探偵同好会
主にHR教室のある本校舎とはべつに音楽室や理科室などがはいっている旧校舎は、大小いくつもの部活の根城になっているという。もとは立派に教室として使われていたのだが、老朽化や生徒の人数が増えたことによって新しい校舎が建てられてからは学び舎としての役割をゆずっていた。
旧校舎へ行くためにはいちど外に出てからグラウンドの横をわたっていかなければならない。ただ、入口までは屋根のある通路があるので上履きを履きかえる必要はなかった。
生温かい風が髪をないでいく。
隣に見えるグラウンドでは野球部がユニフォーム姿でノックを行っていた。一年生はさっそく球拾いに追われている。残念ながら霞ヶ丘高校の野球部はあまり強くないのだが。
「うちらの部室は三階にあるから、ちょっと階段を上らなければいけないのが難点だけどね」
「わたし、そのくらいは平気です」
「ちなみに部室に来るときはウサギ飛びで上がってこなくてはならないというルールがあるからね。体力づくりも大事だし」
「――あ、じゃあ、やめておきます」
「あっはは。冗談だって」
そんなことを話しながらなんとか3階までたどりついたころには、結衣の息はすっかりあがっていた。強がってはみたが正直なところ体力にはまったく自信がないのだ。
その様子を見て片倉が半分本気で心配したくらいだから、毎回ここまで来るのは至難の業かもしれないなと、結衣はため息をついた。
片倉に案内された部屋は廊下のいちばん奥にあって、その途中にはいくつかの同好会の部室があった。UFO研究会や、数学を愛する会などと書かれた小さな看板がドアにかけられている。まるでテレビドラマで見た大学の研究室みたいだ、と結衣は思った。
そして探偵同好会も、例にもれず達筆な文字でプレートが掲げられていた。片倉が勢いよくステンレス製のドアを開くと、満面の笑みで結衣を部室のなかに引き入れた。
「じゃじゃーん! 待望の新入部員を連れてきましたー!」
「新入会員、ですね"会長"」
ツインテールのおさげ髪をした女の子が言った。
「うるさい。なんどもいうがうちは部長だ」
「なんどもいうがおまえは会長だ」
公民館にあるような安っぽい折りたたみ式の椅子に腰かけている眼鏡をかけた青年が、読んでいた本から顔をあげた。座っているが、かなり背が高い。黒ぶちの眼鏡もあわさって知的な感じをかもし出していた。
「こ、こんにちは。白谷結衣です」
しどろもどろしながら結衣が自己紹介をして、お辞儀をしながら頭を下げた。
どうやらこの同好会に自分は入ることになるのだろうという確信を胸に抱きながら。
「きみが噂の一年生だよね。みなみが連れてきたってことは本物なんだろうけど、副会長の大高だ、よろしく」
「あ――よろしくお願いします」
親しげにさし出された手を思わずにぎりかえす。だが、大きさのわりには手を握る力は強くなかった。
結衣は残ったもう一人の女子生徒を見た。片倉先輩はともかくとして、ほかの部員はしっかり者のようだ。
「会長って、どういう意味なんですか?」
と結衣が素朴な疑問をぶつける。背のたかい副会長は朗らかに笑った。
「とくに深い意味はないんだけど僕たちは同好会だからね、その長も部長ではなくて会長というわけさ。もっとも、本人は部長とよんでほしいみたいだけど」
「部長とよべ、部長と」
ムスッとした表情で片倉は大高をにらみつけた。
それから、もう一人の会員に顔を向ける。
「咲ちゃんも自己紹介をしておきなよ」
「わかりました」
咲ちゃんとよばれた人はローファーのかかとをコツコツ鳴らしながら結衣のほうへ歩み寄ると、親しげに微笑んだ。なんだか他人を安心させるような笑顔だった。
「児玉咲です。これからよろしくお願いしますね」
「こちらこそお願いします」
結衣がぺこりと頭をさげ、会長は満足げにうなずいた。
それからさほど広くない部室を見回し、咲に尋ねる。
「誠くんはどうしたの?」
「なんでもすでに勉強についていけないということで補習を受けていると思います」
「まったくもう……咲ちゃんが勉強を教えてあげたら?」
「いやですよ。あたしはこれでも充分に忙しいんですから」
「へーえ」
まるで信じていないといったような会長に咲は、
「落ち着きのない会長と頭のわるい副会長せいで後始末が大変なもので」
と皮肉を飛ばした。
片倉会長は眉をひそめ、大高副会長は咲の言葉を無視していた。いっときの静寂が部屋のなかを包み込んで、結衣はどうしたらいいかわからずぼんやりと立っていた。
とても気まずい空気だ。
「…………」
「…………」
「…………」
誰も音を発しようとしない。とりあえずこの空気をなんとかしようと結衣は決断した。
「あの、入――会? するにはどうしたらいいんでしょうか。わたし入部届とか持っていないもので」
「入部ね、それならうちのサインときみの同意があれば大丈夫だから。たしか咲ちゃんが保管していたはずよね」
「これですね」
部屋に置かれていた、書類のつまった棚から二枚のプリントをとりだすと咲はそれを結衣に手渡した。見ると、同意書、と大きく印字されている。どうやらこれに署名するだけでいいらしい。
「学校側に提出するのがひとつと、こちらで保管するためのがひとつです。――そういえば、入会するということでいいんですか?」
「え?」
「見たところいまさっき会長につかまって連れてこられたというところでしょう。だったらすこしは考える時間を設けたほうがいいんじゃないかと。簡単に部活を決めて後悔するようなことがあっても嫌ですからね」
「わたし、ここにはいります」
結衣が力強く言うが、副会長はかぶりを振った。
「だめだめ。入ってくれればうれしいのは山々だけど、勢いにのまれてしまってはいけないからね」
「えー、いいじゃない。本人が入るって言ってるんだし」
会長が駄々をこねるが、咲と副会長からほとばしる無言のプレッシャーを浴びて首をひっこめた。
そのとき、部室にあったデジタル時計が4時ちょうどを告げた。かわいた電子音がひびく。
「どうするかい? 今日のところはこれで帰ってもいいし、すこし見学していってもかまわないよ。といってもとくにするべきこともないんだけど」
副会長が優しい口調で聞く。
結衣はいちど時計を見てから、窓のそとへ視線をやった。まだまだ日は明るい。だが、結衣は家路につくことにした。先輩たちにお礼と挨拶をしてから昇降口に向かって階段を下りていく。グラウンドでは相変わらず野球部が大変そうな練習をしていた。
「同好会、か」
空に向かってひっそりと呟く。
中学のときにはたったの4人しかいない部活なんて存在しなかったし、同好会というものもなかった。なにより先輩後輩の上下関係がとても厳しくてつねに敬語をつかっていた印象しかない。だから片倉会長に連れてこられたとはいえ、探偵同好会というのはすごく魅力的に思えた。
あの人たちと一緒に過ごせたら、きっと楽しい時間を送ることができるだろう。
ぼんやりとだが、うららかな朝の陽ざしのような明るさが未来にさしこんでいるように感じた。
本当はあのまま部室に残って探偵同好会の活動というのを見てみたかった。だけどとらえどころのない不安のようなものを覚えて、無性に逃げたしたくなったのだ。
それはたぶん、変化に対する恐怖なのだけれど。
焦る必要はない、時間はたくさんあるんだと自分に言い聞かせながら結衣は家に帰った。
頭上では夏を迎えようとしている太陽がまるで勝ち誇ったみたいに地上を照らしていた。
初めてですが、章機能というものをつかってみました。
いろいろ変更もあるかもしれません。