夜空がきれいでありますように
ひとつひとつの小さな輝きをはなつ星が宇宙の果てで幾万も集まって、大きな流れを作りだす。地上に降った雨が、やがて大きな川となって平野を流れていくように。
広大、という有限の言葉で語るにはあまりにも広すぎる宇宙。
いくら手をのばしても届かないところにあるはずなのに、目の前で大挙して輝いていると、簡単につかめてしまいそうな錯覚に陥る。
それと同時にどこまでも深い闇が、とてつもなく恐ろしく感じられることがある。
ふとした瞬間に吸い込まれてしまいそうで。宇宙がどこまで続いているのだろうと想像するだけで、自分がとてつもなくちっぽけな存在に思えてくるのだ。
それでも次に星を見上げたときにはやっぱりその光がとてつもなく美しい。
こんな景色が現代の日本に残っていたのは奇跡なのかもしれない。そう思わずにはいられないほど壮大で、美麗な夜空が頭上に展開していた。
「結衣ちゃんたち、来ないね」
ふと身震いをするような恐怖が肌をつたって、副会長に話しかけていた。
そうしないと消えてしまいそうな気がしたから。
「そうだな」
体育座りのまま、こたえる。
「どうしたんだろうね」
「暗号が難しすぎたんじゃないのか」
「そんなはずない。誠くんならともかく、あの結衣ちゃんまでもがたどり着けないレベルじゃないし」
「僕はすぐにわかったが、他人が解くのは困難なのかもしれないな」
「そうかなあ……」
しきりに腕時計を気にする会長。
目の前には星合川が流れていて、その水面に一面の星空が反射している。
「ふたつの流れが重なるとき」
「それってこの川と天の川をかけてるんだよな」
「そうだよ」
「地上の星は現実となり鵲の架け橋をもって――は、この水面に映る星のこと。織姫と彦星は出会うであろうというのは七夕をさし、ひとつ前の季節に散った花々は、ここ。つまり桜の名所であるこの場所を特定しているんだな」
「そうだよ」
ぶっきらぼうにこたえる。
暗号というのは誰かに解いてもらえるからこそ、面白味があるのだ。あまりに難解で誰にも解けないような暗号では出題したほうもつまらない。
「そんなに難しくしたつもりはなかったんだけどなぁ」
「まだ時間はあるさ。ゆっくり待とう」
副会長はそう言ってまた星空を見上げた。そこでははるか彼方からやって来た光明が深淵のパレットを彩っている。
「ここも変わらないな。僕らが子供のころから」
「いつからだっけ。ここに来なくなったの」
「小学校の途中からだったかな。なんだか機会がなくって」
「それまでは毎年来てたのにね」
「どうして今年に限って来ようと思ったんだ?」
「結衣ちゃんたちにも見せてあげようかなと思ってさ。うちらが高校なのも今年で最後だし。健輔は来年も高校生かもしれないけど」
「不吉なことを言わないでくれ。僕だって努力しているんだから」
「努力ねえ……」
「仕方ないだろ。深刻な問題なんだから」
「うちが勉強教えてあげてるのはどうなのさ。役に立たないってわけ?」
「いや、それがなければ今ごろ誠くんどころか白谷さんと同じ学年だったかもしれない。感謝してるよ」
「どうだか」
肩をすくめる会長。
「健輔は大学どこに行くのさ」
「みなみと同じところに」
「え?」
「冗談。行けるところに行くさ」
「あ、そう」
川面にむかって吹く風がふたりの肩をないでいく。
人工の光はどこにも見えない。隣にいる副会長だけが現実的だ。
「うちさ、部長になってから結衣ちゃんがはいってくれるまですごく不安だったんだよね。でも、今はそんなことが馬鹿らしいくらい楽しい。副部長が健輔だっていうのがいけなかったのかな」
「頼りなくて悪かったな」
「ほんとに」
会長がくすっと笑う。
「来年はどうなるものかね」
「僕らがいなくなっても大丈夫だろう。児玉さんはしっかりしているし、新入部員の数人くらいすぐに見つけてくるさ」
「そうだといいけど」
ふたたび、星を見る。
「ちょっと寒い」
会長はピンクのノースリーブといった格好で、肌の露出が多い。夏とはいえ河川敷は想像以上に風が冷たくて、腕に鳥肌が立っていた。
「困ったな、上着なんて持ってきてないし――」
副会長がリュックサックのなかをあさったが、めぼしいものは出て来ない。
だが両腕を抱えるようにして縮こまっている会長を見て、そっと肩を寄せた。
「これでちょっとは温かいだろ」
「……まあね」
肩が触れ合い自然とふたりの距離も近くなる。それこそ相手の肌のぬくもりが感じられるくらいに。
「健輔。また背が伸びたね」
「みなみが伸びないだけだろ」
「そんなことない」
そう言って頭をもたれかけようとした瞬間、背後からくしゃみの音がして、とっさに離れた。振り返ってみると桜の木の陰に隠れた結衣たち三人が気まずそうにたたずんでいる。
「いつから見てたのさ」
「かなり最初のほうから」
咲が返事をする。
「もう少しでいいところだったんですけどね」
「反省はないのか、反省は!」
「結衣ちゃんがくしゃみさえしなければよかったんですけど」
「すみません」
「謝るとこはそこじゃないでしょうが! うちらに謝れ!」
「むしろ感謝してほしいくらいですよ。せっかくいいムードにしてあげたっていうのに、副会長がもう一歩踏み込まないんですもん」
「余計なおせわだ」
副会長がムスッとしていった。
「せめてキスくらいまではいってほしかったんですけどね」
「うるさい!」
顔を真っ赤にしながら会長が反撃する。咲の頭を抱え込んでのヘッドロックだ。
「ほらほら、そんなことしてないで、きれいな星空だよ」
副会長がふたりを制止しながら言った。
「あ、ほんとだ」
会長と副会長の成り行きを見守るのに忙しくて気がつかなかったが、空一面に降ってきそうな星が輝いている。結衣と神崎が天空を見上げ、呼吸をするのも忘れてしまうくらい壮大な景色に魅入っていた。
「きれいですね」
神崎がため息を漏らす。
「こっちを見せたくて呼んだのに。咲ちゃんには見せてあげないんだから」
ヘッドロックのままダウンをとりにかかる会長。ふざけ過ぎて土手を転がって行かないか心配になる。
「あたしはほかに面白いものが見れたからよかったです」
「口の減らない奴め! 咲ちゃんの毒舌が少しは良くなりますようにってお願いにしとけばよかったかしら」
「ぜんぜん毒舌じゃないですよぉ」
「どこが!」
子犬のように戯れる咲と会長をとめるのもなんだか馬鹿らしくなって、副会長はそっと自分の二の腕あたりを触った。
会長に寄り添われたときの感触がまだぼんやりと残っている。
こんなふうにふたりで過ごしたのは久しぶりだったのかもしれない。
「いいですね、同好会って」
結衣がしみじみ呟いた。
それを聞いて会長は、咲をおさえこむ手を緩めた。その隙をのがさず逃げ出す咲。
「そう思ってくれるのなら、部長のやりがいがあるってものよ」
「会長、ですけどね」
まぶしいくらいの星空のもと、咲と会長の追いかけっこはしばらく続いていた。