反響の向こう側
カレンダーが最後の一枚になり、街が浮き足立ち始めた十二月。
颯太は、かつてないほどの壁にぶつかっていた。
深夜、モニターに映る作曲ソフトの画面を凝視し、何度も同じ小節をループさせる。
夜中に「これだ!」と思って打ち込んだ会心のフレーズも、翌朝、冷めた頭で聴き返すと酷く陳腐に聞こえ、結局削除する。
そんな不毛な試行錯誤の繰り返しだった。
(あと、一歩……何かが足りない)
莉奈に贈る、過去の莉奈を抱きしめるための曲。
技術的には整っている。
けれど、そこには莉奈という人間が持つ「芯」のようなものが、まだ宿っていない気がした。
ふと、颯太の手が止まる。
今はトップVTuberの一人として輝くステラだが、最初からそうだったわけじゃない。
誰にも見向きもされず、冷たい暗闇の中で配信していた時期が彼女にもあったはずだ。
そんな時、彼女は一体どんな想いで、震える声に命を吹き込んでいたのだろうか。
それを知ることが、この曲を完成させるための「最後の鍵」になる。
根拠のない、けれど確固たる確信があった。
颯太は熱を帯びた指先でスマホを手に取り、莉奈にメッセージを送った。
『相談したいことがあるので、土曜日、会えませんか?』
土曜日。
待ち合わせ場所に選んだのは、学校から少し離れた落ち着いた喫茶店だった。
かつて二曲目の楽曲制作でリテイクを食らい、改めて「打ち合わせ」をしたあの場所だ。
「……懐かしいですね。二曲目の制作でボツになって、俺が『もう一度チャンスをください』ってお願いして……ここで改めて打ち合わせをした日のこと、昨日のことみたいです」
先に席についていた颯太が少し照れくさそうに言うと、あとから来た莉奈が、あの時と同じように柔らかく微笑んだ。
窓から差し込む冬の柔らかな光が、莉奈の輪郭を優しく縁取る。
「あの時の颯太くん、すごく真剣な目をしてた。……でも、あの時ここでちゃんと話せてよかったって思うよ」
運ばれてきたコーヒーの暖かな湯気と香りに包まれながら、颯太は本題を切り出した。
活動初期の頃。
まだファンが片手で数えるほどしかいなかった時、何を支えに配信をしていたのかを。
「……最初の頃、か」
莉奈は両手でカップを包むように手を添え、遠い記憶を辿るように視線を落とした。
「最初はね、やっぱり怖かった。勇気を出して始めたのに、誰も見てくれない。ここにも私の居場所はないんだって、何度も諦めそうになったよ。モニターの向こう側に、誰もいないんじゃないかって……」
その言葉は、颯太自身の経験とも重なった。
ネットに曲を投稿しても、再生数は一桁のまま動かない。
自分の音楽は世界に必要ないんじゃないかと、暗い虚無感に押しつぶされそうになった夜。
「でもね、一人だけいたの。どんなに同接が少なくても、いつも真っ先に来てくれて、優しいコメントをくれる人が」
莉奈の表情が、ふんわりと柔らかくなる。
「その一人の存在が、私をステラでいさせてくれた。それから少しずつ、私の存在を見つけてくれる人が増えて、気づいたらたくさんの声が届くようになって……。ここに来るまで本当に時間はかかったけど、今はね、その全部が楽しかったって思えるんだよ。無駄な時間なんて、一つもなかったって」
「楽しかった」。
苦労や孤独を否定せず、その過程すべてを愛おしそうに語る彼女を見て、颯太の胸のつかえがスッと取れていくのを感じた。
莉奈が颯太の曲を見つけてくれたから、颯太の音楽は意味を持った。
そして莉奈もまた、誰か一人の応援があったから、今の場所まで歩いてこれた。
音楽は、誰か一人の心に届けばいい。
その積み重ねが、いつか誰かの人生を照らす大きな光になる。
「……ありがとうございます、先輩。おかげで、書きたい音がはっきり見えてきました」
「よかった。……颯太くんの曲、楽しみにしてるね」
店を出て解散したあと、颯太は足早に帰路についた。
冷たい冬の風が容赦なく頬を打つが、心の中は消えることのない熱い熱量で満たされている。
帰宅してすぐ、上着も脱がずにパソコンの前に座った。
ヘッドホンを装着し、プロジェクトファイルを開く。
今の莉奈の言葉を、そして彼女の歩んできた道のりを、一音ずつ「手紙」に込めていく。
迷いはなかった。
指先が吸い付くようにマウスを動かし、ピアノロールという無限のキャンバスに命を吹き込んでいく。
カチ、カチと静寂の中に小気味よいクリック音が響く。
「……なんか、左側のハイハットが耳に刺さるな。少し音量下げすぎたか?」
全体のバランスを確認すると、なぜか左から鳴る高域の楽器だけが、以前より少しだけ遠く、あるいはこもって聞こえるような違和感があった。
颯太はミキサーのフェーダーを慎重に微調整し、納得のいくバランスに書き換えていく。
「やっぱり、耳が疲れてるのかもな……」
颯太は一度ヘッドホンを外し、凝り固まった身体をほぐすように大きく伸びをした。
耳を休ませるために静寂の中に身を置くと、先ほどまで鳴っていた音が頭の中で心地よい残響となって反響している。
今はそれよりも、この溢れ出す旋律を逃したくない。
耳の疲労感さえも、納得のいく曲が書けている証のように思えて、颯太の唇には自然と笑みが浮かんでいた。
最高の形で、今の、そして過去の莉奈に届けるために。
モニターの青白い光に照らされた颯太の指先は、深い夜が明けるまで止まることはなかった。
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