真相
「完全に盲点だったわ。まさか複数犯だなんて」
会長がひたいを押さえながら力なく首を振った。その疲れ果てた様子はまるで生涯をかけた試合を終えたばかりのボクサーみたいだ。
「推理の基本だと思いますけど」
神崎の言葉は、冷たい。
北極の最下層に眠る氷の塊よりも、ずっとひややかだ。
「ストーカーっていうからてっきり単独犯の仕業だと思ってたの。そうでないと不可能犯罪にならないし」
「むしろそっちのほうが重要なんですよね……」
「まさか誠くんがそこまでモテルとは思ってなかったのよ。ストーカーって言っても、単なる追っかけじゃない」
「だからどうして恋愛がらみの話と決まっているんですか!」
会長はホワイトボードの「不可能犯罪」という文字を名残惜しそうに消すと、その上に大きなハートマークを描いた。そのなかに、三人の棒人間。
「白紙のラブレターなんて恋愛沙汰に決まってるじゃない。恥ずかしくて誠くんに声をかけられないうぶな少女が足音の正体。ちょっとだけ誠くんの推理が当たってたのがむかつくけど」
「それからラブレターの犯人は、別のおっちょこちょいの犯行だと思います。たぶん中身を入れるのをためらっているうちに落としちゃたんですよ。生写真もそうなんじゃないですか」
結衣が会長の言葉を引きついだ。
その表情は先ほどまでの明るいものから、すこし落ち込んだようなものへと変っている。難事件があまりにもあっさり解決してしまったせいなのは明白だった。
「シャーペンがなくなっていたのはどういうことなんですか?」
ほっと胸をなでおろしながら神崎が訊く。
その問いには、副会長が返答した。
「好きな人のものは身につけていたいものだろう。それがたまたまシャーペンだったという話だ。体操着なんかじゃなくてよかったな」
「それって盗みじゃないですか」
「そういうな。恋する乙女のかわいらしいいたずら心と思えば、許せる気にもなるだろう」
いやに副会長が寛容だ。
へんに思って尋ねてみると、少女漫画のようにメルヘンチックで素敵だという。この人もすこし、いやかなり価値観がずれているらしい。
「うちがジャンプを読み漁っているあいだに健輔はりぼんを読んでいたようなやつだからね、多少女々しいのは勘弁してあげてよ」
「めずらしく会長が副会長に優しいですね」
すでに事件は終わったのだというふうに推理小説のページをめくっている咲がつぶやいた。本を読みながらも周囲の会話はしっかり耳にはいっているらしい。
「健輔ん家のマンガにはお世話になったからね。わるいことは言えないわけよ」
会長が手をひらひら振りながらこたえる。
「その過程で愛が芽生えたんですね」
咲がぼそりと、だがちゃんと聞こえるようにいった。
「余計なこと言わないの。そんなことないから」
「少女漫画をふたりして読んでいるとなんだか胸の奥がうずいてきて――となりには幼いころからのいとしい彼の姿――そっと近づくふたりの距離、そして唇がゆっくりとふれあいそれから……」
神崎がここぞとばかりに情感豊かにまくし立てる。
さっきからずいぶんうっ憤がたまっているのだ。自分ばかりが恋愛話でからかわれていたのでは面白くない。
「馬鹿な妄想を披露するんじゃないわよ」
会長がつとめて冷たい態度で吐き捨てるが、その両耳はゆでたみたいに赤く染まっている。それは居心地悪そうにかばんから本をとりだそうとしている副会長も同じで、神崎の口元がさらに歪んだ。
「もしかして、本当にそんなことがあったりしちゃったりしたんですか?」
「あるわけないでしょ!」
「でもその照れようは普通じゃないですよね。うーん、探偵の直感が事実であると告げています」
「ああもう怒った!」
会長がいすを蹴って立ちあがるのとほぼ同時に、神崎が盗塁を試みるランナーのように素晴らしいスタートを切った。そのままの勢いで部室を飛び出していく。
「待て!」
と叫びながら、逃走した犯人を追跡する刑事
デカ
のような形相で会長もドアをくぐりぬけていった。騒々しい足音がだんだんと遠ざかっていく。
残された三人のあいだに、不思議な空気が流れる。
いままで大音量で演奏していたドラマーが突如動きをとめ、ボーカルの小さな歌声だけが響いているときのような。
「愛って素晴らしいですね、副会長」
結衣の眼は夢見る少女のそれだった。副会長が、こほんと咳払いをした。
数十分後、駅伝を走り終えた選手みたいにぜいぜいと荒い息をした会長と神崎がかえってくると、探偵同好会の一同は写真同好会のもとへ向かった。
探偵同好会と同じ、旧校舎の廊下沿いにある写真同好会は残念ながら人数が少なくて部としての規定を満たせず、同好会にとどまっている同好会である。
