波紋と覚悟
文化祭が終わり、二日間の振替休日を挟んだ火曜日。
登校する颯太の体は、まだ少し痛むものの、日常生活には支障がないほどに回復していた。
教室に入ると、いつものように隼人が自分の席でスマホをいじっていた。
颯太の姿を見つけるなり、隼人は椅子をガタつかせて立ち上がった。
「颯太。 怪我、どうだ? ちゃんと動くか?」
「ああ。まだ派手な動きは無理だけど、もう大丈夫だよ」
一通りのやり取りを終えた後、颯太は一番気になっていたことを切り出した。
「それで……当日のライブ、実際はどうだったんだ?」
隼人は少し遠くを見るような目をして、深く息を吐いた。
「……すごかったよ。最初、桜庭先輩がステージに出てきて『代理で歌います』って言った時はさ、正直みんな『え、誰?』って空気だったんだ。でもな……」
隼人の話によれば、演奏が始まり莉奈が歌い出した瞬間、体育館の空気が凍りついたように静まり返り、次の瞬間には地鳴りのような歓声に変わったという。
その歌声に引き寄せられるように、校舎にいた生徒や外部からの来場者が次々と体育館へ流れ込み、最後には入り切れないほどの超満員になっていた。
隼人の熱のこもった報告を聞きながら、颯太の胸には誇らしさと同時に、冷や汗のような嫌な予感が込み上げていた。
「なぁ、隼人。それだけ人がいたってことは……」
「ああ。察しの通りだ。これを見ろ」
隼人が差し出してきたスマホの画面には、SNSのタイムラインが表示されていた。
そこには、体育館の熱狂を収めた動画がいくつもアップロードされている。
『文化祭で見つけた神歌唱のJK』
『プロ並みにうまい。っていうか、この声……』
コメント欄をスクロールする。
絶賛する言葉に混じって、颯太が最も恐れていた言葉がいくつも躍っていた。
《この声、ステラに似てない?》
《似てるっていうか、本人レベルだろこれ。》
「……やっぱり、こうなるよな」
隼人にもさすがに、莉奈が『Vtuberステラ』本人だということは話していない。
けれど、改めて動画から流れてくる彼女の声を聴くと、あまりにも「ステラ」そのものだった。
これほど似ていれば、面識のある隼人でさえ違和感を持ってもおかしくない。
案の定、隼人もスマホを覗き込みながら「まぁ、確かにめっちゃ似てるもんなぁ。こういうコメントがつくのも無理はないよな」と漏らしている。
声だけで本人だと断定するのは難しいはずだ。
しかし、一度広まった噂は真偽に関わらず独り歩きを始める。
身バレの危機。
莉奈が守り続けてきた静かな日常が、砂の城のように崩れていくイメージが頭をよぎった。
昼休み、颯太は莉奈にメッセージを送り、屋上で落ち合った。
十月の少し冷たい風が吹く屋上で、莉奈はどこか吹っ切れたような表情で柵に寄りかかっていた。
「……やっぱり、いろいろ言われましたか?」
颯太の問いに、莉奈は小さく頷いた。
「うん。知らないクラスの人からも声をかけられたり……ステラさんのファンだって人から、本人ですかって聞かれたりもした」
「SNSでも動画が広まってますよね。今はまだ『似てるだけ』って言い張れるかもしれないけど、特定しようとする奴も出てくるかもしれない。警戒しないと……」
焦る颯太を、莉奈は静かな眼差しで見つめた。
「ありがとう、颯太くん。でも……これは、覚悟の上だったから」
「え……?」
「身バレするのが怖くないって言ったら嘘になる。でもね、自分の秘密を守ることよりも、友達の願いを叶えたかったの。いろはちゃん、あんなに一生懸命練習してたから……。それを台無しにしたくないって思ったら、自然に足が動いてた」
莉奈はふっと微笑んだ。
以前の彼女なら、恐怖に支配されて動けなくなっていたはずだ。
今、目の前にいる彼女は、誰かの想いを背負って自分の殻を破った、一人の強い女の子だった。
それは、颯太も同じだったのかもしれない。
あの時、階段から落ちそうになるいろはを助けようとした時、自分の体がどうなるかなんて微塵も考えていなかった。
ただ「助けたい」という一心で、無我夢中に体が動いた。
立場や形は違えど、莉奈もまた、自分と同じように大切なもののために身を投げ出したのだ。
莉奈は最初から、こうなることはある程度予想していたことだと言った。
颯太は心配だったが、自分と同じ熱量で「誰かのために」動いた彼女の言葉を、今は信じるしかなかった。
昼休みが終わる間際、教室に戻るとそこにはいろはの姿があった。
いろはは首にまだコルセットを巻いた痛々しい姿だったが、颯太の顔を見ると申し訳なさそうに小さな包みを差し出してきた。
「……颯太くん。これ、改めての謝罪と、お礼。お弁当、作ってきたから」
見ると、丁寧に包まれた手作りのお弁当だった。
「ごめん、せっかく作ってくれたのに。いなくて」
「あ……そうだよね。ごめんなさい、私……」
しょんぼりと肩を落とすいろはを見て、颯太は慌てて付け加えた。
「でも、もしよかったら放課後に食べさせてほしいな。」
「うん。じゃあ、放課後、部室で食べよ」
放課後。
部活動が休みで誰もいない部室で、颯太はいろはと二人きりになった。
机の上に広げられたお弁当は、彩りもよく、いろはの懸命な努力が伝わってくるような味がした。
「おいしいよ。ありがとう、いろは」
「よかった……。私、本当に……今日、バンドのみんなにも莉奈先輩にも謝ってきたの。私の不注意で、みんなを困らせて……」
まだ自分を責めようとするいろはに、颯太は箸を置いて向き合った。
「いろは、もう謝るのは終わりにしよう。怪我も治りかけてるし、ライブも莉奈先輩のおかげで大成功だったんだから」
いろはは少しだけ不服そうだったが、やがて何かを決心したように颯太を見つめた。
「……わかった。じゃあ……」
そう言って少し間が空いてからいろはは続けた。
「今度、私と二人でデートして。それでおしまいにする。……いい?」
思わぬ言葉に、颯太は喉に詰まった弁当を慌てて飲み込んだ。
「え、デ……デート?」
冗談か、あるいは聞き間違いかと思い、いろはの顔をまじまじと見つめ返した。
しかし、いろはの瞳は真っ直ぐで、そこには微塵の迷いもなかった。
一瞬、莉奈の顔が頭をよぎり、心臓が跳ねるような落ち着かない感覚に襲われる。
莉奈への想いを抱えたまま、他の女の子とデートに行く。
それが何を意味するのか、今の颯太には整理しきれなかった。
けれど、ここで断ればいろははいつまでも罪悪感から抜け出せないだろう。
この約束が彼女にとっての「リセット」になるのであれば。
「……わかった。行こう」
颯太の返事に、いろははようやく今日初めての、明るい笑顔を見せた。
文化祭の傷跡と、新たな波紋。
それらが複雑に絡み合いながら、彼らの日常は再び動き出していた。
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