同じ空の下、自分たちの居場所
隼人は、拒絶する颯太を無理やり学校へと連れ戻した。
辿り着いたのは、放課後の静かな自分たちの教室。
そこには大きなモニターが設置され、パソコンに繋がれていた。
画面に映し出されているのは、リアルタイムで行われている「ステラ」の卒業ライブ。
同接数は見たこともない数字に膨れ上がり、熱狂的なコメントが滝のように流れていく。
けれど、颯太の耳には何も届かない。
「……なんの拷問だよ。頼む、帰らせてくれ」
隼人を睨み、目を逸らす。
しかし、隼人は『いいから見ろ』と打ち込まれたスマホを押し付け、無言のまま画面を指差した。
その場から離れることを許さない、親友の強い意志。
やがて、字幕で曲名が表示され、曲が始まったことがわかった。
颯太がステラに作ったオリジナル曲の二曲目「スターライト」。
画面には歌詞の字幕が流れる。
ステラは本当に楽しそうに、弾けるような笑顔で歌っていた。
けれど、颯太にとっては無声映画と同じだ。
音のない歌に、胸を締め付けられるような苦しさが募る。
曲が終わると、ステラがMCに入った。
身振り手振りを交えて長く話しているが、字幕は出ない。
彼女が何を伝えようとしているのか、颯太には全く分からなかった。
耐えきれず、席を立とうとしたその時。
隼人がそっと颯太の肩を叩き、再びモニターを指差した。
――曲名:『スターズリメイン』
颯太が完成させられなかった曲。
莉奈が、過去の自分へ「大丈夫だよ」と伝えるために作ったはずの、莉奈にとって何よりも大切な曲。
画面の中でステラが歌い、舞う。
歌詞の字幕が、音のない静寂をなぞるように流れていく。
けれど、颯太の胸にあるのは、かきむしりたくなるような絶望だった。
(……聴きたい。頼むから、聴かせてくれ……!)
一番聴きたかったステラの歌。
彼女の覚悟が詰まったこの曲を、誰よりも理解し、完成させたかったのは自分だ。
なのに、どんなに耳を澄ませても、鼓膜を震わせる音はひとつもない。
画面の向こうで莉奈が想いを込めて叫んでいるのがわかる。
それなのに、自分の世界は冷たい無音に支配されたままだ。
自分の不甲斐なさと、失われた音への飢餓感で、視界が歪む。
このままでは、ただ彼女の声を忘れていくだけのような気がして、颯太は恐怖に震えた。
その時だった。
曲の終盤、ステラが画面に向かって、ゆっくりと、けれど確かな意志を込めて指を動かした。
それは、最近颯太が必死に勉強していた手話だった。
(……だ、い、じょ、う、ぶ、だ、よ)
――大丈夫だよ。
それは間違いなく、画面の向こうにいる颯太へ向けられた言葉だった。
その瞬間、不思議なことが起きた。
無音のはずの世界で、莉奈の声が、かつて何度も聴いたあの歌声が、颯太の頭の中で鮮やかに響き渡ったのだ。
書き上げられなかった楽譜に、莉奈の想いという最後の一音が加わり、今、この曲が完成した。
「……っ!」
涙が溢れて止まらなかった。
颯太は震える声で隼人に詰め寄った。
「隼人、桜庭先輩はどこだ? スタジオを教えてくれ!」
けれど、隼人は首を横に振り、スマホを見せた。
『まだ終わってない。最後まで見ろ』
画面には、新たな曲名が表示された。
――曲名:『輝く星に』
それは、まだ何者でもなかった頃の颯太が、暗闇の中で自分を奮い立たせるために綴った、たった一つの希望の旋律。
そして、偶然その曲を聴いた莉奈が、その音に背中を押され、勇気を出して「ステラ」としての第一歩を踏み出した、すべての始まりの曲だった。
かつて自分が彼女に贈った光が、今度はステラの歌声となって、時を超え、無音の闇に沈む自分を救い上げるために返ってきたのだ。
流れる歌詞の一言一言が、今の颯太の震える心に深く突き刺さる。
画面の中の莉奈は、まるで「音を失っても、君が作ったこの光は消えない」と告げているかのように、一音一音を慈しむように歌っていた。
そして彼女は、再び手話を披露する。
(……そ、ば、に、い、る、よ)
――そばにいるよ。
その指先の動きを見た瞬間、颯太は確信した。
