、身長は高いがもやしのように細い体躯を見て、会長はため息をついた。

「健輔がもっとたくましい青年だったらこんなことにはならなかったのよ。これからはまいにち腕立て、腹筋、背筋、体幹トレーニングをハードにこなして。目標は誠くんを超えることね」

「それは無理という話だ。僕にそんな根気はない」

「この大馬鹿!」

 まるで子供が遊んだ後にほうり投げていった人形が重なっているような恰好で、会長と副会長は床の上に折り重なっていた。副会長が下で、会長はちょうど覆いかぶさるような体勢だ。

 ふたりの目の前にある探偵同好会の部室のドアは閉じられている。副会長が逃げようとして腰を抜かしたときには開いていたのだが、悲鳴を聞きつけあわてて駆けつけて来た会長が倒れこむ拍子に閉じてしまったのだ。

 ドアにかけられていた看板の揺れは止まっており、ふたりが動けなくなってからすでに数分が経過していることを物語っている。

「とにかくだ。はやいところどちらかが動けるようにならないとまずい。この痴態を後輩たちに見せるわけにはいかない。とくに結衣くんには絶対に見られてはいけない」

「そうね。それは同意するわ」

 力強くうなずく会長。

 かろうじで片腕をついて体を起こそうとするが、力がはいらず、すぐにまた倒れこんでしまう。倒れた先には副会長の頼りない腹筋が待ちうけている。

「ぐふっ」

 力ないうめき声が漏れる。

「あら、ごめんなさい」

 会長がわざとらしく口に手をあててほほ笑む。恨めしげな視線をむける副会長の呼吸はあらい。

「それにしても不思議なものね。まったく力が入らないわ。立てそうにもないし」

「いい加減にしてくれ、追い打ちをかけたのはみなみだろう。君がどいてくれないと僕も起き上がりようがない。全体重をもってヒップドロップをかましてくるようなことがなければ僕は今ごろ回復できていたはずだからな」

「んなわけないでしょ、健輔はヘタレ健輔のままよ。うちがなにかしようと変るはずがないわ」

「そんなことはない」

「ある」

「あっそ」

 会長がぷいと顔をそむけると、副会長はなんとか視線を向けて左腕につけられた腕時計を確認する。

「――まずい、非常にまずい」

 その針はもうすぐ結衣たちが来る時間であることを指し示していた。つまり、終業のチャイムが近いのだ。残りはもう数十秒というところである。

 律儀に足をすすめる秒針の動きが、いやに素早く感じられる。

「しっかりしてよ健輔。倒れたのはあんたのほうが先でしょ」

「みなみと大差ないだろ。這ってでもいいから離れたいんだが四肢が動かない。金縛りにあったみたいだ」

「筋肉が足りないのよ、筋肉が」

「なら、みなみがどうにかしてくれ」

「か弱い女子になにを期待してんのよ。あんたいちおう男でしょうが」

 いい争っていると、授業の終わりを告げるチャイムが無情にも鳴った。いつもは早く聞きたくてしょうがない音が、今ばかりは死刑宣告のようにも思える。

 たまたま3年生の授業が早く終わったため、一番のりを果たそうと副会長が意気込んで部室の扉をあけると、見慣れない血まみれの死体が目に飛び込んできたのだ。驚いた拍子に腰を抜かして尻もちをつき、そのまま動けなくなってしまった次第である。

 さらにいつもなら遅れてくる会長も、まだ授業中のため購買部が開いていないということで早めに部室に向かっていたのだが、どこかで聞いたことのあるような悲鳴を耳にしてあわてて駆けつけた。

