放課後のブランコ、届かぬ想い
授業が終わるのを告げるチャイムが、いつもより冷たく響いた。
帰りのホームルームが終わり、浮き足立つ教室の喧騒の中で、颯太は一度だけ深く息を吐き、スマホを取り出した。
――放課後、少しだけ時間いいかな。
――学校の近くの、公園で待ってる。
颯太はいろはにメッセージを送った後、返信を待たずに鞄を肩にかけた。
もし対面で誘えば、いろははまた気を遣って「いつも通り」を演じて断るかもしれない。
そうさせないための、一方的な呼び出しだった。
学校近くの、小さな公園。
放課後の喧騒から切り離されたようなこの場所で、颯太はいろはを待っていた。
遊具は色褪せ、砂場には誰の足跡もない。
風が吹くたび、ブランコの鎖がかすかに鳴った。
颯太はポケットの中で、何度も拳を握りしめる。
指先に残る震えが、まだ消えてくれなかった。
――逃げない。
あの夜、彼女が逃げずに言葉をくれたのだから。
「颯太!」
振り返ると、いろはが小走りでこちらに向かってくる。
息を切らしながらも、目が合った瞬間、ぱっと笑った。
「颯太から呼び出すなんて珍しいよね。……あ、ブランコ。懐かしい。まだ残ってたんだ」
軽い調子でそう言って、いろははひらりとブランコに腰を下ろす。
「ねえ、どっちが高く漕げるか競争しよっか。……なんてね」
いろはは子供のように屈託なく笑い、力強く地面を蹴った。
キィ、キィと乾いた音がリズムを刻み、彼女の髪が風に踊る。
「わあ、すごい! 風が冷たくて気持ちいいよ、颯太!」
大きく足を投げ出し、空に向かって高く、高く漕ぎ出していくいろは。
その姿は、まるで悩みなんて何一つない普通の女の子のようで、楽しげな笑い声が静かな公園に溶けていった。
けれど、その勢いは長くは続かなかった。
次第に足の力が抜け、揺れが小さくなっていく。
「……それで、話ってなに?」
「いろは」
名前を呼ぶと、風の音さえも遠のき、世界から一切の音が消えてしまったかのような錯覚に陥った。
ただ、自分の鼓動の音だけが、耳元でやけに大きく響いている。
颯太は一歩、近づく。
「京都で言ってくれたこと……本当に、嬉しかった。正直、あんなふうに想ってもらえるなんて思ってもみなかった」
言葉を選びながら、続ける。
「俺、自分に自信がなくて、音楽のことばっかで、周りが見えてなくて。それでも好きだって言ってくれたのが、すごく嬉しかった」
「……うん」
いろはは俯き、砂を見つめる。
沈黙のあと、颯太ははっきりと告げた。
「でも、俺には好きな人がいる。……桜庭先輩のことが、好きなんだ」
ブランコの鎖が、きし、と鳴った。
「だから、いろはの気持ちには応えられない。ごめん」
いろははしばらく動かなかった。
やがて、小さく息を吐く。
「……だから、返事はいらないって言ったのに」
いろははそう言うと、逃げるように勢いよく顔を背けた。
固く結ばれた唇が、かすかに震えている。
聞きたくなかった。聞かなければ、まだ「いつも通り」のふりをして、颯太の隣にいられたかもしれないのに。
そんな後悔と、それでも言葉を紡ごうとする颯太への怖さが、いろはの小さな肩を揺らしていた。
「それでも、言わなきゃだめだと思った。その言葉に甘えて、黙ったままなのは……違う」
ゆっくり、いろはが顔を上げる。
目は赤くなっていて、今にも泣きそうな顔をしていた。
「……そっか」
少しだけ、笑う。
「知ってたよ。颯太が莉奈先輩を見るときの顔、私には向けてくれなかったもん」
一度、唇を噛んでから、続けた。
「振られるって分かってた。でも、ちゃんと聞けてよかった。……ありがとう」
いろはは一度、深く息を吸い込んだ。
潤んだ瞳を隠すように無理やり上を向き、パチパチと瞬きを繰り返す。
そして、今にも零れ落ちそうな涙を瞳いっぱいに溜めながら、それでも強がって、これ以上ないほど明るく不器用な笑顔を颯太に向けた。
「ねえ。最後にひとつだけ、聞いてもいい?」
颯太は声が出ず、ただ黙って頷くことしかできなかった。
「……まだ、好きでいちゃだめかな」
くしゃりと顔を歪め、いろはの瞳から一筋の涙がこぼれた。
頬を伝う涙を拭いもせず、いろはは震える声で笑った。
それは、失恋の悲しみだけでなく、颯太を想い続けてきた自分自身を肯定したいという、彼女の精一杯の願いだった。
胸が、引き千切られるように締め付けられる。
否定すれば、彼女のこれまでの純粋な想いを踏みにじることになる。
けれど、肯定すれば、また彼女を「叶わない恋」に縛り付け、傷つけることになるかもしれない。
それでも、颯太は目を逸らさなかった。
真っ直ぐに想いをぶつけてくれた彼女に対して、嘘や綺麗事は使いたくなかった。
「……ダメなんて、言えるわけないだろ」
言葉を絞り出す颯太の視界も、かすかに滲んでいた。
いろははその言葉を聞くと、安心したように小さく息を吐き、視線をゆっくりと自分の足元に落とした。
しばらくの間、二人の間にはブランコの鎖が擦れる音だけが流れていた。
いろはは、自分の心の中に溢れた感情を一つずつ整理するように、何度も深く呼吸を繰り返す。
そして、ようやく顔を上げたときには、涙を拭った跡を隠すように、少しだけ照れくさそうな、それでいてどこか晴れやかな顔をしていた。
「……ありがと。そっか。……あはは、やっぱ、優しいね、颯太は」
いろはは小さく笑って、それから意を決したようにブランコから立ち上がった。
「じゃあさ、ここまでにしよ。このままいたら、泣きそうだから」
明るく言い切るが、声がわずかに震えている。
「颯太は先に帰って。私は、もう少しここで風に当たってから帰る」
「……でも」
「いいの。明日からはまた普通でいこ。馬鹿な話も、いつも通り」
いろはは、いつものように屈託のない笑顔を作って、大きく、何度も右手を振った。
まるで明日もまた、学校の廊下で「おはよー!」と声をかけてくる時と同じ、ありふれた別れの挨拶のように。
けれど、振られる手のひらはかすかに震えていて、颯太が背を向けるまで、彼女はその手を下ろすことはなかった。
颯太は何も言えず、一度だけ深く頭を下げて、公園を後にした。
角を曲がる直前、振り返らなかった。
振り返れば、戻れなくなる気がしたから。
ブランコのきしむ音が、遠くで一度だけ聞こえた。
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