不協和音のタイムリミット
あの日、夕闇の墓地で見た親友の涙と、妹の健気な後ろ姿。
そして、自分自身の奥底に眠っていた古い記憶。
それらが混ざり合い、形を成さない感情の塊となって颯太の中に渦巻いていた。
それから数日。
颯太は、自室のデスクでモニターを見つめていた。
ヘッドホンから流れるのは、ピアノの静かな旋律に重いビートを重ねた、まだ骨組みだけのデモ音源だ。
(……悪くない。でも、まだ足りない)
隼人の涙をきっかけに、止まっていた思考が動き出した。
今回作るのは、「今の自分から、あの日の暗闇にいた自分へ送る手紙」のような曲だ。
けれど、それを圧倒的な救いへと昇華させるための、決定的な旋律が降りてこない。
ノートの余白に歌詞の断片を書き殴っては消し、打ち込んだメロディを入れ替える。
着実に進んではいるが、完成への出口はまだ霧に包まれていた。
そんな颯太の焦燥を置き去りにして、季節は十一月。
文化祭や体育祭といった秋の行事が怒涛の勢いで過ぎ去り、学校の空気は一気に修学旅行へと切り替わっていた。
「はい、静かに! 修学旅行のしおり配るぞー」
担任の声とともに、教室が沸き立つ。
行き先は秋の京都・奈良。
「おい颯太! 班、どうするよ。とりあえず俺とお前は確定として、あとは適当に男子集めるか?」 後ろから声をかけてきたのは、隼人だった。
墓地での一件以来、隼人は以前と変わらぬ「お調子者」を演じているが、颯太に向ける笑顔には以前にはなかった深い信頼が滲んでいる。
「ああ、そうだな。任せるよ」
本来なら、颯太もこのお祭り騒ぎに乗るべきなのだろう。
しかし、颯太の頭の中では、未完成のフレーズが不協和音のようにリフレインしていた。
(二泊三日の京都旅行……)
それはつまり、三日間、まともな作曲作業が止まることを意味する。
納得のいく曲に仕上げるためには、まだ多くの試行錯誤が必要になるだろう。
今の颯太に足りない「音」を、一日も早く形にしたいという想いだけが、胸の内で静かに燻っていた。
放課後のルート決め。
隼人が指差すガイドブックには、鮮やかな紅葉の寺社や美味そうな食べ歩きグルメの写真が並んでいた。
クラスメイトたちが「どこで何を食べるか」で盛り上がる中、颯太もしおりを広げてペンを動かす。
ふとした瞬間に、頭の隅で未完成のメロディが鳴ることはあったが、今は目の前の賑やかさに身を任せていた。
「……颯太? さっきからちょっと上の空じゃないか? まさか、寺より団子派か?」
覗き込む隼人の瞳に、颯太は苦笑いして首を振る。
「……いや、どれも美味そうだなと思ってさ」
「だろ! 俺が最高の食い倒れプラン立ててやるから、任せとけって!」
隼人の屈託のない笑い声につられ、颯太の緊張も少しだけ解けていく。
修学旅行の間は、放課後の屋上に足を運ぶこともできない。
曲のことは気になるが、今は隼人たちとのこの時間を大切にすべきだと思った。
ようやく解放された頃、窓の外はすっかり琥珀色の夕闇に包まれていた。
颯太は鞄を掴み、吸い寄せられるように屋上へと向かった。
そこには、冷たくなり始めた風に吹かれながら、一人で街を見下ろしている莉奈の姿があった。
「あ、颯太くん。修学旅行、来週だっけ。……二泊三日日、寂しくなるね」
振り返った莉奈の、少しだけ寂しそうな微笑み。
莉奈はあと数ヶ月で、この場所からいなくなる。
彼女が一人でこの景色を見る回数は、確実に減っていくのだ。
「……曲、まだ途中なんですけど、旅行先で何か掴んでこようと思ってます。戻ってきたら、すぐに聴かせられるようにしますから」
「無理しないでね。お土産話、楽しみにしてる」
莉奈の優しい声とは裏腹に、颯太の胸には心地よい重圧がのしかかっていた。
それと同時にもう一つ、文化祭以来ずっと心の隅に引っかかっていたことがあった。
あのライブパフォーマンスの動画は、今もネットの海を漂い続けている。
「……桜庭先輩。あの、ステラの方の活動で、何か変わったことはないですか?」
「変わったこと?」
「文化祭のライブ動画がかなり拡散されてたじゃないですか。ステラを知ってる人が見れば、歌声で、同一人物だって噂が立って、その噂を本気にする人もいると思ったので」
もし莉奈の正体が特定されて、平穏な学校生活が壊されるようなことがあれば。
そんな懸念を口にすると、莉奈は空を見上げたまま少し考えるような仕草を見せた。
「今のところは、大丈夫かな。配信中にたまに『動画のあの子に似てる』っていうコメントが流れたり、SNSの方でも『このライブの人ってステラですか?』って聞かれたりはするけど……。決定的なことは何も起きてないから、安心して」
「そうですか。ならいいんですけど……」
「心配してくれてありがとう。私のことは気にしないで修学旅行楽しんできて」
茶化すように笑う莉奈を見て、颯太も少しだけ肩の力が抜けた。
二泊三日の空白。
それを埋めるのは、観光地の思い出か、それとも未だ見ぬ最高の旋律か。
颯太は荷造りの際、着替えの隙間に、ボロボロのノートを押し込んだ。
(京都で、見つけるんだ。この曲を完成させるための、最後の一片を)
古都の紅葉が舞う中で、颯太は自分だけの「音」を探す旅に出ようとしていた。
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