喧騒の陰、予期せぬ衝撃
文化祭当日。
校門を潜った瞬間から、そこは別世界だった。
色とりどりの装飾、どこからか漂ってくるソースの焼ける匂い、そしてスピーカーから流れる大音量のBGM。
普段の無機質な校舎は、生徒たちの情熱という名の熱狂に飲み込まれていた。
颯太のクラスでやっているメイド喫茶の裏側で、颯太は無心に冷凍オムライスをレンジに入れていた。 作業は至って事務的だ。
袋から出したオムライスを温め、皿に移し、それをメイド服に身を包んだ女子たちが、弾けるような笑顔で客席へと運び適当に絵を描く。
中には、なぜか志願してメイド服を着ている大柄な男子生徒も一人混じっており、その異様な光景が教室のシュールさを際立たせていた。
「おい颯太、これ温め終わったぞ」
「サンキュ。……やっと交代か」
隼人と共にエプロンを脱ぎ、熱気の籠もった教室を抜け出す。
廊下に出ると、少しだけ涼しい風が吹いた。
「さて、どこ行く? 展示とか回るか?」
「……そうだな。適当にぶらつくか」
本当は、屋上で交わした莉奈との約束が頭を離れなかった。
けれど、それを正直に打ち明けるのは、自分の恋心を隼人に白状するようで気恥ずかしい。
とりあえず二人で賑わう校内をあてもなく歩いた。
やがて出店が軒を連ねる昇降口付近の広場に辿り着いた。
「お、あそこ。たこ焼き屋じゃん」
隼人の指差す先に、一際長い行列ができていた。
そこには、額に薄っすらと汗を浮かべ、真剣な表情で舟皿にたこ焼きを盛り付けている莉奈の姿があった。
「桜庭先輩、お疲れ様です」
「二人とも、来てくれたんだ。……あ、えっと、たこ焼き、食べていく?」
「……じゃあ、一舟ずつ。お願いできますか?」
颯太の頼みに、莉奈は「……うん、わかった」と小さく頷き、真剣な手つきで鉄板からたこ焼きをすくい上げた。
代金を支払い、手渡されたたこ焼きからは、香ばしいソースと青のりの匂いが立ち昇っている。
買い出しの時の苦労を知っているだけに、彼女が焼いたたこ焼きは特別な味がした。
外はカリッとしていて、中は熱すぎるほどにトロトロだ。莉奈が一生懸命焼いてくれたという事実だけで、颯太の胸はいっぱいになった。
「美味しいです。」
思わず零れたその言葉に、莉奈は自分の膝の上で指を細く組み、気恥ずかしそうに視線を伏せた。 失敗したらどうしようと、ずっと緊張していたのだという。
その控えめな安堵の表情からは、彼女がこの文化祭の一員として、どれほど真剣に自分の役割に向き合っていたかが伝わってきた。
そんな莉奈の横顔を、隼人が「おー、マジでうめぇな」と笑いながら眺めていると、テントの奥から賑やかな声が聞こえてきた。
「あ、桜庭さーん! お疲れ様、交代の時間だよ!」
戻ってきたのは、明るい雰囲気のクラスメイトたちだった。
不意の呼びかけに莉奈がわずかに肩を揺らすのを颯太は見逃さなかったが、彼女に向けられた言葉は、意外なほど温かかった。
交代だからどこか遊びに行っておいで、せっかくの文化祭なんだから――。
そう背中を押された莉奈は、少し戸惑うようにしながらも、どこか嬉しそうにエプロンを外した。
テントから出てきたものの、莉奈は所在なげに指先をいじり、その場に立ち尽くしていた。
そんな彼女の様子を見て、隼人がひょいと手を挙げる。
「桜庭先輩、ちょうど今から俺らもスタンプラリー行こうと思ってたんすよ。せっかくなんで、一緒に回りましょうよ」
隼人の提案に、莉奈は驚いたように顔を上げた。
けれど、すぐに「二人の邪魔ではないか」と躊躇するような色がその瞳に浮かぶ。
不安げにこちらを伺う彼女の視線を受け止めた颯太は、拒絶する理由などどこにもないことを示すように、深く、静かに頷いた。
自分も先輩と一緒がいい。
その想いが伝わったのか、莉奈は少しだけ安心したように目を細めると、三人の歩調を合わせてゆっくりと歩き出した。
三人はそのまま、いろはのクラスが主催しているスタンプラリーに参加することにした。
だが、訪れた教室にいろはの姿はない。
「いろはちゃん、午後のライブの打ち合わせかな。忙しそうだね」
莉奈が残念そうに言った。
手渡されたスタンプカードには、最初の目的地として『恐竜の着ぐるみ』と書かれている。
さっき広場で見かけたのを思い出し、三人は再び昇降口へと向かった。
運良く恐竜を見つけ、最初のスタンプを押してもらう。
「意外と簡単そうだな。このまま全部集めるか」
「そうだね、いい運動になりそう」
他愛もない会話をしながら、賑やかな廊下を歩く。
莉奈の楽しそうな横顔を隣で見られるだけで、颯太はこの文化祭に来て本当に良かったと心から思っていた。
だが、その平穏は唐突に破られる。
「あ、みんなー! お疲れ様ー!」
前方、二階へと続く階段の上から、場にそぐわないほど大きな立て看板がゆっくりと降りてきた。
その影から、顔を真っ赤にしたいろはがひょっこりと顔を出す。
人手が足りないのか、自分の身長ほどもある看板を一人で抱えているせいで、彼女の細い体は今にも折れそうに震えていた。
「いろは! 危ないって、それ一人で運ぶ大きさじゃないだろ!」
颯太が咄嗟に駆け寄ろうと声を張り上げるが、いろはは「へーきへーき!」と無理に笑ってみせた。
看板の影で足元が全く見えていないはずなのに、彼女は焦りからか、普段以上の早足で階段を降りようとする。
「すぐそこまで運ぶだけだから……っ、あ」
その瞬間、いろはの靴先が、古びた階段の縁にわずかに引っかかった。
立て看板の重みが慣性となって彼女の体を前へと押し出す。
バランスを崩した彼女の体が、スローモーションのように宙に浮いた。
「いろはっ!」
颯太の体は、思考よりも先に動いていた。
階段を駆け上がり、転落するいろはの体を、全力で抱きかかえる。
しかし、看板の重みと慣性に耐えきれるはずもなかった。
直後、看板の凄まじい衝撃が二人の体を襲う。
視界がぐにゃりと歪み、冷たくて硬いコンクリートの感触が全身を叩きつけた。
背中を激しく打ちつけ、肺の中の空気が無理やり押し出される。
声にならない衝撃に視界が火花を散らし、ただただ鈍い痛みが全身を支配した。
いろはを抱えた腕の感覚が麻痺し、力が入らなくなっていく。
「颯太くん!!」
遠ざかっていく莉奈の叫び声を最後に、颯太の意識は深い闇へと沈んでいった。
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