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白谷結衣

とくに注意書きなどはございませんが、もしよかったら感想をいただけると嬉しいです。

更新は、改稿を繰りかえす感じになると思います。

「犯人はあなたですね」


 凛とした声が、霞ヶ丘高校1年A組の教室につきささった。



 それは夏とよぶには早く、まだ春の香りがのこる5月のことだった。うららかな日差しが教室の窓からはいりこみ、そろそろ新鮮さもなくなってきた退屈な授業を聞いていると、つい気が抜けてうたた寝をしてしまいそうになる。スカートからのびる太ももをつねってみたりノートに落書きをしたりと、どうにかして意識を保っていようとするのだが、まるで暖かな毛布にくるまれているような陽気のなかにいるとどうしても眠くなってしまう。 

 教室にいる生徒たちの大半はすでに心地よい夢の世界へ足を踏みいれていた。だが出席番号順に並んだ机のせいで運悪く教卓の目のまえの席になってしまった白谷結衣は、かろうじのところで睡魔に抗っていた。

 うつらうつらと頭を落としそうになっては、ふたたび戻ってくる。それのくり返しだ。黄ばんだ教室の壁にかけられた時計はいつもよりゆっくり進んでいるようだった。

 我慢できずに思いっきりほおをつねるが、痛みはない。もう片方もつねってみる。やはり痛くない。そうか、わたしはもう眠ってしまったのか、ならもう起きている必要はないんだな――などと支離滅裂な考えが頭のなかをパレードする。

「もうすぐ中間だからな、ここはテストに出るからしっかり勉強しておくように」

 まだ最初の中間テストまでには三週間もあるというのに、このつまらない授業の元凶である数学教師は脅しをかけてくる。高校のテストというのが中学のときとどれくらい違うのかわからないが、みんなも寝ているようだし、あまり心配する必要もないだろう。

 うしろから聞こえるうなり声のような音を背中に感じながら白谷結衣はついに書きかけのノートの上に突っ伏した。

 ああ、気持ちいい――結衣がふたたび気がつくとチャイムが鳴り、昼休みがはじまっていた。



「ゆい~、お弁当食べよう」

 色とりどりのお弁当箱を手にした友人たちが机のまわりに集まってくる。結衣の通う霞ヶ丘高校では中休みに昼食をとることが禁じられているので、昼休みになるとみな一斉にお弁当を開けるのだ。

 瞼をこすりながら結衣はうなずくと、机の横にかけていた鞄から弁当箱をとり出した。この鞄は学校指定なので入学の前に強制的に買わされたものだ。最初のうちはダサいだのカッコ悪いだのと不平を並べ立てていた新入生たちも、一か月もたてば気にならないくらいに慣れていた。

「わかったー」

 近くにあるいくつかの机を寄せて、ひとかたまりの島をつくる。隣の席に座っているひとはまたほかの場所へお弁当を食べに行っているので問題ない。

 ただ、なかにはいちいち席を移動するのが面倒くさいということで鞄ごと持ってくる人も何人かいるのだが。

 わいわいとさっきまでの眠気はどこに飛んでいったのやらおしゃべりをはじめると、時計も目を覚ましたように速足で進みだす。こんなときくらい居眠りをしてくれてもいいのに、と結衣はいつも思う。

「なにこれ!」 

 休み時間も半分が過ぎて、何人かの運動好きな男子たちがグラウンドに駆けていくころ、結衣の目の前にいた女の子が素っ頓狂な声をあげた。

 みんなの視線が声のほうへ集まる。

 その手にはまるで血のように赤いインクで書かれた文字の並んだ手紙が握られていた。A4サイズの紙面にはいっぱいに不気味な文字が踊り、ひときわ大きく「死」と記されている。

