託された歌声
意識が浮上した瞬間、そこは保健室だった。
全身を突き抜けるような激痛に颯太は息が止まった。
特に左腕から肩にかけて、熱い鉄棒を押し当てられているような痺れと痛みが走る。
わずかに指先を動かそうとするだけで、視界が白く火花を散らした。
「颯太くん!」
視線を向けようとしたが、首を動かすことすらままならない。
隣のベッドに座り込んでいたいろはが、泣き腫らした顔で覗き込んできた。
いろはの首には簡易コルセットが巻かれているが、それ以上に、左腕を吊り、包帯で厚く固められた颯太の姿を見て、彼女は耐えきれないように顔を歪めた。
「ごめん、ごめんなさい……っ! 私をかばったせいで、颯太くんが……こんな……」
「……泣くなって。それじゃ、せっかくの新曲……歌えないだろ」
掠れた声でようやくそれだけを吐き出す。
いろははコルセットで固定された喉の奥から、絞り出すような声を漏らした。
「歌えないよ……。首、動かせなくて……病院に行かなきゃいけないって。でも、それより颯太くんの方が……腕、折れてるかもしれないって先生が……っ!」
自分を責め続けるいろは。
颯太もまた、自分の腕が思うように動かないことに気づき、奥歯を噛み締めた。
かばいきれなかった。
あんなに練習していたいろはの、バンドメンバーの、文化祭を、自分の不甲斐なさが台無しにしてしまったような気がした。
そこへ、保健室の先生と共に隼人と莉奈が飛び込んできた。
「颯太! 大丈夫か!?」
「颯太くん……」
駆け寄る二人の顔を見て、颯太は少しだけ安堵した。
しかし、カーテンの外から聞こえてくる盛り上がりは、残酷なほどに彼らが「当事者」から外れたことを告げている。
なんとか、いろはだけでもステージに立てないだろうか。
そんな淡い期待を抱き、助けを求めるように視線を向けたが、保健室の先生が告げた答えは冷酷なほどに現実的だった。
「二人とも、これから念のために病院に行ってもらうから。もう親御さんには連絡してあるから次期に迎えにくるわ」
「そんな……やだ、先生。私、行かなきゃ。みんなが待ってるの。今日のために、みんなで……っ」
いろははベッドから降りようと必死に身を乗り出したが、首に走る鋭い痛みに顔を歪め、思わずその場に蹲った。
無理に動けば症状が悪化する。
先生に肩を強く押さえられ、いろはは自分の自由にならない体に、絶望したように声を震わせた。
自分の不注意で全てを台無しにした。
その事実が、コルセットに固定された彼女の喉を締め付ける。
絶望に染まった瞳が、隣に立つ莉奈を捉えた。
いろはの瞳には、自分の無力さへの怒りと、それを上回るほどの、縋り付くような必死な願いが宿っていた。
「……桜庭先輩。お願いが、あります……」
いろはは震える声で、言葉を紡いだ。
「私の代わりに、歌ってください。……私のせいで、バンドのみんなの努力を壊したくない。……あんなに練習したのに、このまま中止なんて、嫌なんです……!」
保健室に重い沈黙が流れた。
颯太は息を呑んだ。
莉奈にとって、人前で歌うことがどれほどの恐怖かを知っている。
放課後の練習に何度か顔を出し、いろはの歌を隣で聴いていた莉奈にとって、その曲は決して見知らぬものではない。
メロディも歌詞も、耳には残っているはずだ。
けれど、「聴くこと」と「自分がステージで歌うこと」の間には、あまりにも高い壁がある。
他人の想いが詰まった曲を、ちゃんとした練習もなしに、しかもこの状況で引き受ける。
賛成などできるはずがなかった。
けれど、固定された首で必死に訴えるいろはの、「みんなを裏切りたくない」という切実な願いも、痛いほどわかってしまった。
莉奈は俯き、細い指先をぎゅっと握りしめている。
やがて、莉奈はゆっくりと顔を上げた。
「……わかった。私でよければ、歌うね」
その声は震えていたが、真っ直ぐな決意がこもっていた。
驚愕する颯太に、莉奈は微かな、けれど強い微笑みを向けた。
莉奈は過去のいじめによる深い傷を抱え、誰にも心を開かずに『Vtuberステラ』という仮面の後ろに隠れることでしか本当の自分を出せず、現実の『桜庭莉奈』としては、ただ息を潜めるように孤独な時間を過ごしてきた。
周囲を拒絶し、透明な壁の中に引きこもっていたはずの彼女が、今、自分以外の誰かのために、一番恐れていた「人前に立つこと」を選ぼうとしている。
自分を守るためではなく、傷ついたいろはの想いを救うために。
誰かのために、必死で自分の殻を破ろうとしているその横顔。
初めて見る莉奈の強い眼差しに、颯太の胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
今、颯太には届かないほどの勇気を見せている。
その背中が少しだけ遠く、けれど、これまでにないほど眩しく見えて、颯太はたまらなく愛おしいような、誇らしいような気持ちでいっぱいになった。
時間は無情にも過ぎていった。
保健室の先生から親への連絡はすでに済んでおり、あとは迎えが来るのを待って病院へ向かうだけだという。
それが、この場にいられる時間の終わりを意味していた。
遠くからはまだ文化祭の賑やかな音楽が聞こえてくるというのに、自分たちだけがそこから切り離され、無理やり別の場所へ連れて行かれる。
莉奈を一人にしたくない、彼女がステージに立つその瞬間をこの目で見届けたい。
そんな願いとは裏腹に、状況だけが淡々と進んでいく。
自分の自由にならない体と、刻一刻と遠ざかっていく熱狂。
得体の知れない焦燥感が、重く颯太の胸を締め付けた。
颯太は残された力を振り絞るようにして、傍らに立つ親友を見上げた。
「隼人、頼む。先輩のこと……」
「任せろ」
隼人は、怪我をしていない方の颯太の手に、自分の拳を軽くコツンと当てた。
「お前はさっさと病院にいってこい。……あとのことは、全部俺らに任せとけ」
莉奈はただ一言、「行ってくるね」とだけ答え、隼人と共に体育館へ向かった。
保健室を出て行く莉奈と隼人の背中に向かって、いろははコルセットに顔を埋めるようにして、何度も何度も叫んだ。
「お願いします……! 先輩、お願いします……っ!」
泣きじゃくるいろはの声と、莉奈の静かな背中。
颯太は引き裂かれるような思いで、遠ざかっていく「二人のステージ」を見送ることしかできなかった。
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