KOUSYOU
(原文)
コウショウのコウショウ、コウショウしていたコウショウなコウショウ人のコウショウをコウショウするため、コウショウをコウショウしていたコウショウはコウショウでコウショウしたコウショウをコウショウでコウショウした。コウショウはまたコウショウでコウショウなコウショウだったが、コウショウなコウショウのコウショウなコウショウによりコウショウ中にコウショウでコウショウし、コウショウの中コウショウで「コウショウとコウショウのコウショウもまたコウショウなり」とコウショウしコウショウされた。コウショウではコウショウしていたコウショウのコウショウが、コウショウのあまりコウショウで出来たコウショウをコウショウしたともコウショウされているが、それはまたコウショウでコウショウすることとしよう。
(原文ママ)
康正の高舂、交照していた高尚な交渉人の哄笑を口証するため、厚相を公称していた孝昭は黄腫で洪腫した公傷を工廠で厚償した。孝昭はまた緪升で翺翔な好将だったが、高姓な膠相の狡捷な攻鈔により寇鈔中に広昌で降将し、広宵の中高声で「肴将と紅椒の香蕉もまた更嘗なり」と口唱し勾銷された。江上では好尚していた紅晶の工匠が、蒿蕭のあまり鉱床で出来た洪鐘を咬傷したとも口承されているが、それはまた後章で考証することとしよう。
(原文パパ)
康正(1455年〜1457年)の夕方頃、
高尚を気取る交渉人が放った嘲笑の真偽を証明するため、
かつて厚相(大臣)を名乗っていた孝昭は、
黄疸で腫れ上がった傷を、軍需工場で補償した。
孝昭はまた、昇り龍のように勇ましい将軍でもあったが、高名な宰相の狡猾な奇襲によって、敵襲の最中、広昌の地で降伏することとなる。
墓に入れられながら、彼は高らかにこう叫んだ。
「塩と唐辛子で味付けしたバナナもまた経験だな」
そう言い残し、彼は歴史から抹消された。
彼の死を知らされ、池の辺りでは、
当時流行りの赤水晶の工匠が寂しさのあまり、
レアアースから鋳造された大鐘を噛み砕いたとも伝えられる。
だが、その真偽については後章で検証することにしよう。




