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留年しませんように

ここから7月編となります。

 7月7日の朝、食卓にならべられたトーストを口にくわえながら、祈るような表情でテレビの画面を食い入るように見つめている少女がいた。

 その日はいつもより30分もはやく起床して、制服のスカートを着こんで髪のセットまで終わっている。普段は目覚まし時計が朝を告げてもベッドから離れようとはしない結衣だったが、その日だけは電子音のタイマーが鳴るよりもはやく目が覚め、準備万端の態勢で食卓にのぞんでいた。

 貴重な早朝の睡眠時間をけずってまで早起きしたのには理由がある。

「てんびん座のあなた、今日の運勢は――」

「神様仏様仏陀様お釈迦様……おねがいします」

 なんだか仏教系にかたよった祈りの言葉ではあるが、結衣の口調は真剣そのものだ。

 今日はぜったいに運勢が悪くてはいけない日なのである。そのためにいつもは慌ただしくて見る暇もないニュース番組の占いコーナーを待っていたのだ。

 両手を合わせ神に祈る。

 どうかてんびん座のわたしに幸運を授けてください――。

「そんなことやってもテストの点数が変わるわけじゃないでしょうに」

 キッチンのなかから結衣の母親の呆れた声が飛んできた。

「そんなことないもん」

 美人のアナウンサーがくるくる変わる画面の向こうで占いの結果を告げる。その瞬間はまるでスローモーションのように感じられた。

「金運と勉強運がよさそうです。ただ、大事なところで他人に迷惑をかけてしまうかも。ラッキーカラーは緑色、ラッキーアイテムは時計です」

 やったぁ! と歓喜の声がリビングにひびく。

「べつに勉強運が良かったからといってテストには関係ないでしょう」

 ふたたびため息をつきながら我が子の将来を心配する母親をよそに、結衣は食べかけのトーストをくわえたままテレビの前で喜びのダンスを踊っている。

 これで今日のテスト返却は大丈夫だ。赤点をとることはない。

 地獄のような期末テストの日々が終わってつかの間の安息を楽しんでいた結衣だったが、すぐにめぐって来た返却日。

 せっかくの七夕だというのに風情のないことよ、と柄にもなく嘆いてみても学校の予定が変更になるわけではないのだ。

「さて、今日は七夕ですが、高気圧が日本を覆っているため夜までよく晴れるでしょう。全国各地できれいな夜空が見られると思います。以上、天気予報でした」

 いつの間にか占いのコーナーが終わり天気予報になっていた。

 どうやら織姫と彦星は無事に会うことができるみたいだ。一年に一度のラブロマンス。甘美なひびきにあこがれる。

 あまり星の多くない地域ではあるけれども今晩くらいは空を見上げてみるのもいいかもしれない。

 期待に胸をおどらせながら食事を終えると結衣は、行ってきますと言って元気よく家を出て行った。



「ルンルンルン」

 と鼻歌まじりに上機嫌な結衣が、探偵同好会というプレートのさげられた部室のドアを開く。

 入部から2カ月がたってもいっこうに慣れない旧校舎の階段もぜんぜん気にならなかった。スキップでひと息に上りきってしまったくらいだ。

 肩にかけた学生鞄がゆれる。

「こんにちはー」

 挨拶をしながら部屋にはいると、すでに咲と副会長が折りたたみ式のいすに座って読書をしていた。

 咲が持っているのは文庫本の推理小説で、副会長はUFOについてという分厚い本を読んでいる。

 結衣はかばんを机におき、副会長のうしろからその本をのぞきこんだ。

「UFO好きなんですよね」

「UFOに限らず超常現象やUMAなんかも大好きだ」

 副会長がこたえる。

「ユーマってなんですか? アイドルグループのひとりでしたっけ」

「僕がそんなものを好きなはずがなかろう。UMAというのは未確認生物のことだよ」

「そんなことより副会長、聞いてくださいよ」

 結衣が悪気なく話題をそらす。

「自分からネタを振っておいて……」

「わたし、テストがぜんぶ平均点以上だったんですよ。すごくないですか」

「それは嫌味かい? ――いや、素直におめでとうと言おう」

 副会長のそっけない拍手が鳴る。

 ほこらしげに胸をそらす結衣にむかって咲がぼそっとつぶやいた。

「副会長はその逆なんですってね」

「それをどこで」

「ここに来るまえに会長と会ったんですけど、そのときにすごくうれしそうな表情で報告されました。本当に進学できるんですか」

「これでもいちおう勉強はしているんだ。それでダメというなら仕方ない」

「はやく寝るといいですよ。わたしはそれだけで10点くらい上がりました」

 結衣がアドバイスする。

「それだけならいくらでもやるさ」

「本当ですよ」

 リスのように頬を膨らませる結衣。それから、部室の奥にかざってある青竹が目にはいった。

 青々と葉を茂らせた竹が窓際に立てかけられている。味もそっけもない、そのままの状態の竹は、へんに部室に溶けこんでいた。