ふつうの高校なら写真部、という扱いであるが、霞ヶ丘高校の写真同好会は依頼を受ければ盗撮まがいの撮影もいとわない。最高の一枚をとるのではなく、みんなに満足してもらえる写真をモットーにしているのである。
そのため人気のある生徒の裏写真が流通するときには、かならず写真同好会が一役買っている。
だが、写真をとっている瞬間を目撃したことのある者がひとりもいないという伝説もあって、その存在はなぞに包まれているところも多い。
「たのもー!」
6月に野球部の部室を訪れたときとはうってかわって朗らかな笑顔で、会長がドアをノックする。
なかから返事があって、するりとドアが開いた。
「いらっしゃい。一枚百円から受け付けておりますが、どういたしましょうか。L判サイズなら一割増し、連写でよろしければ二割引きです。さらに日常の風景などだけに限らず、風の強い日のアクシデントなどのスクープ写真も取りそろえております。さてお客様、どちらをお求めで」
まるで大阪の商人みたいにまくし立てられ、面食らう会長。
部室のなかには様々な種類の写真が所狭しと張られていて、まるで写真館のような雰囲気を醸し出している。それとは裏腹に入口のすぐそばには受付が設置されていて、どこかせわしない。
「ものすごいところですね」
結衣が感嘆のため息をついた。見慣れた探偵同好会の部室からはかけ離れている。異世界に来たような気分だった。
「こういうやつらなのよ。写真同好会っていうより写真組合って感じね」
会長が慣れた様子でいう。
ほかにも霞ヶ丘高校には大小様々な同好会やクラブがあるのだが、写真同好会はその一端にすぎないのだ。
「ちょっと聞きたいんだけど、ここにいる神崎誠の写真を依頼した人を教えてくれるかしら」
会長が受付にいる男子生徒に顔をぐい、と寄せた。
それでも笑顔を崩さないのは、すごい。
「申し訳ありませんが、プライバシー保護のためそれはお教えできないことになっております」
「こっちは実際に被害を受けてるのよね。誠くんはこの通りノイローゼになっちゃったし」
神崎はげっそりとやつれた様子だ。これは演技ではなく、会長との追いかけっこに疲れ果ててしまったためである。
会長のナイフで刺すような鋭い言葉にも、男子生徒は笑顔をくずさない。
「そういった苦情は当方では受けてけておりませんので」
「あんたたちは他人の健康と、客のちっぽけなプライバシーとどっちが大事なのよ」
「お客様にご迷惑をおかけするわけにはまいりませんので」
「だったらそうね、探偵同好会の集合写真をたのもうかしら」
「はあ」
いきなり会長の態度が急変したため、受付の表情が少しだけ困惑したものにかわる。だが会長が耳元でなにやらささやくと、その笑顔が納得したようにもとにもどった。
「了解いたしました。では、こちらへどうぞ」
「なにをしたんだ?」
副会長が会長に聞いた。
「ちょっと多めに写真の撮影をたのんだだけよ。どうせ卒業写真とか撮らなくちゃいけないわけだし、ついでに、ね」
にべもなく答える。
「というわけで咲ちゃん、これは経費で落とせるわよね」
「まあ仕方ないでしょう」
しぶしぶといった様子で咲が了承する。いちおう調査費ですからね、とつけ加えた。
「まさか学生の身でカネの駆け引きを覚えているとはな。いつ覚えたんだそんなこと」
副会長があきれ顔でいう。
「こういう金の亡者みたいなやつらの口を割らせるには、利益で黙らせるしかないでしょ。そのくらいちょっと考えれば思いつくでしょうに」
「いや、そういうことじゃなくてだな。いつの間に世知辛い世界の真理を悟ったのかということだ」
「生まれたときからかしらね」
すずしい顔の会長。副会長は、やれやれと肩をすくめた。まるで似合ってない。
「写真をとるならそう言ってくれれば服装とかも考えたんですけど……」
結衣があたふたと身なりを整えている。それから手ぐしで前髪を撫でつけていると、写真同好会のほうから手鏡が渡された。ぺこり、とお辞儀をする。
「だってとっさの思いつきだったし、誠くんに相談されたのもついさっきのことだし。大丈夫よ、結衣ちゃんならそのままでも充分カメラ写りはいいから」
「ほんとですか?」
「嘘はいってないわよ」
「じゃあ、自信満々で行きます」
結衣の容姿はかわいいというよりは、どちらかといえば美人な類に含まれる。肩まで伸びるつややかな髪や、口を閉じて座っているときの涼やかな目元は、まるで山頂の頂に咲いている白い花弁のようだ。
だが、言動がかなり天然であるため、普段はそういった印象を与えないのではあるが。
それから何十枚かの写真をとり、ひとしきりポーズを終えたあとで会長は、
「誠くんの弱みを握れるような写真はないかしらね」
とこっそり商談をまとめかけていたのをギリギリで神崎に気づかれ、失敗に終わっている。