不可能犯罪
「ちょっと待ってよ」
ホワイトボードの前に立っている会長が目を丸くする。
その声はちょっと嬉しそうだ。探偵同好会の会長を務めるくらいだから好奇心が旺盛なのはかまわないけれど、悩み相談にまで楽しそうにふるまうのはやめてほしい。
「これ全部本当なの誠くん?」
「おれが覚えている限りでは事実です」
「それって不可能犯罪じゃない!」
やっぱり。
探偵同好会に入部してから勧められるがままに推理小説なんかを読んだりしていたのだが、不可能犯罪という言葉は作中でとてもよく目にする。
とくに漫画なんかに多いだろうか。実は部屋に抜け穴がありました、なんてこともあるのだけど。
「ほぼ同時刻に三か所で不可解な事件が発生している。ストーカー犯が瞬間移動でもしない限り犯行は不可能!」
「これで神崎が密室で殺されでもしたら完ぺきなんですけどね」
会長の号令でしぶしぶ本をしまった咲がぼそりと呟く。不吉なことを言うのはやめてほしい。
「密室殺人も面白いけど、神隠しとかのほうがうちは燃えるかな。これぞ怪異、って感じで好きなんだよね」
「UFOにさらわれたのかもしれないだろ」
むっすりと不機嫌な副会長がいう。
落下したプラモデルは幸い無事だったようだが、いまは壊されないように安全な場所に保管している。嫌な予感ほどよく当たるものだ。
「それじゃつまらないじゃない。改造されて帰ってくるとかいうのなら別だけど」
「神隠し自体は僕も嫌いじゃない。むしろ好きなほうだが、実際に間近で体験してみないとただの見落としなんじゃないかと思えて仕方なくてね」
「大丈夫よ、誠くんが近いうちにそうなるから」
「そうか、楽しみだな」
「あの、おれなにか悪いことしましたか」
神崎の悲壮な声。
「こんな素敵な事件を持ちこんでくれて感謝してるわよ」
あっけからんと言ってのける会長。
会長は黒マジックで大きく『不可能犯罪』と書いて、その周りを何重もの線でかこって強調した。
「これは探偵同好会の総力をもって解決すべき難事件になるわよ。まさか生きてる間に不可能犯罪と対面できるなんて思ってなかった!」
「わたしもハッピーです会長」
結衣が呼応する。このふたり、馬が合うのか性格や言動まで似てきているような気がする。
「それで? 不可能犯罪だったら解決できませんよ」
冷静に咲が意見を述べる。
不可能犯罪という響きに浮かれている会長たちや、もとから頼りにならない副会長とちがってずっと頼もしく見える。
「実際には不可能犯罪に見えて、そうでないっていうのが定番だからね。どこかに矛盾する点があるんじゃないの?」
「あるんじゃないの? って無責任じゃないですか」
神崎がケチをつける。ただのストーカーが、ずいぶん大きな話になってしまった。それに伴って解決の糸口も遠ざかっている。はたして本当に事件を解き明かすことができるのだろうか。
変なプライドにこだわって迷宮入り、というようなこともありえるかもしれない。
「なんか解決しちゃうのがもったいなくてさ。ほら、夢みたいな話だし。足跡ひとつない大雪原に踏み入りたい気はするんだけど、やっぱり壊したくないような気もする――っていえばわかるかな」
わかるような、わかりたくないような。
「誠くんがストーカーの気配を感じているあいだに、机のものがなくなっていて、おまけに名無しのラブレターまで届いていたということだったけど、気のせいと勘違いって可能性はないのかい」
副会長が疑問を投げかける。
神崎は、力強く首を縦に振った。
「おれが購買部に行く途中、ずっと誰かにつけられているような靴音がしていたんです。すごく変な時間だったからほかに購買部に用があるやつなんていなくて、それなのに足音がするから変だなあって思ったんです。おれのあとに誰かが購買部に入ったということもなかったみたいですし」
「姿は見てないのかい?」
「残念ながら。でも足音を殺しているような感じではありました」
「よく聞こえたわね」
会長が感心していった。
「聴力はわりといいんですよ。それで気付いたんです」
「ラブレターのほうはどうなんですか?」
結衣が興味しんしんといった風に訊く。
「どうって言われても……ハートマークのシールがついた便箋だけが友達に届けられてたんだよ。それなのに誰からってきいてもわからないって言うし」
「なんで?」
「知らないうちに渡されてて、顔を見てないんだけど名前だけ書いてあったからとりあえず届けておいたってことでした。それが購買部に行く途中のことです」
「ストーカーをしている人はまだ後ろにいたんだよね?」
会長が確認する。
「いたと思います。だから同時にラブレター混入とストーカーをできたはずがないんです。その友達の話によるとラブレターが入っているのに気づいたのはおれに会うすぐ直前だったってことでしたから。それで届けに行こうとしたときに出会ったそうです」
「ラブレターは悪戯なんじゃないの?」
「そういうことをする人じゃないですから」
「ますます不可能犯罪の予感がしてきたわね」
会長は純粋無垢な赤ん坊のように笑っている。他人事だとここまで態度が変わるものらしい。信頼関係なんて所詮そんなものだ。
「先輩、机のものがなくなっていたというのは?」
結衣が尋ねる。
「その購買部に行ってから戻ってくるとなぜか筆箱からシャーペンが数本なくなってたんだ。けっこういつも使ってるシャーペンだったんだけど。そのときちょうどおれの机の周りに注意を払っている奴はいなくて、誰が犯人かはわからないって。でも少なくとも誰かがすこし借りただけってことはなさそうだけど。もしそうなら一度に何本もシャーペンを持っていく理由が見当たらない」
「なんだか踏んだり蹴ったりですね」
結衣が神崎にあわれみの視線を向ける。
「占いはちゃんとチェックしなきゃだめですよ。ラッキーアイテムをもってるだけでもずいぶん変わるって雑誌に書いてありました」
「ありがとう。次からはそうするよ」
棒読み口調の神崎。
その声音からはそろそろあきらめた雰囲気が漂いはじめている。この事件はやはり迷宮入りになるかもしれない。探偵同好会ではなくて、興信所同好会とかに相談すればよかった。
もちろんそんなものないのだけれど。
「さっき撮られた覚えのない写真が撮られていたって言ってましたけど」
「そうなんだよ。みょうに写りのいい写真が廊下に落ちててさ。それがなんてことない教室での風景なんだけど、だからこそ不気味で」
「その写真、いまも持っていますか?」
「捨てちゃったよ。気味が悪かったし」
「だめじゃない。そういうのは大事な証拠になるんだからちゃんと保管しておかないと」
会長は眉をしかめながらポニーテールに結んだ髪を撫でつけた。普段はさほど長くない髪をおろしている会長だが、夏のあいだはこうして髪を束ねていることもある。
「ずいぶん粘着質なストーカーだな。だが妙なところもある。たった数日のあいだにそれだけのことをやってのけるくせに、証拠もたくさん残している。それなのにシャーペンを盗むときは痕跡すら残していない。まるで別の人格があるみたいだ」
いままで静かだった副会長が口を開いた。
「慎重なのにおっちょこちょいな人なのかもしれませんね」
結衣が自分のことを棚に上げていった。
「うーん……いまいち犯人像が浮かんでこないわね。さしづめ怪人二十面相かアルセーヌ・ルパンってとこかしら」
会長がうなる。
そのとき、咲が申し訳なさそうに決定的な一言を告げた。
「それって、複数犯なんじゃないですか?」
あ、という声がまるで合唱のようにこだました。