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CASE 副会長

CASE 副会長


 副会長は、黄金の生徒手帳を見ていた。

 カーテンの閉め切られた部屋は暗く、ほのかに手帳の姿を確認できるくらいにしか照明がつけられていない。だが、その暗闇にも目が慣れてきたところだ。

 さほど広くない教室の一角。

 ただでさえ狭い空間を、黒い布でしきっているため圧迫感が増している。時折聞こえる甲高い悲鳴や、興味本意ではいってきたのだろう子供の泣き声をBGMにして、副会長は手帳を見つめていた。

「まったく、にぎやかなものだ」

 なにも文化祭企画の定番、お化け屋敷を対決の舞台にしなくてもいいだろうに。

 さきほどからひっきりなしに流れてくる客のなかには、どっかりと椅子に腰をかけている副会長を見て腰を抜かす人もいるくらいだ。もちろん、副会長の顔に特殊なメイクをしているわけではなく、それまでの道のりがあまりに恐怖に満ちているためだった。

 せっかくなら家にある仮面などをもって来てもよかったのだが、会長に怒られそうなのでやめた。神崎や結衣では悲鳴のこだまする状況に耐えられないだろうという判断で配属された場所だ、咲と入れ替わりになることもありえる。

 実をいうと、副会長はこの環境を楽しんでいた。

 お化け屋敷のなかに、お化けでもないのに滞在していられる機会はめったにない。おどろおどろしい仮装をしている生徒たちは同じパターンで客を驚かしているのだが、そのたびに叫び声をあげる様が見ていて面白いのだ。

 これほど見物に向いた立場は、ほかにない。

 なかにはカップルで来てキャーキャーと叫ぶ彼女の前で、必死に恐怖を我慢している彼氏なんかもいて、人間観察にはうってつけだ。極限に追い込まれるほど本音が出てくるものらしい。

「健輔、起きてる? お化け屋敷だから寝られるわけないだろうけど」

「大丈夫だ。いまのところ何の問題もない」

「さっきからいやな胸騒ぎがするのよね。まだ最初の定時報告なんだけど」

「5分しか経ってないじゃないか。まだこれから先は長いぞ」

「そうね」

 会長が無線の向こうで大きく深呼吸をしている音が聞こえた。

「緊張してるのか?」

「まさか、武者ぶるいよ」

「そっちには氷川さんもいるんだよな」

「あまり嬉しくないことに。こっちからは見えるけれど、なにを話しているのかまではわからないわ。あ、こっち見てニヤニヤしてる。むかつくわね」

「あまりカリカリするなよ」

 副会長が苦笑する。

 誰かの絶叫がひびく。ここはお化け屋敷なのだ。

「じゃ、ビビらないで守っていてよね」

「了解」

 回線が切断された。

 すると、耳元のノイズがなくなってまた異常なくらい静かな空間にもどる。本当に怖いとき以外は、自然と黙り込んでしまうものなのだ。

 偶然なのか今年のお化け屋敷はやたらにクオリティが高い。イベントが開始される前に二回ほどお化け屋敷を回ってみたのだが、お化けが出るタイミングがわかっていても驚いてしまうほどだ。

 いやに気合いのはいった企画。それもそのはず、三年生の作品は高校最後ということもあってほかの学年を寄せつけない出来なのだ。

 部活を引退した三年生は勉強の憂さ晴らしをしようとするかのように、作業に熱中する。同好会に所属したまま活動している生徒もなかにはいるが、手伝えるときにはなるべく顔を出すようにしているので問題はない。

 副会長も、このイベントが無事に終わったら自分のクラス企画に参加しようと思っていたところである。

「さて――」

 いくらお化け屋敷の内部が楽しいからといっていつまでも遊んでいるわけにはいかない。敵――怪盗同好会がどのような手段で攻めてくるのか想定しておく必要がある。

 イベントがはじまる前にも入念な作戦会議を行ってはいたが、やはり現地に赴いてみると机上ではわからないことがたくさん発見できる。たとえば室内は想像以上に暗いが、行動に差しつかえはないということや、パニックになった客が通路を全力で走っていくことがある……など。