「えー、なんか気持ち悪い」

 手紙を持っていた少女――黒崎瞳が、寄せられた机の中央に手紙を置く。興味津津といった様子で女子たちが身を乗りだして文面をのぞき込むがすぐに顔をしかめて席についた。

「なぜか知らないけど鞄のなかに入ってた。誰だろ、こんなものいれたの」

 結衣は最後に手紙を受け取るとゆっくり目を走らせた。隅から隅へ、まるで無くしものを探すように。

「やめときなよ、気味悪いだけで別に面白くもなんともないよ」

 友達のひとりが結衣を気遣っていうが、聞こえていないみたいに真剣な表情で手紙を読んでいる。結衣はしばらくじっと睨めっこを続けて、それから手紙を戻した。

「どう見ても、脅迫文だと思う」

「それはそうでしょ」

 周りから笑いが起こった。

「それなら、誰に宛てられたものだかわかる?」

 結衣が尋ねると周囲は押し黙ってしまった。宛先などは書かれていなくてただ暴力的な言葉が並んでいるだけだったからだ。

「書いてないじゃん」

「これはね、先生に出すはずのものだよ」

「なんでわかるの」

 興味を持った何人かが椅子を近くに寄せてくる。

「殺すとか死ねとかをのぞいて、いくつかくり返されている言葉があるよね。たとえばこの『差別』とか『レッテル』とか。これだけだとただの批判になっちゃうけど『エゴイスト』って単語が加わることによってだいぶ絞られてくる」

「……どういうこと?」

「つまりこれに当てはまる人を脅したいんだと思う。差別をしてレッテルを張ってエゴイストになれる人――いちばん身近なのは、先生だよね」

「あ、わかった」

 なぜか脅迫状が鞄にはいっていた瞳が膝を打った。

「中間テストでしょ」

「正解。正確にいえばテスト全般だけどね」

「じゃあ、誰がこんなものを入れたの? それも瞳の鞄に」

「まあ、それも大体わかるよ」

 結衣はニヤリと笑うと教壇にあがって人差し指をつきだした。

「さて――」

 がらりと椅子を引き、少し高くなった教卓のまわりを左右に闊歩しながら結衣が話しはじめる。突然はじまった奇妙な行動に、教室中の興味と視線が集まった。

「ついさきほど黒崎瞳さんの鞄に、どういうわけか脅迫状が入れられるという事件が起きました。ですがこれは明らかに黒崎さんに宛てられたものではありません。それにまだ不完全のようでした。ただのA4用紙に綴っただけの脅迫状ではおそろしさに欠けていますからね」

 なんだどうしたと教室がざわめくが、ふたたび結衣が口を開くと静まりかえった。

「この事件で解決しなければいけないポイントは二つあります。『誰が』『どうして』脅迫状を黒崎さんの鞄に入れたのか、ということです。おそらくは中間テストをやめさせるために作られたこの脅迫状がなぜ先生ではなく黒崎さんに渡されていたのでしょうか」

「黒崎が犯人なんじゃねーのか」

 教室の後ろのほうにたむろしているお調子者の男子がヤジを飛ばす。瞳がキッとその男子を睨みつけると、おどけて怖がるふりをした。

「その可能性もあります」

 結衣が大真面目な顔でうなずいた。得意げな表情をするお調子者。

「ちょっとゆい! なんであたしがそんなことしなくちゃいけないのよ」

「なぜ? なんででしょうね」

 結衣がほほ笑んでみせる。

「そう、それこそが黒崎さんを犯人でないと立証する大事な証拠になります。動機がない、つまり脅迫状をつくる理由がないんです。瞳はそんなに成績悪くないもんね」

「ゆいよりはずっと良いよ」

「……成績が悪いという点では、わたしにも充分動機はあるかもしれません。はい。というか他人よりもテストに対する恐怖と憎しみは強いですね」

「じゃあ、白谷が犯人じゃねーの」

 またヤジが飛ぶ。

「大丈夫です。わたしは最初からあきらめてますから中間のなんのそのです」

「……それでいいの?」

「わたしのことは気にしないで先に進みましょう」

 結衣の背中を一筋の冷や汗が伝っていくが、それに気付いたものは本人以外にいなかった。

「今のでもわかったと思いますが、この脅迫状をつくったのは成績の悪い人です。それしか動機がありませんからね。ただそれだけではあまりにも漠然としているので、この教室の大半が容疑者になってしまいます。じゃあオレじゃねーの、と言うのは、なしの方向で」

