ゲームの直前
いつもなら土曜日といえば学校は休みで、クラブ活動にいそしむ生徒のために教室やグラウンドが解放されているのだが、いまは制服姿だけでなく親子連れからどこかのカップルまで、数え切れないほどの一般人が好き勝手に動きまわっている。
そのようすを部室の窓から眺めていると、まるで働きアリが餌にむらがっているみたいでおもしろい。いったいどのくらいの人出なのか見当はつかないが、少なくとも盛況であることは間違いないようだった。
地元でも霞ヶ丘高校の文化祭は人気があるということで、近隣の住民もこぞってやってくるものだから、その混雑は半端なものではない。
とくに今年は天気も良く、気温もおだやかだということで平年以上に客足はおおいようだった。
部室のカーテンからそとの光景をうかがっている会長の眼光は鋭い。獲物を物色するハゲタカのような目つきだ。
「大雨でも降って誰も来ないとかだったらよかったのに――まあ、観衆は多いほど燃えるんだけど」
会長の手には丸められた文化祭のパンフレットがにぎられている。
絵画部の描いた素敵な表紙の絵も台無しだ。
「生徒会もずいぶんなところを提供してくれたものだな」
いすに座っている副会長はのんびりお茶を飲みながらくつろいでいる。長テーブルには赤いマル印のつけられた校内の見取り図が置かれ、ホワイトボードには事細かに作戦がかきこまれていた。
生徒会が対決の場所を公表した文化祭の前日、最後の追いこみ作業が行われている横で、探偵同好会の部室では遅くまで綿密な作戦会議がつづけられていたのだ。
びっしりと記入されたホワイトボードの文字は、期末テストの勉強をするよりも強引に頭へインプットされている。
それは主に会長がはっぱをかけまくったためなのだが、そのせいで結衣と神崎はさきほどから部屋の隅でぶつぶつと内容を復唱している。勉強のせいか、顔色がよくない。
「調子はどう、結衣ちゃん」
「わ、悪くはないです」
疲れきった声で結衣が応答する。
夜中ずっと脳内シュミレーションを繰り広げていたため、興奮して寝付けなかったのである。遠足が楽しみで眠れない小学生のようなものだ。
「体調はしっかり調整しておいてよね。いざというときに居眠りしてました、じゃ笑いごとにならないわよ」
「大丈夫です、たぶん」
あまり大丈夫ではなさそうな返事。
だが結衣のことだ、きっとサプライズを起こしてくれる。会長は自分に暗示をかけた。かける相手が間違っているとは気づかなかった。
「ちょっと走ってきます」
神崎が突然そういって、駆け足で部室を飛び出して行ってしまった。
緊張に耐えられなくなったのか、それとも暗記に嫌気がさしたのか、どちらにせよいなくなったのは事実だ。
「みなみ、ちょっと誠くんに厳しすぎるんじゃないか」
副会長がいった。
「元野球部なんだから根性はあるでしょ。ここで甘やかしたら本人のためにならないわ。逆に反発心を起こさせることによってやる気を引き出してるのよ」
「そう上手くいけばいいけどな。かえって力みすぎるかもしれないぞ」
「大丈夫よ。うちは誠くんも信頼してるから」
「そうか」
副会長はすこし意外げな反応をしめした。
「それより健輔こそ大丈夫なの? こういうときほど失敗するんだから」
「これまで幾多の文献を読み込んできた。死角はないさ。知識量なら児玉くんにも負けないと思ってる」
不愉快そうな表情をする咲。
「あたし副会長よりも成績いいですけど」
「それだけが頭の良さではないさ」
下手くそなウインク。
咲は視線をそむけた。
「会長には悪いですけど、あたし副会長がコテンパンに負ければいいと思います。それで坊主頭になって風邪をひいて、病院のベッドで自分の愚かさを呪いつつ息を引き取ればいいと思います」
「そこまでいうか」
「これでもセーブしたほうです。全貌を聞きたければぜひ教えてください」
「遠慮しておくよ」
タバコがあれば優雅にパイプを吹かしていそうなくらい、副会長はゆとりをまき散らしている。あまりにも自信がありすぎて、かえって不安だと会長は思う。
「本当に、負けたら坊主だからね。それがいやならその減らず口を慎んだほうがいいわよ」
「わかってるさ」
「か、会長。開始まであと何分ですか?」
〆切寸前の原稿をあげたばかりで徹夜明けのマンガ家のようにふらついた結衣が聞いた。
会長が腕時計を確認する。
「あと2時間だね。少なくとも30分前には現地入りしておきたいものだけど」
「わかりました。じゃあ、すこし仮眠をとるので時間になったら起してください」
そういうなり、部室のすみで丸くなって目を閉じる。すこしすると小さな寝息が聞こえはじめた。咲が埃をかぶっているブランケットを戸棚の上から見つけてくると、パンパンと払ってから結衣の上にかぶせかけた。
「疲れてるみたいですね」
結衣を起こさないよう、咲が静かにいう。
「寝不足は判断力をにぶらせるから、こうやって仮眠をとるのも悪くはないわよ。緊張で眠れないくらい気合いが入ってるのも高評価ね。咲ちゃんもちょっとはやる気を見せてちょうだいよ」
「作戦を考えたのはほとんどあたしなんですけど」
「それだけじゃ足りないわ。過程より結果よ。あの女に負けるわけにはいかないんだから」
「だったら会長同士で対決すればよかったんです」
「それも一興だけどね」
ふっとさめた目で部室を見回す会長。
そして、いった。
「手塩にかけた後輩たちが活躍するってのもうれしいものよ」