屋上の誓い、未来への足音
十二月二十四日。
冬の淡い光が差し込む体育館で行われた終業式は、校長先生の長い訓話も相まって、ひどく眠気を誘うものだった。
けれど、颯太の意識は一度も微睡むことはなかった。
カバンの中にあるプレイヤーと、一通の手紙。
その重みが、絶えず自分の存在を主張していたからだ。
終業式が終わると、教室でホームルームが行われ、解散の合図と共に、颯太は喧騒を抜けて屋上を目指した。
重い鉄の扉を押し開けると、冷たい冬の風が頬を叩く。
誰もいない屋上で、フェンスにもたれて空を見上げた。
静寂の中に、自分の心音だけが速く、高く響いている。
数分後、扉が再び開く音がした。
「待たせちゃったかな」
少し息を切らして現れた莉奈は、マフラーに顔を埋め、鼻先を赤くしながらも、柔らかく微笑んだ。
「いえ、俺も今来たところです」
颯太は震える手で、カバンからプレイヤーとヘッドホンを取り出した。
「……聴いてください。先輩のために作った、一曲です」
莉奈がヘッドホンを耳に当て、颯太が再生ボタンを押す。
瞬間に、莉奈の意識は屋上の喧騒から切り離され、彼女だけの深い音の世界へと沈んでいった。
莉奈はゆっくりと目を閉じた。
イントロはなく、いきなりAIボーカルによる仮歌が響き出す。
今の莉奈が、孤独だった過去の自分へ「大丈夫だよ」と語りかけるようなメロディと歌詞に、莉奈は息を呑み、静かに目を閉じた。
莉奈のまつ毛が微かに震え、組んだ指に力が入るのを颯太は隣でじっと見つめていた。
曲が終わっても、彼女はしばらく目を閉じ、ヘッドホンを外そうとはしなかった。
ただ静かに、自分の内側で響き続ける余韻を噛み締めているようだった。
やがて、ゆっくりと目を開けた彼女の瞳は、潤んでキラキラと輝いていた。
「……すごい」
ヘッドホンから流れる音源を聴き終えた莉奈は、しばらくの間、何も言わずに立ち尽くしていた。
その瞳には、今にも零れ落ちそうなほど大粒の涙が溜まっている。
今の莉奈が、孤独だった過去の自分へ「大丈夫だよ」と語りかける旋律。
それが完璧な形になったことに、彼女は魂を揺さぶられていた。
「ありがとう、颯太くん……。本当に、素敵な曲。過去の私が聞いたらきっと救われると思う」
その言葉を聞いた瞬間、颯太の胸の奥から熱い塊が突き上げてきた。
ただのデータだった音が、莉奈の心に触れて、初めて「意味」を持ったのだと感じられた。
けれど、まだこれで終わりではない。
AIの仮歌ではなく、莉奈自身の歌声で、この祈りのような旋律を世界に刻み込みたい。
この曲を最後まで見届けることこそが、作曲家として、そして一人の友人としての自分の責任だという強い衝動が、颯太を突き動かした。
「先輩……。あの、もし良ければ、この曲のレコーディングからミックス、マスタリングまで、全部俺に最後までやらせてもらえませんか?」
颯太の真っ直ぐな提案に、莉奈は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに深く頷いた。
「もちろん。……お願いできるかな? 颯太くんと一緒に、この曲を完成させたい」
二人は、莉奈が曲を覚え込む時間を考慮し、年明けにレコーディングを行うことを約束した。
冬の午後の、高く透き通った空の下。ひと段落ついたところで、颯太は気になっていたことを恐る恐る口にした。
「あの……先輩。ステラの活動、卒業を考えてるんですか?」
莉奈の肩が、わずかに震えた。
彼女は遠くの街並みを見つめ、静かに言葉を紡ぎ出した。
「……うん。卒業するよ」
莉奈が初めて明かしたその理由は、あまりにも彼女らしいものだった。
ステラとしての居場所は、今でも何よりも大切だと思っている。
けれど、今の彼女にはそれ以上にやりたいことができていた。
「私ね、教師になりたいんだ」
莉奈は真っ直ぐな目で颯太を見て、言葉を継いだ。
「自分と同じように、いじめや孤独で苦しんでいる人を、今度は私の手で直接救いたい。画面越しじゃなくて、もっと近くで、誰かの居場所を作れるような人になりたくて……。そのために大学へ行って、教員免許を取るつもり」
さらに莉奈は、少しはにかんだように笑った。
「……ここにも、颯太くんが作ってくれた、私の居場所があるって気づけたから。だから、一歩踏み出せるんだと思う」
誰にも言わずにいた莉奈の決意を、自分に打ち明けてくれた。
その信頼が嬉しくて、颯太は彼女の新しい道を全力で応援しようと決めた。
その事実が、颯太の不安を誇らしさへと変わっていた。
「……それでね、ステラの卒業なんだけど、発表は一月に入ってからにしようと思ってるんだ」
莉奈はどこか遠くを見つめるように言った。
「今はクリスマスだし、今日を楽しみにしてくれているファンのみんなが、がっかりするようなことは言いたくなくて。……もちろん、いつかは自分の口で伝えて、みんなを悲しませちゃう日が来るのは分かってるんだけど。せめて、この幸せな空気のまま年を越してほしいから」
いずれはファンを失望させてしまうかもしれない。
そんな避けられない痛みを抱えながらも、今は少しでも長く笑顔でいてほしいと願う――。
どこまでも自分のことより、応援してくれる人たちの気持ちを優先する。
そんな莉奈らしい優しさに触れて、颯太は改めて彼女の決意を尊重したいと強く思った。
「……わかりました。先輩が決めた道なら、俺、全力で応援します」
解散の空気が流れる中、颯太はもう一つのプレゼントを差し出した。
「これ、さっきの曲とは別に……今の俺からの、感謝の気持ちです」
解散の間際、颯太はポケットから一通の封筒を取り出した。
冬の光を反射して、表面に施された雪の結晶の銀細工が小さくきらめく。
莉奈は一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに吸い込まれるような優しい笑みを浮かべた。
「……ありがとう。嬉しい」
彼女はその封筒を、壊れやすいガラス細工でも扱うように両手でそっと受け取る。
そして、自分に言い聞かせるように一度小さく頷くと、宝物のように大切に胸元へ抱き寄せた。
「ありがとう。……帰ってから、大切に読むね」
そう言って微笑む彼女の背中を見送りながら、颯太は確かに、新しい未来の足音を聞いていた。
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