 軽い口を開こうとしていたお調子者のまわりで笑いが湧きあがった。どうやら図星だったらしい。

「犯人を特定するにはもうひとつの要素が関わってきます。それは『なぜ』黒崎さんの鞄に脅迫状を入れたのか――いえ、入れてしまったんです。間違ってね」

 結衣は脅迫状をヒラヒラと振って見せると、マグネットをつかって黒板に張りつけた。

「さっきの数学の授業、わたしはさっぱりわかりませんでした。わからないので居眠りをしてしまったくらいです。このままじゃテストは大変でしょうね――犯人もそう思った。成績が悪いのは前々から分かっているから脅迫状をつくってみたはいいものの、どうにも送りつける勇気が出ない。そこにあの数学です。犯人はとうとう決意しました。今日こそ脅迫状を出そうと。そうして手紙を片手に廊下を歩いているところで、ふと気がつきました。こんな出来で大丈夫だろうか、いやそれ以上に自分がやったとばれないだろうか。警察沙汰にでもなって指紋を調べられたらすぐに犯人だと特定されてしまう――さしずめ、こんなところでしょう。犯人は途中で挫折し、脅迫状を戻しにやってきました。そして、自分の机にかけられている鞄にそれを入れた」

「でも、入れたのはあたしの鞄」

 瞳がつぶやく。

「そう。瞳の鞄になんて入れるつもりはなかった。なぜなら、自分の鞄と勘違いをしたから」

 あっと声をあげて、視線がひとりの人物に、まるで虫眼鏡で集めた太陽光のように浴びせかけられる。

「犯人はあなたですね、住田くん」

 結衣のひとつ後ろの席に座っている生徒の名前が、高々と宣言された。

「わたしたちの鞄は不幸ながらどれもこれも同じに見えます。アクセサリーがついていたりして普段は見間違えるようなこともないでしょうが、すぐに脅迫状を隠さなければと焦っていたあなたはミスを犯しました。そのせいで瞳の鞄に脅迫状を入れてしまった――違いますか?」

 住田くんは教室の窓際の隅で、とりつかれたように固まっていた。なにが起こっているのか分からないのか、それとも結衣の洞察力に愕然としているのか、どちらともとれるような唖然とした表情をしている。

