入部
自室においてある大きなベッドにからだごと放り投げると、結衣は白い天井を見上げた。
「探偵同好会か……」
明るそうな部長(会長?)さんだった。優しそうな副部長だった。真面目そうな先輩もいた。それから、もう一人の先輩もいるらしい。
なんだか思いあたるところがあって結衣は鞄から生徒手帳を取りだすとぱらぱらページをめくった。そしてあるところで手をとめると、そこに書かれている文章に目を通し、ベッドから起き上がった。
「わたし、探偵同好会に入る」
結衣はすぐさま咲からもらった同意書に自分の名前を書き入れると、A4のクリアファイルに大事そうにしまった。
次の日の朝、結衣は学校につくなりすぐクリアファイルを片手に3年生の教室へ向かった。まだほかの学年の教室にいったことはないのですこし緊張する。心臓の鼓動の音がこころなしか激しくなっていた。
廊下にたむろしていた先輩の一人に会長のクラスを聞き、友達の輪にまじって談笑している片倉の姿を見つけると、結衣は同意書をつきだした。
「ありがとう、新入生――いや、白谷結衣。これからよろしく」
差しだされた手をがっちり握って結衣は足どり軽く自分のHR教室へと戻ったのだった。
春の陽気にも似たうきうきした気分とは裏腹にその日最後の授業はチャイムが時間通りに終わりを告げても進み、ようやくのことで先生が出ていったのは10分後だった。
慌ただしく帰りじたくをはじめる教室をしり目に、結衣は旧校舎の階段を駆け上がった。入部初日から遅刻するわけにはいかない。
中学のころの合唱部では理由がなんであれ定刻に間にあわなければ厳しいペナルティーが課された。
さすがにそんなことはないだろうが新入部員として迷惑をかけてはならない。立ちくらみがしそうな階段を上りおえると、雑然とした廊下の奥にある扉をいきおいよく開いた。
「すみません、遅れてしまって――」
荒い息をつきながら顔をあげると、副会長ともうひとり見知らぬ人が長テーブルで向かい合って座っているだけだった。会長も咲も見当たらない。
副会長は学生服の裾をまくって腕時計を確認した。
「まだじゅうぶん間に合っているじゃないか。そんなに急がなくても、僕らは運動部みたいに厳しくないから大丈夫だよ。なんといっても会長のみなみがいつも最後にやってくるくらいだからね」
「え……そうなんですか?」
副会長がにこやかにうなずく。その肩を、正面にいた男子生徒がつついた。
「もしかしてこの子が会長の言ってた超期待の超新星の超ホープですか」
「たしかにそう言っていたな。今日も同意書を持ってきたと大騒ぎだったぞ」
「えっと、白谷結衣です。よろしくお願いします」
まだ名前を聞いていないがおそらくは会長の言っていたもう一人の会員なのだろうということで、結衣は自己紹介をした。
その人は副会長とちがって体つきがしっかりしていて、昔はスポーツをしていたのだろうとうかがわせた。いや、もしかしたらいまも続けているのかもしれない。
それにしてはあまり日焼けしていないのが気になったが、バスケ部かなにかだったのだろうか。
「2年の神崎です。なんか嬉しいな、後輩ができるのって」
そう言って神崎はわりに整った顔をはにかませた。きっとモテるんだろうな、と結衣は推測した。いかにも女の子に好かれそうなスポーツマンっぽい先輩だった。それがどうして探偵同好会に所属しているのかは知らないが、きっと何か事情があるのだろう。
「ところで、活動はいつ始まるんですか? ――そのまえに、ここはいったいなにをする会なんですか」
結衣が質問する。
副会長はそれもそうだと口のなかでつぶやくと、隅のほうに置いてあったホワイトボードを移動させてきて、マジックでなにやら書きだした。
「その名の通り探偵同好会――ということだが、正直なところ不可解な事件が起こる頻度は極めて低い。つまり普段はとくにすることがないというわけだ。だが、それでは部活として成り立たない」
"事件"と大きく書かれた文字にバツ印をつける。
副会長は続けた。
「もちろん推理小説なんかを読んで推理力を鍛えるということもできる。それも重要な活動の一つだ。実際、児玉さんは家に図書館なみの蔵書を誇っているらしい。僕もそれには及ばないが、ある程度の量は読みこんでいるつもりだ」
「わたし、あんまり推理小説は読んだことないんですけど……」
「だったら神崎くんと一緒に勉強するといい。神崎くんもまだ初心者だからね」
「そうなんですか」
結衣が神崎のほうを見ると、
「いやまあ、あんまり活字って好きじゃないし」
と苦笑いをした。
「それからある程度の体力はあったほうがいいかもしれないね、僕が言うのもなんだけど」
「よくわかってるじゃないですか」
神崎が減らず口をたたく。どうやらこの同好会のなかでは先輩に対する皮肉や冗談が黙認されているらしい。あるいは咲や神崎の口が悪いだけかもしれないが。
副会長は黙って"体力"のところに丸印をつけた。
「これらはあくまでメインのことじゃなく、あったらいいという程度のことだから、そこまで気にする必要はない。いきなりランニングをはじめたりホームズを読みあさらなくてもいいからね」
「だったらメインはなんですか?」
結衣の質問をうけて副会長は満足げにうなずいた。
「よい質問だ白谷くん。うん、すごくいい」
「早く説明してくださいよ副会長」
神崎が急かす。気分を害されたのか副会長は冷たい視線を向けてから、
「つまりメインの活動というのはなんてことない日常から謎を見つけ出して解決することだ。学校側にも名目上はそういった解決を行うことで観察力を養うことだと説明してある」
「本当にそんなものが身につくんですか副会長」
神崎が手をあげて聞く。
副会長は首をたてに振った。
「きみは本気にしていないかもしれないがある程度は成長することができる。みなみの観察眼などは大したものだ。それが学問にいかせるかどうかは保証できないが、まあいつか役に立つだろう」
なんとなく無責任な感じで副会長は締めくくった。
あまりホワイトボードは使われていない。たぶん用意したはいいもののさほど必要ではなかったのだろう。結衣は咲が副会長のことを頭がわるいと評していたのを思い出した。
その理由はこの辺にあるのかもしれない。
見た目はすごく賢そうな人なのに――と、結衣は残念に思った。
そのあといくつかの値引きされた菓子パンを抱えた会長がやってきて、それから咲が本を片手に姿をあらわした。なんでも図書委員の仕事を兼任しているため、こうやって時々遅れてくるらしい。
会長のほうは購買のタイムセールをねらっておやつを買い込んでくるのだ。無論、隙を見てつまみ食いをしようとする神崎とのし烈なあらそいが陰で起こっていることなど結衣は知るよしもなかった。
「さて、これで部員全員がそろったわけだ」
会長がうれしそうに、すこし窮屈になった部室を見回した。
5人はそれぞれ長テーブルを挟んで向き合っている。座っているのは簡素なパイプ椅子だ。
「結衣くん、改めて自己紹介をしてくれたまえ」
会長が言うと、結衣は簡単に自己紹介をすませて頭を下げた。ぱちぱちと拍手が鳴る。
「うちは"部長"の片倉みなみ。副部長の大高健輔に、部員の児玉咲と神崎誠くんだからよーく覚えておくように」
なぜかひとりでほかのメンバーの紹介を終えてしまうと、会長は鼻の穴をふくらませながら席についた。
こうして、白谷結衣は探偵同好会の一員となったのだった。
これで5月編はおしまいです。
つぎは6月編になります。