 つい先日まではなかったはずなのだが。

「あの竹、誰が持ってきたんですか」

「自然に生えてきたんだよ」

 という副会長の言葉は

「神崎が会長に頼まれていたみたいです。今朝がた抱えて来るのを見かけましたから」

 間髪をいれない咲の説明によって打ち消される。

「今日は七夕ですもんね」

 パタン、と副会長が手にしていた本を閉じた。写真付きのあやしげなハードカバーのそれを机の上に置くと、人差し指をたてる。

「知ってのとおり七夕とはベガとアルタイル、つまり織姫と彦星が年に一度だけ会うことを許された日のことだ。もとはといえばこの行事は中国で生まれたんだが、奈良時代に日本に伝わってきたんだ。短冊を笹につける風習は江戸時代からはじまったもので、今のようになんでも願い事を書くんじゃなく芸事に関することだけがご利益があるとされていたらしい。さらに注目すべきは天の川。旧暦だったころは月の満ち欠けを基準にして日付を定めていたから、いつも天の川がきれいに見えるよう、上弦の月がのぼるころに設定されていたんだな。それが太陽を基準とする新暦になったから、月の明かりが強すぎて星が見えないなんてこともあるようになってしまった。それ以前に、7月上旬なんてまだ天気が不安定な時期だから晴れになるかどうかも怪しいものだけどね」

「でも、今日は快晴だって言ってましたよ」

「めずらしいことにね。さらに調べてみると月の齢もぴったりらしい。七夕ラッキーデイってところだな」

「素敵ですね」

 結衣の瞳がかがやく。

「この辺じゃ天の川なんて見えませんけどね」

 文庫本から視線をあげずに咲が言った。

「そうでもないよ。僕が子供のころはすこし郊外まで行けばきれいな満点の星空が見えた。今でも見られるんじゃないかな」

「そうなんですか」

 咲がすこし驚いたように反応する。開発の進んだ霞ヶ丘高校の周りでは、冬でも星がいくつかまたたいている程度で、天の川なんて見たことがないのだ。

「天の川なんて、蛍といっしょになくなったものだと思ってました」

「そういや僕もしばらく星を見ていない気がするな。UFOは探しているんだが」

 開け放たれた窓から吹きこんだ風が、笹の葉をなでていく。クーラーも扇風機もない探偵同好会の部室では、夏場には窓を開けていないと大変なことになる。

 旧校舎の廊下沿いに並んでいるほかの部室は、どこも似たり寄ったりの状況だ。幸いなことに本校舎の各教室にはクーラーが完備されているので授業は快適に受けられる。

 会長はこちらにもクーラーをつけてほしいとよく愚痴っているが、予算やスペースの問題で却下されている。だから部室にはあちこちに広告の載せられたうちわが転がっているのだ。

 そのあと神崎が暑そうにワイシャツをパタパタとやりながらはいって来て、それからシャーベットを抱えた会長が登場して、会員がそろった。

「美味しそうですね、それ」

「あげないよん」

 結衣がものほしげな視線を送るが、会長はぷいとそっぽを向いてしまう。

「食べ物に関してうちは妥協するつもりないからね」

 そう言って溶けないうちにオレンジ味のシャーベットをきれいに食べ終える。今年の夏は長い梅雨が明けると一気に気温が上がってきて、身体がついていけないくらい急激に暑くなっている。

 はやくも熱中症のニュースが流れはじめたほどだ。

「そうだ、みんな短冊に願い事を書いてよ」

 アイスのあとにジュースを飲みほしてから会長が色とりどりの短冊をとりだした。長方形の短冊は、まるで紅葉の葉っぱのように鮮やかだ。

「好きなの選んでいいからさ」

「これ会長の手作りですか」

 神崎が黄色い短冊をながめながら言った。

「そうだけど」

「手が込んでますね」

「あんまりイベントらしいことやってなかったからね、せめて日本の四季を感じるくらいのことはしないと。それに誠くんにも無理を言って竹をもってきてもらったわけだし」

「これくらいなんともありませんよ。家の近所の人がわけてくれたやつですから」

 神崎がさわやかに笑う。不思議なことに汗をかいていない。

「ほらほら、みんなさっさと書いてよ」

 会長がにやりと笑いながらみんなを急かす。

 結衣はラッキーカラーである緑色の短冊を選んだ。もうテストの結果は変わらないが、もうひとつくらい幸運が訪れるかもしれない。

「芸時に関することだけなんでしたっけ」

 副会長の話を思い出しながら結衣が質問する。

「べつに気にしなくてもいいんじゃないかな。好きなことをかくといい」

「副会長はどんな願い事にしますか?」

「さて、どうしようかね」

 ペンの頭でトントンと机をたたきながら考えこむ副会長。それに対して神崎、咲と会長はさっさと書き終えて短冊を笹にかざりはじめている。

 ようやくのことでカラフルな短冊が5枚そろったのは、それから10分後のことだった。

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