紅葉の夜に、言葉が零れた
修学旅行二日目の朝。
まだ薄暗い空気の中、颯太は同室の連中の寝息を背に、一人で部屋を抜け出した。
ホテルの近くを適当にぶらつき、地元のコンビニへ入る。
並んでいる商品や漂う空気が、住み慣れた街とはどこか違う。
冷たい朝の空気を肺に溜めると、作曲で煮詰まっていた脳が少しだけ解れるような気がした。
部屋に戻ると、「どこ行ってたんだよ」と寝ぼけ眼の隼人に絡まれたが、「散歩」と短く答えて、賑やかな朝食会場へと向かった。
二日目、いよいよ自由行動が始まった。
最初は計画通りにバスを乗り継いでいたが、案の定、途中で見つけた珍しい露店や裏路地に惹かれ、予定はすぐに崩れ去った。
けれど、その場しのぎの寄り道こそが、今の彼らには何よりの贅沢だった。
「あ、颯太くんたちの班!」
賑わう通りで偶然鉢合わせたのは、いろはの班だった。
自然と合流し、大所帯での観光が始まる。
「おい、静かにしろって!」
「あ、そこ登っちゃダメ!」
はしゃぎすぎる男子たちを女子がたしなめる。そんな騒がしい光景を、颯太といろはは少し離れた場所から眺めながら歩いていた。
「……なんだか、賑やかだね」
「ああ。でも、悪くないな」
立ち寄ったお土産屋で、颯太は母親と、そして莉奈へのお土産を選んだ。
莉奈には、彼女の静かな雰囲気に似合う、上品な紅葉の刺繍が入った栞を手に入れた。
その後、訪れた観光スポットでのことだ。
みんながそれぞれ写真を撮り合っている最中、少し離れた場所にいたいろはが、大学生らしき男二人に絡まれているのが見えた。
困惑し、視線を泳がせているいろは。
颯太は無意識に足が動いていた。
「……行こう」
さりげなくいろはの手を取り、短く告げる。
呆気に取られる男たちの反応を待つことなく、颯太はいろはを先導するように、強く、けれど痛くない絶妙な力加減でその手を引いた。
背後で男たちが何かを喚いているのが聞こえたが、颯太は一度も振り返らなかった。
人混みの向こうへ、石畳の小路の先へ。
繋いだ手から伝わってくるいろはの微かな震えが、自分の歩みを早めさせていた。
「あ……ごめん。急に手、引っ張って」
安全な場所まで来て手を離すと、いろはは少し顔を赤らめながら、小さな声で言った。
「ううん。……助けてくれて、嬉しかった」
少しの沈黙。
いろはが意を決したように「あのね、颯太くん」と口を開きかけた時、「おーい! 合流するぞ!」と隼人の声が響き、二人の時間は遮られた。
いろはは、まだ何かを言いかけたまま、唇を微かに震わせて固まっていた。
一瞬だけ、その瞳に強い光が宿ったような気がしたが、彼女はすぐに視線を落として「……なんでもないよ」と小さく笑った。
その時の彼女が、何を伝えようとしていたのか。今の颯太には、それを推し量る術はなかった。
ホテルに戻った夜。
昨日の二の舞を演じぬよう、班の連中は大人しく部屋でカードゲームに興じていた。
就寝時間を過ぎても小声で笑い合っていたが、深夜になる頃には、一人、また一人と深い眠りに落ちていった。
けれど、颯太だけは寝付けなかった。
部屋を抜け出し、静まり返った廊下へ出る。
見張りの先生は、壁に寄りかかったまま心地よさそうな寝息を立てていた。
外の空気が吸いたくてホテルを抜け出す。
夜の京都は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
今日見た、お寺の境内でひらひらと舞っていた紅葉の情景。
その鮮やかさを思い出しながら歩いていると、街灯の下に人影を見つけた。
「……いろは?」
そこには、同じように寝付けずに出てきたといういろはがいた。
「少し、話し相手になってほしいな」
誘われるまま、近くの公園のベンチに座った。
いろはは、ぽつりぽつりと話し始めた。
颯太と関わるようになってからのこと。
莉奈と出会ったこと。
初めて作ったオリジナル曲のこと。
「文化祭の時もそうだったけど……今日も、颯太くんが助けてくれた」
思い出を辿るような彼女の横顔に、秋の冷ややかな夜風が吹き抜け、彼女の髪を優しく揺らした。 いろはは一度だけ深く息を吸い込むと、隣に座る颯太を真っ直ぐに見つめた。
その瞳は、潤んでいるようにも、何かに耐えているようにも見えた。
「私……颯太くんのことが、好き」
真っ直ぐで、飾りのない言葉。
それが夜の静寂を鋭く切り裂き、颯太の耳朶を打った。
一瞬、時が止まったかのような錯覚に陥る。
「私ね、颯太くんが曲を作ってる姿を見て、あんなに一生懸命になれるものがあるんだって、すごく格好いいなって思ったの。……文化祭の時もそう。危ないとわかってても、私を助けてくれたり…… 今日も……当たり前みたいに、手を引いてくれた」
彼女の声は少しだけ震えていたが、一言一言を噛み締めるように紡がれていく。
「気づいたら、ずっと目で追っちゃうようになってて……。自分でも、こんなに好きになるなんて思わなかった」
驚きで言葉を失ったまま、颯太はただ彼女を見つめることしかできなかった。
なぜ自分が? 自分のような、音楽以外に何もない人間に、どうしてこれほど眩しい感情を向けてくれるのか。
頭の中をいくつもの疑問が駆け巡るが、それらは形を成す前に霧散していく。
「……あ、あの、俺……」
「へ、返事は、いらないから!」
ようやく絞り出した颯太の声を遮るように、いろはが立ち上がった。
彼女の頬は夜目にもわかるほど赤く染まり、その表情は今にも泣き出しそうで、けれどどこか晴れやかでもあった。
「ただ、伝えたかっただけなの。……おやすみ、颯太くん!」
いろははそれだけ言い残すと、弾かれたように夜の闇の中へ駆け出していった。
彼女の足音が遠ざかり、再び静寂が戻った公園で、颯太はただ一人、熱を帯びた夜風に吹かれながら立ち尽くしていた。
追いかけることなど、到底できなかった。
翌日。
告白のことが頭から離れず、ほとんど眠れないまま朝を迎えた。
「お前、なんか顔色悪くないか?」
隼人に心配されたが、何も答えられない。
いろはに告白されたなんて言えるわけなかった。
帰りの新幹線ホーム。遠くにいろはの姿を見つけ、一瞬目が合った。
けれど、彼女はすぐに視線を逸らし、足早に別の車両へと消えていった。
新幹線に乗り込み、座席に深く体を沈める。
膝の上のノートを開く気力さえ起きなかった。
窓の外を流れる景色は、あんなに美しかった紅葉の色さえ、今はただぼんやりとした色彩の残像にしか見えなかった。
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