 それらの場合をシュミレーションしておくことは、後々必要になってくるだろう。あらゆる可能性を考えておくにこしたことはない

「いちばん心配なのは恐怖だ。恐怖に支配された人間はなにをしでかすかわからない。最悪、こちらに突撃してくることもありえる。そのどさくさで盗まれるのが危険だな」

 口に出しながら思考を整理していく。

 紙もペンもない状況ではこれがもっとも効率のいい方法だ。ひょっとすると怪盗同好会の誰かが近くで監視しているかもしれないが、聞かれたところでこちらが不利になるわけでもない。

 むしろ警戒して選択肢が狭まることになるだろう。目の前で自分の考えていた作戦を口にだされたら、それを実行する勇気は出ない。思いつき次第、適当に喋ってみるほうがよさそうだ。

「停電も悪くないアイデアだ。いくら視覚が闇に順化しつつあるとはいえ、まっ暗闇にされたら手も足も出ないからな。カーテンが閉じられているだけでなく、まども黒い模造紙で覆われているくらいだ、光は漏れてこない。だがそれは敵にとっても同じこと。手帳の場所を完ぺきに暗記しないかぎり、盗み出すことは不可能だ」

 いい調子だ。よく頭が働いている。

「それから懐中電灯で急に照らし、こちらの視界を奪うという方法もある。暗闇に慣れた眼球は、いきなり強い光を浴びせかけられたときに対応しきれない。その隙に悠々と手元を照らしながら手帳を盗みだす。我ながら素晴らしい良案じゃないか」

 自慢げに鼻孔を膨らませるが、それを見ている人はひとりもいない。

 すこししてから、女子高生の二人組が気味悪そうに副会長のよこを通り抜けていった。どうやら独り言をつぶやいている異常な生徒役だと勘違いされたらしい。

 お化けでもないのに避けられるとさすがにちょっと傷つくが、副会長は気を取り直して作戦を練りはじめた。落ち込んでいる暇はない。

「相手はどうするにしろ、いちど僕の視界から外れるか、僕を身動きの取れない状態に束縛しておく必要がある。こちらは身体にタッチすればいいだけの話だからな。つまりなにかアクションを起こして注意をそらしてくる可能性が高い。それに動じず、ここで見張りを続けることが大事だな」

 うんうんと頷く。

 また女子高生たちが物騒な目つきで副会長をいちべつしてから、早足で進んでいった。

――これくらいでへこたれはしない。大丈夫だ。

 校門で配布されているパンフレットには探偵同好会と怪盗同好会の対決イベントも記載されているはずだが、隅から隅まで目を通している人は少ない。

 ほかにも数え切れないほどの同好会があり、それぞれが展示会を開いているものだから分量が大変なことになっているのだ。パンフレットというよりは小冊子と呼ぶほうがしっくりくる厚みである。

 会長ふたりが指揮をとっている本部のある体育館では多少客入りが多いだろうが、実況解説をしているわけでもないしそれほど注目を集めているとは思えない。

 それに加えてまだ始まったばかりであるから、まずは目玉企画を回ってしまおうという客が流れてくるには早い時間帯だ。昼過ぎになれば観客も増えることだろう。

 それまでに形勢がどうなっているか――まったく想像がつかない。

 誰かが突破されるかもしれないし、逆に誰かを捕まえているかもしれない。もしかするとあっさり4人とも捕まえてゲームセットという夢のような展開もありえなくはない。

「ま、なるようになるさ」

 全体の作戦を考えるのは会長の仕事だ。

 自分は目の前にある黄金の生徒手帳を魔の手から守りきればいい。

そう思っていたときだった。想定していた最悪の事態が起きた。

 副会長の座っている場所のすぐ前には顔面を火炎放射気で焼いたようなメイクをしたゾンビがいて客を驚かしているのだが、これがまたすごく怖い。腰を抜かして動けなくなった人も何人かいた。

 ほとんどは絶叫しながら駆け足で逃げてくるわけだが、その女子生徒は目をつぶり、耳もふさぎながら全速力で副会長のほうへ突進してきた。もちろん前は見えていない。うわっという副会長の声も届かず、派手な音をたててぶつかった。

「ご、ごめんなさい」

 副会長の背中に馬乗りになった女子生徒はあわてて身体をどけた。

 頭を押さえながら副会長も身体を起こす。そのときちらりと生徒手帳のほうへ視線をやった。これで盗まれていれば彼女が犯人ということになるが、黄金の手帳は何事もなかったようにたたずんでいた。

