祈りを刻む
レンタルスタジオの防音室。
厚い扉の向こう側で、莉奈がマイクの前に立つ。
颯太は持ち込んだ自前のノートパソコンをスタジオのインターフェースに接続し、慣れない手つきでセッティングを進めた。
画面上に並ぶ波形を確認し、モニターヘッドホンの位置を直す。
プロジェクトファイルの先頭には、この曲のタイトルが刻まれている。
『スターズリメイン』。
星は消えても、その光は数万光年の時を超えて届き続ける。
孤独だった過去の莉奈が、暗闇の中で見上げたかもしれない一筋の光。
今の莉奈が、過去の自分に「大丈夫だよ」と語りかける、時を超えた歌。
颯太は、その名前をもう一度だけ、心の中でなぞった。
「……先輩、音のチェックと喉慣らしを兼ねて、一度軽く通してみてもらってもいいですか?」
「うん、わかった」
莉奈が頷く。
メトロノームの音が鳴り、防音室から莉奈の澄んだ歌声が届いた。
しっかり録音できていることを確認し、颯太と莉奈、双方のヘッドホンに返る音量バランスを微調整していく。
自分の部屋では感じられなかった、プロ仕様の機材が拾う「莉奈の呼吸」に、颯太の背筋が自然と伸びた。
準備が整い、いよいよ本番が始まる。
莉奈はこの日のために相当な予習を重ねてきたのだろう。
音程もリズムも、驚くほど完璧に仕上げられていた。
しかし、トラブルは思わぬところで起きた。
「……あ、すみません。今のテイク、俺の操作ミスでノイズが入っちゃいました。もう一回お願いします」
慣れないスタジオ機材の扱いに、颯太の方がもたついてしまう。
その都度、彼は焦りながらも原因を突き止め、一つひとつ問題を解決していった。
莉奈はそんな颯太を急かすことなく、ただ穏やかに次の合図を待ってくれた。
レコーディングが進むにつれ、二人のやり取りはより熱を帯びていく。
「……先輩、ここは地声よりファルセットの方がいいかもしれないです」
「そうかな?……じゃあ、一回やってみるね」
指示を出すたび、莉奈は防音室の中で手元の歌詞カードに素早くペンを走らせた。
颯太のアドバイスや、歌いながら掴んだ細かなニュアンスを、忘れないように必死にメモしているのだ。
余白が少しずつ文字で埋まっていくその光景に、彼女のこの曲に懸ける執念のようなものを感じて、颯太の胸が熱くなる。
「逆に、今の後半部分はもっと語りかけるような、切ない感じで歌ってみてもらえますか?」
一フレーズごとに言葉を交わし、時には莉奈からの提案を反映させる。
気づけば、特定のフレーズだけで何十回というテイクを重ねていた。
歌い手にとっては過酷な作業だが、莉奈の瞳に疲労の色はなく、むしろ一音ごとに曲に魂が宿っていく過程を楽しんでいるようだった。
そして。
数時間に及ぶ試行錯誤の末、ついにラストのサビを歌い切った。
最後の余韻が消えるのを待ち、録音停止ボタンを押す。
「……お疲れ様です。完璧です。全部録り終えました」
コントロールルームのスピーカー越しに颯太が告げると、莉奈はホッとしたように肩の力を抜き、満面の笑みを見せた。
余裕を持って長めに借りていたため、スタジオのレンタル時間はまだ残っていた。
二人は機材の片付けをしながら、小さなソファに腰を下ろして一息ついた。
「……すみませんでした。俺がもたついたせいで、先輩を何回も歌わせちゃって」
恐縮する颯太に、莉奈は首を振った。
「ううん、全然。むしろ、納得がいくまで一緒に作ってるって感じがして、すごく楽しかったよ。ありがとう、颯太くん」
そう言って微笑む莉奈の表情には、一仕事を終えた達成感が溢れていた。
この曲はこれから、卒業までにMVを制作して投稿する予定だ。
颯太は、ずっと気になっていた卒業の具体的なスケジュールを尋ねた。
「……卒業のこと。発表は、もうすぐなんですよね?」
「うん。一月の中旬くらいに発表して、三月の卒業式の日に、最後の配信をしようと思ってるんだ」
莉奈は落ち着いたトーンで続けた。
「最後は家じゃなくて、別の場所を借りて卒業ライブの形式にしたいなと思って。もうスタジオも押さえてあるの」
着々と進んでいく、終わりへのカウントダウン。
寂しさがないと言えば嘘になるが、今の颯太には、彼女の最後を最高の音で飾るという使命感があった。
「……お疲れ様でした。気をつけて帰ってくださいね」
スタジオを出て、冬の夕暮れの中で解散する。
カバンの中には、莉奈の祈りが込められた至極の歌声データが入っている。
早く、この声を形にしたい。
逸る気持ちを抑えながら帰宅した颯太は、上着も脱がずにデスクへ向かった。
モニターを点灯させ、制作ソフトを立ち上げる。
いよいよ、最後の工程であるミックス作業。
颯太はヘッドホンを装着し、今日録ったばかりの莉奈の声を選択した。
マウスを握り、再生ボタンをクリックする。
――そこから、物語は音を立てて崩れ去った。
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