莉奈は、自分が音を失ったあの日も、酷い言葉で拒絶してしまったあの日も、ずっと「ここ」にいてくれたのだ。
画面を隔てた向こう側ではなく、自分の心のすぐ隣で、ずっと歌い続けてくれていた。
曲はラストサビに向け、溢れんばかりの感情を乗せて加速していく。
画面の中の莉奈は、もう「Vtuber」というキャラクターの枠を超えていた。激しく動く光の粒子、流れるいくつもの感謝のコメント、そのすべてを背負って、彼女は今、この瞬間を燃やし尽くそうとしている。
音が聞こえないはずなのに、颯太の体は熱い旋律に震え、心臓は彼女の歌のテンポに合わせて鼓動を刻んでいた。
かつて自分が孤独な夜に作った曲が、今、彼女の手によって多くの人々の心を震わせ、そして最後には、たった一人の「自分」を救い上げている。
(ああ、そうか……。音楽は、死んでいなかったんだ)
耳が死んでも、想いは死なない。
彼女が紡ぐ「言葉」と、自分がかつて生み出した「音」が、今この教室でひとつに溶け合っていく。
最後の一音が長く尾を引き、ステラが深く、深くお辞儀をする。
画面の端に「卒業おめでとう!」「ありがとう!」という文字が嵐のように吹き荒れ、やがて画面は静かに暗転した。
ライブが終わった。
ステラとしての莉奈は、ここで卒業した。
けれど、颯太の頭の中には、莉奈の凛とした、優しくも力強い歌声が、消えない残響となっていつまでも響き続けていた。
静まり返った教室で、颯太は顔を覆ったまま、ただ激しく、震える肩を抑えることができなかった。
隼人がスマホで何かを確認し、画面を見せてきた。
『第二音楽室へ行け』
意味が分からないまま、颯太は走り出した。
そこは、いろはたちと出会い、初めてオリジナル曲を作った思い出の場所だ。
扉を開けると、そこにはいろは、そして、まだ配信の余韻を残した莉奈が立っていた。
驚いたことに、ライブ配信はこの学校のスタジオ設備を借りて行われていたのだ。
いろはは優しい笑顔でスマホを見せると、『あとは二人で話しな』とだけ打ち込み、部屋を出ていった。
静寂に包まれた音楽室で、莉奈がスマホを操作し、一文字ずつ丁寧に打ち込んだ画面を見せてくれた。
『いろはちゃんたちにすべてを話して、協力してほしいってお願いしたの』
点と点が線で繋がる。
隼人の言葉、いろはの優しさ、莉奈の不自然なスマホの通知。
すべては、この瞬間のためにあったのだ。
颯太は、ありったけの感謝を込めて伝えた。
「……卒業、おめでとうございます。最高のライブでした。本当に、嬉しかったです」
今日のことは、一生忘れない。
耳が聞こえない絶望の中でも、莉奈が、仲間たちが、自分を暗闇から引きずり出してくれた。
最高の日になった。
莉奈はスマホを胸元に抱え、少しだけはにかんだような、けれど最高に晴れやかな笑顔を浮かべた。 配信を終えたばかりの彼女の頬は少し赤らんでいて、その瞳には、さっきまで画面越しに見ていた「ステラ」と同じ、強い光が宿っている。
言葉は聞こえなくても、彼女が今、何を想っているのかが痛いほど伝わってきた。
二人の間に流れる静寂は、もう寂しいものではなかった。
隣にいる理由を、初めて疑わずに済んだ。
それは、共に嵐を乗り越えた者だけが共有できる、穏やかで優しい時間だった。
窓の外に目を向ければ、卒業の喧騒が去ったあとの夜闇が静かに広がっていた。
校舎を包む深い夜の底で、遠くの街明かりが、まるで画面の中で見た「スターライト」のように優しくまたたいている。
明日からは、もう「先輩と後輩」ではない。
制服を着てここへ来ることもない。
けれど、繋がったこの絆だけは、どんなに世界が静まり返っても、決して消えることはないだろう。
居場所を探す俺と、Vtuberの君は、画面の向こうで同じ空を見ていた。
そして、俺と彼女の居場所は、確かにここにあった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
最終話まで何とか書ききることができました。
少しでも心に残るものがあれば、嬉しいです。
本当にありがとうございました。