 誰かが声を発する前に、結衣はやさしく笑った。

「でも大丈夫ですよ。これは未遂です。今ならただの笑い話ですむ話です。だから、こんなものは破いちゃいましょう」

 ビリビリと半分ずつに脅迫状を破り、紙吹雪のようになった文字を窓から風にのせて飛ばす。春風に舞う言葉は、まるで桜のようにきれいだった。

「わたしも勉強をがんばります、ですから住田くんもいっしょにがんばりましょう」

 昼休みの終わりを告げるチャイムとともに、自然とわきあがった拍手が教室を包んだ。

 住田くんは中間テストまで、クラスで一番頭のいい人に勉強をみっちり教えてもらうことになった。



 結衣がその人に出会ったのは住田くんの脅迫未遂の事件を解決したすごいやつがいるという噂が学校中を駆けめぐった翌日の放課後のことだった。

 クラスメイトたちはそれぞれ目当ての部活を見学するために出かけたり、いち早く帰宅部を決めこんでいたり、勉強を教えてもらいに図書室へ向かって行ったりしている。

 結衣はのんびりと鞄に荷物をつめ終えると人影もまばらになった教室を見回した。

 中学のときは合唱部に所属していたせいで声はよく通るようになったが、歌はあまり得意なほうじゃない。カラオケでも60点をとるのが精いっぱいといったところだ。

 なにより歌っている最中に貧血になってしまうから、コンクールなどにだしてもらえなかったという苦い記憶がある。だからもう合唱部に入るつもりはなかった。

 霞ヶ丘高校には同好会があるので、部活の数は比較的多い。たしかクラブと同好会の違いは人数の差だったはず――と、おぼろげに覚えている生徒手帳の一文を思い出す。

 たしか読んだことには読んだが、細かい字がびっしりと敷きつめられていて途中で挫折したのだ。

「きみか! 白谷結衣は!」

 とても元気のいい声が教室の入口あたりから飛んできた。見ると、ショートカットの髪をした、体中からエネルギーがほとばしっているような女生徒が立っていた。

 身長は結衣と同じくらいで160センチ程度。適度に着崩された制服や膝上までまいてあるスカートからして、おそらく先輩だろう。それも高3の。

 年齢はあまり違わないのだが、高校生くらいになると学年が違うだけでずいぶん大人びて見える。その先輩もはつらつとした雰囲気のなかにどこか貫禄があるように思えた。

「はい、そうですけど……」

 何のご用ですか、と言う前に両手で握手をされる。

 どうやら生意気な新入生だということで手荒い洗礼を受けるとかではなさそうだ。見知らぬ先輩が訪問してきたということですこし緊張していた結衣は、ほっと胸をなでおろした。

「部活は?」

「まだ決めていません」

「あの噂はほんとうなんだろうね」

 息をつく間もなく先輩が言う。

「なんの噂ですか?」

「もちろん1年生にとてつもない超新星があらわれたという噂にきまっているじゃないか。なんでもホームズばりの名推理だったとかなんとか」

「そんなことありませんよぉ」

 片手をヒラヒラ振って否定する。

「わたしはただ――ちょこっとわかったことを口にしただけです。名探偵だなんて言い過ぎですよ」

「ふむ。じゃあ、すこしテストをしてみようか」

 先輩はそう言うと、ブレザーのポケットのなかから1枚のコインをとりだした。そして背中の後ろでごちゃごちゃ手を動かすと、握られた両手をぬっと突き出した。

「ひとつだけ質問をしていいことにする。どちらにコインが入っているでしょうか」

 まるでいじわるな悪魔がいたずらをしているときのような笑みを浮かべる先輩。結衣はすこしのあいだ考え込むと、口を開いた。

「どちらにコインが入っていますか?」

「それでいいの? うちが本当のことをいうとは限らないよ」

「かまいません」

「それなら――右ってことで」

 結衣は右手のこぶしを注視してから、先輩の表情をうかがった。ウソをついているようには見えなかったが、ほんとうのことを教えてくれなかった可能性もある。

 けれども結衣はそっと右手のほうを指差した。

「先輩のことを信じます」

「それだけ?」

「はい」

 握った右手を反転させると、ひらいた手のひらからコインが出てきた。不思議そうな顔をする先輩に結衣が説明する。

「確信はありませんでしたけれどいきなり初対面の人にウソをつけるような人じゃないかなあって思ったんです。先輩、どこかの部活の勧誘に来たんですよね。それだったら最初から印象を悪くするようなことはしないでしょうし」

「――さすがだ、新入生」

 目に涙を浮かべながら感動した面持ちでその先輩は目頭をぬぐった。結衣が照れくさそうに頭をかく。

「でも、結局は勘ですし」

「推理小説に出てくる刑事たちは得体のしれない勘というものをあてにしている。それを考えれば名探偵の要素に直感も必要さ」

 しきりにうなずく先輩。

「ところで白谷結衣くん、うちは3年の片倉だ。これから一緒についてきてほしいところがある」

「いいですよ」

「楽しい高校生活を保障しよう」

 片倉先輩は白い歯を光らせながら親指を立てて笑った。



少しずつ更新です。

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