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苦い終幕と、届いた旋律

消毒液の匂いが漂う病院の待合室は、文化祭の熱狂が嘘のように静まり返っていた。


「本当に、申し訳ありませんでした……っ! うちの子が、あんな……」


「お気になさらないでください。颯太が自分で判断したことですし、女の子がこの程度の怪我で済んで、本当に良かったです」


到着したいろはの母親が、颯太の母へ何度も深く頭を下げていた。

颯太の母親は困ったように微笑みながら、優しくその言葉を制している。


診察の結果、いろはは軽度のむち打ちで一、二週間の安静。

颯太の方も、あれだけの痛みがありながら幸いにも骨折は免れており、ひどい打撲という診断だった。  二人とも最悪の事態は避けられた。

その事実に、待合室の空気はようやく少しだけ和らいだ。


母親同士が事務的な手続きのために席を外した間、いろはが俯きながら颯太の隣にやってきた。


「……颯太くん、本当に、ごめんなさい……」


 首を固定された不自由な姿で、いろはは消え入りそうな声で繰り返す。


「気にしないでいいって。ほら、骨も折れてなかったし。これくらい、すぐに治るよ」


精一杯明るいトーンで返したが、いろはは顔を上げなかった。

颯太が優しく接すれば接するほど、彼女の自責の念は深まっていくようだった。

自分の不注意のせいで、颯太に怪我をさせ、みんなのステージをめちゃくちゃにしてしまった。

その事実は、いろはにとって何よりも重い罰だった。


結局、今日はこのまま帰宅して安静にしているようにと医者に告げられ、颯太といろははそれぞれの親の車で別れることになった。


「……女の子をかばうなんて、かっこいいじゃない」


帰宅途中の車内、ハンドルを握る母親がバックミラー越しに少しだけ茶化すように言った。


「茶化さないでよ。必死だったんだから」


「わかってるよ。……でも、立派だったね。お母さん、誇らしいよ」


本気を含んだその言葉に、颯太は窓の外へと視線を逃した。

立派だなんて思えない。

結局、かばいきれずにいろはに怪我をさせてしまったし、今までとは違う文化祭の後半を、莉奈と一緒に過ごすはずだった時間を、全部台無しにしてしまった。


「……結果的に怪我させちゃったし。俺がもっと上手くやれてれば、あんなことには……」


「颯太。その場にいて、咄嗟に誰かを助けようって体が動くのはね、誰にでもできることじゃないのよ。自分を責めるのはやめなさい」


母親の穏やかなフォローに、颯太は小さく息を吐いた。

それでも、胸の奥に澱のように溜まった罪悪感と後悔は、なかなか消えてはくれなかった。


家に帰り、自分の部屋のベッドに体を預けた時、スマホが短く震えた。隼人からだ。


『先輩、最高のステージだったぞ。動画送るわ。お前もこれ見てさっさと治せよ』


添付された動画を再生する。

画面の中、最初はざわついていた客席。

急なボーカル交代に戸惑う観衆を、莉奈の第一声が黙らせた。


圧倒的な歌唱力。

そして、ステラとして画面越しに届けている、魂を揺さぶるようなあの歌声。

徐々に人が集まり、体育館の熱気が膨れ上がっていくのが動画越しにも伝わってくる。


「……すごいな、本当に」


クラスメイトたちの驚く顔が目に浮かぶようだった。

あの、教室の隅で静かに過ごしていた桜庭莉奈が、こんなにも力強く、美しく歌っている。

そのギャップに、誰もが言葉を失い、そして魅了されている。


隼人にお礼を返すと、入れ替わるように莉奈からメッセージが届いた。


『体、大丈夫? 病院はどうだった?』


『打撲でした。ひとまず大丈夫そうで安心です。……ライブ、隼人から送られてきた動画で見ました。最高のステージでした』


『ありがとう。……なんとか、最後まで乗り越えられたよ』


莉奈の言葉はどこか、大きな仕事を終えた後のように落ち着いているように感じた。


『その後の反響とか、大丈夫だった? クラスの人に何か言われたり……』


『片付けとかでバタバタしてたから、特に何もないよ。大丈夫』


その言葉に少しだけ安堵する。

彼女が望まない騒ぎに巻き込まれていないのなら、それが一番だ。


けれど、不安が完全に消えたわけではなかった。

今まで教室の隅で息を潜めていた「影の薄い生徒」が、あんなにも凄まじい歌唱力を披露してしまったのだ。

噂にならないはずがない。

莉奈が周囲から好奇の目で見られたり、騒がれたりしないだろうか。

何より、あの歌声を間近で聴いた者の中に、莉奈の声が『Vtuberステラ』に酷似していると気づく者が現れないだろうか。


一度広まった噂は、彼女が守り続けてきた静かな日常を簡単に壊してしまう。

どうか、彼女の周りが穏やかなままであってほしい。

颯太は祈るような心地で、返信の途絶えた画面を見つめた。


ふと、脱ぎ捨てた制服のポケットから一枚の紙が落ちた。

拾い上げると、それはみんなで回るはずだったスタンプラリーの台紙だった。

空白だらけの、スタンプが押されていない、真っ白な紙。


一緒に回ろうと約束して、楽しみにしていたのに。

莉奈は、自分との思い出のために「現実」に出てきてくれたのに。


後味の悪い、苦い文化祭の終わり。

颯太は残された白い紙を握りしめ、消えてしまった二人の時間を想って、ただ天井を見つめ続けた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


少しでも心に残るものがあれば、


評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです。


次回も、よろしくお願いします。

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