 倒れている椅子を起こし、警戒しながら話しかける。

「大丈夫ですか?」

「はい、本当にすみません! あの、どこか怪我とかは……」

 うるんだ瞳は小動物のように愛らしく、水晶のように透きとおっている。ふんわりとカールした黒髪のした、新雪のように白い肌がおもわず触れたくなるような弾力をはなっていた。

 結衣のように美人というわけではないが、どこかか弱そうな印象が可愛らしい。そして均整に整った目鼻立ちが可愛さを決定づけていた。

 着ているのは霞ヶ丘高校の制服ではない。どこかほかの学校の生徒なのだろう。

 そんなことをぼんやり観察しつつ、やはり視線は顔に向いてしまう。目を離そうと思っても、なぜか引き寄せられてしまう魅力があった。

「そちらこそ、怪我はありませんか?」

「ありがとうございます、大丈夫です」

 小さく頭を下げると、肩にかかったつややかな髪がふわりと揺れた。息をのむ副会長。

 一瞬、会長の顔が脳裏に浮かんだがすぐに消えた。

「あの、このお化け屋敷ってあとどのくらいあるんですか?」

「ここがちょうど折り返し地点だから、あと半分というところですか」

「そうですか……」

 がっくりとうなだれる女子生徒。細くしなやかな指で目頭をぬぐった。

「私すごく怖がりで、お化け屋敷なんて入ったことがなかったんですけど文化祭なら大丈夫かなって思って、ちょっと試してみようかなって挑戦したら、すごく怖くて……」

 ときどき鼻をすすりながら話す女子生の声は小刻みにふるえている。ほとんど泣いているような状態だ。自分が泣かせたわけではないのだが、どうにもバツが悪い。

「これがあと半分もあるなんて私、耐えられません」

「そうはいっても、後半のほうがもっと怖いんですよ」

「そんなぁ……」

 力なくひざから崩れ落ちる。

 そして、涙をためた瞳で副会長を見上げた。

「お願いします、出口までついて来てください。お礼はなんでもします。誰かがいないともうこれ以上先に進めない……」

「そういわれましても」

 副会長が頭をかく。

 男としてはついて行ってあげるのが正しいだろう。いや、むしろ出口まで守ってあげたい。背中にじっと美少女が抱きついてくるなんてシチュエーションめったに体験できるものではない。

 幸いなことにこれからどうなるかはわかりきっているし、お化け屋敷という空間にもだいぶ慣れた。驚かされるようなことはないだろう。つまりたくましい姿をアピールできるということだ。

 さらに――と、副会長の思考はスピードアップする。

 おそろしい局面をいっしょに切り抜けた男女のあいだには恋愛感情が発生しやすいという。いわゆるつり橋効果だ。お化け屋敷なんて格好の舞台じゃないか。ひょっとすると、ひょっとするかもしれない。

 それにここで断るなどというのは、男としての沽券にかかわる。

 いいですよ、と答えかけてとどまる。黄金の生徒手帳をちらりと見た。これを守るというのが使命だ。それに盗まれでもしたら確実に坊主にされる。

「坊主刈りの男性は好きですか?」

「え? あ、嫌いじゃないです」

 その言葉で副会長の心はきまった。

 ほんの少しだけ持ち場を離れる。それなら大丈夫だ。すぐに戻ってくる。

「行きましょう。出口まで僕がついてます」

「本当ですか! ありがとうございます」

 ぱあぁっと笑顔が広がる。

 この笑顔が見れただけでもよしとするか。もう後には引けない。

 たくましいところを見せつけようと、副会長は女子生徒の前に立った。そしてずいずい進んでいく。

「待ってくださいよぉ」

 という泣きそうな声が、後ろから聞こえた。

 無事に彼女を出口までおくりとどけると、手を握って感謝をされた。意気揚々と持ち場へ戻ると、当たり前のようになにもなくなっていて、副会長は力なく椅子に座りこんだ。

 闇が、広がっていた。

「……どうしよう」

 逃げようか。

 いや、必ず見つかる。

 会長はきっとどこまでも追いかけてきて復讐するだろう。女の子にうつつを抜かして負けたなんてばれたあかつきには、許されるはずもない。

 これからの人生をどう生きていくべきか考えながら、副会長はその場でずっと頭を抱えていた。


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