 そうして副会長と同じ顛末を迎えたというわけである。

 だから本来の時間通りに結衣たちがやって来るのはごく明白であり、いくら時間にルーズな部活とはいえ誰かが部室にやって来るという事実はすぐそばに迫っていた。

「まいったなあ」

 副会長がぼやく。

 どうにかしなければならないのは分かっているが、どうしたらいいのか分からないといった感じだ。ずれた眼鏡を戻すこともできない。

「ああもう!」

 会長がわずかに動く手足をじたばたと揺らすが、とくにこれといった成果もなく結果的に副会長の着ているダッフルコートのボタンをはずすだけであった。

 さらに、すこしだけスカートがめくれ上がり、会長の白い太ももがあらわになる。

 そのことに気づいた会長が懸命に隠そうとするが、被害はさらに大きくなるばかりだった。もうやめてくれ、と副会長の懇願する声。

「だって、これじゃうちが変態みたいじゃない!」

「不可抗力だ! 僕もみなみも変なことはしていない」

「そんなこと知ってるわよ、けど誰かが来たら絶対に勘違いするでしょ。しかもうちが健輔を襲ってるみたいじゃない、この格好は」

「実際にそうだろう、みなみが追い打ちをかけたんだから」

「いや、そんなの絶対にいや!」

 ぼとん、とかばんの落ちるにぶい音がした。眼を大きく見開いて会長と副会長が音の正体を見上げる。スラックスの黒い裾が目に入った。

「……あ、すみません。邪魔しちゃったみたいです。おれはなにも見てませんし、聞いてませんから。どうぞごゆっくり」

 神崎がきびすを返してその場を立ち去ろうとする。

 声がみょうに上ずっていた。

「違うの、誠くん! お願いだから話を聞いて!」

「いえ、おれは関係ないです。さすがに廊下でそういうことをするのは、ちょっとどうかと思いますけど。ふたりが合意しているならいいんじゃないですか」

「そういうことじゃないんだ。頼むからはやまらないでくれ」

 副会長が必死に手を伸ばそうとするが、体が動かない。

「せめて部室のなかのほうがいいと思います。廊下は目立ちますから。では」

「待てっていってるでしょ! これには事情が」

「あまりに副会長が奥手なので会長がしびれを切らしてしまったんですよね。わかります。そのくらい強引じゃないと進展しませんもんね」

「誠くん、僕は君がなにをいっているのか理解したくないが、それが間違っていることは確かだぞ」

「副会長も、ここで頑張らなかったら男じゃないです。どうぞ大人への階段を駆け上がってください」

「結衣ちゃんみたいなことをいってんじゃないわよ。うちと健輔はそういう関係じゃないんだから」

「これからそういう関係になるんですよね。今日の部活はないって児玉と白谷さんには伝えておきますから、ごゆっくり」

「待つんだ、誠くん!」

 そのとき、廊下のかどから結衣がひょっこりと顔を出した。

 一瞬、時間が凍結したように停止する。結衣の視線が倒れている二人のからだをすみずみまで観察し終わるまで、さほど長い時間はかからなかった。

「結衣ちゃん、これは――」

「会長。わかってます。わたしはちゃーんとわかってますから。コウノトリが来ないようにだけ気を付けてください。ささ、神崎先輩、邪魔者は退散しましょう」

「そうしよう」

 会長と副会長の制止にもかかわらず、結衣と神崎は意味深なほほ笑みを残してその場を去っていった。

 空虚な沈黙がおとずれる。

 副会長が、ぼそりとつぶやいた。

「終わったな」

「そうね」

「これからどうしようか」

「このまま石像のように動かないで一生を終えるのも悪くないと思えて来たわ。健輔は?」

「死地にむかう兵士の気分だ。この戦いが終わったら結婚しよう」

「そうね、それもいいかもしれないわね」

 かわいた笑い声は、ふたりぶんだ。

「短い人生だったけど、なかなか楽しかったわ。さよなら、健輔」

「僕はもう疲れたよ、みなみ……」

「なにやってるんですか、ふたりして」

 シリアスな雰囲気が流れるなか、つららのように鋭く冷たい言葉が降ってきた。まぶたを開けなくてもわかる、咲の声だった。

「幻覚かしら」

「そうかもしれないな」

「――頭でも打ったんですか? エイプリルフールにはまだ早いですよ」

 そのときばかりは、咲の姿が観音様のように感じられた、と後に副会長は語っている。


大変長らく更新期間をあけてしまい、申し訳ありません。

こんな時節ですが、みんなで頑張って行きましょう。

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