リアルの声、隠された心
スマホが震えた。
画面に表示された名前に、颯太の指が止まる。
――ステラ
短いメッセージだった。
「少し話せますか?」
胸が少し跳ねる。昨日の電車、あの瞬間のことを思い出す。
返信を打つ指は、少しだけ震えていた。
――俺も話したいことがあります
やり取りはそれだけで十分だった。明日の放課後、直接会うことに決まった。
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翌朝――
昨日の出来事があまりにも濃く、頭の中で何度も反芻してしまい、なかなか寝付けなかった。
気づけば空が白み始めていて、睡眠不足のまま朝を迎えていた。
眠い目を擦りながら制服に袖を通し、颯太は家を出る。
いつもと変わらない通学路なのに、胸の奥だけが落ち着かないままだった。
駅のホームで電車を待ちながら、颯太はステラのことを考えていた。
話したいことは、いくつもある。
まずは、何よりも先にお礼が言いたかった。
彼女のおかげで自分の曲が多くの人の耳に届いたこと。
こんな無名の自分を選び、歌ってくれたこと。
それだけでも十分すぎるほどだった。
それでも、どうしても消えない疑問があった。
再生数も、反響も、決して大したものではない。
――つまり、自分の曲は良くなかったのではないか。
それなのに、なぜステラは颯太に依頼をしたのか。
もっと有名で、実績のある作曲者はいくらでもいる。
ステラの知名度なら依頼も引き受けてくれるはずだ。
その理由だけが、どうしてもわからなかった。
朝の教室は、まだ完全には目を覚ましていなかった。
窓際の席から差し込む光はやわらかく、机に伏せている生徒の背中をぼんやりと照らしている。
颯太は椅子に深く腰かけ、スマホを伏せたまま机の上に置いていた。
画面を見れば、きっと昨日と同じサムネイルが目に入る。
それがわかっているから、触れなかった。
「なあ」
隣の席から、軽い声が飛んでくる。
「今日、やけに静かじゃね?」
田島隼人は、颯太の机を肘でつつきながら、にやにやしていた。
「いつもなら、朝からイヤホンして世界と断絶してる時間だろ」
颯太は小さく息を吐き、肩をすくめる。
「別に」
それ以上は答えなかった。
隼人はその反応が気に入らなかったのか、さらに顔を近づけてくる。
「怪しいなあ。もしかして有名人になった自覚とか出ちゃった?」
「……なってない」
即答だった。
それでも隼人は引き下がらない。
「再生数二万超えだっけ? もう俺、友達に“俺の親友、実はすごい”って言っていい?」
颯太は答えず、視線を窓の外に逃がした。
校庭では運動部が器具の片付けなどを始めていて、掛け声がかすかに届いてくる。
自分が作った曲の話を、こんなふうに冗談混じりでされることに、まだ慣れていなかった。
嬉しいはずなのに、どこか居心地が悪い。
「……言わなくていい」
ぽつりとそう言うと、隼人は「あっさりだな」と笑った。
「ま、らしいけどさ」
それきり隼人は前を向き、カバンを漁り始める。
話題はあっさり切り替わったようだった。
颯太は、その横顔を一瞬だけ見てから、机の上のスマホに目を落とした。
今日、放課後に会う。
昨夜、短いやり取りだけで決まった約束。
胸の奥に、言葉にできないざわつきが残っている。
楽しみなのか、不安なのか、それすら判然としない。
チャイムが鳴るまで、まだ少し時間があった。
それなのに、もう時計の針ばかりが気になっていた。
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昼休み、教室はいつも通りの喧騒に包まれていた。
颯太は隼人と並んで昼ごはんを広げる。
「今日は弁当なんだな。珍しい」
「ひよりがな。料理を覚えたいとか言い出して。母さんに教わりながら作ったらしい。」
そう言って、隼人は少し照れくさそうに蓋を開けた。
どこか不格好だが、丁寧に詰められたおかずが並んでいる。
――ひよりは、たしか小学四年生だったはずだ。
中学の付き合いだから、隼人に年の離れた妹がいることは颯太も知っている。
家ではきっと、こうやって振り回されながらも付き合っているのだろう。
「味どう?」
「普通にうまいと思うぞ」
隼人は小さく息を吐いて、箸を進めた。
教室のざわめきの中で、颯太は視線を天井に向ける。
今日の放課後――屋上で会う莉奈のことが、頭の片隅でずっとちらついていた。
隼人は気にも留めず、弁当を食べながら話し続ける。
颯太は軽く相槌を打ちながらも、胸の奥で少し緊張していた。
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放課後のチャイムが鳴ると同時に、教室の空気が一気にほどけた。
隼人は鞄を肩にかけながら、颯太の方を振り返る。
「俺、今日はバイト。ケーキ屋の新作仕込みでさ。地獄らしい」
「相変わらずだな」
「じゃ、また明日な」
軽く手を振って、隼人は足早に教室を出ていった。
その背中を見送りながら、颯太は一度だけ深く息を吸う。
――行くか。
屋上へ向かう階段は、昼休みよりもずっと静かだった。
鉄の手すりに触れる指先が、わずかに冷たい。
屋上に出ると、風が思ったよりも強かった。
昼間の熱を残したコンクリートの上を、春の空気がなぞっていく。
金網のそばに、莉奈は立っていた。
制服姿の彼女は、電車で見かけたときとほとんど変わらない。
だからか、外見のギャップはあまり感じなかった。
――けれど。
「……あの」
声をかけた瞬間、莉奈はびくりと肩を震わせた。
一歩、無意識に距離を取る。その仕草だけで、颯太は察してしまう。
この人は、リアルで人と話すのが得意じゃない。
「急に呼び出してすみません。……まず、お礼を言いたくて」
颯太はできるだけ、柔らかく言葉を選んだ。
あの曲が、どれほど自分にとって大きかったか。
どれほど救われたか。
「本当に、ありがとうございました」
莉奈はしばらく俯いたまま、返事をしなかった。
やがて、ぽつりとこぼす。
「……私の方こそ、です」
その声は、配信で聞くものとはまるで違った。
明るさも、勢いもない。
けれど、無理に飾っていない分、ひどく素直だった。
「……どうして、俺だったんですか」
ずっと気になっていた疑問だった。
もっと有名な作曲者はいくらでもいたはずだ。
莉奈は少しだけ迷ったあと、視線を空に向けた。
「昔……ある曲に、救われたことがあって」
胸の奥が、静かにざわつく。
「タイトルは……『輝く星に』です」
颯太は、言葉を失った。
それは二年前、自分がほとんど誰にも届かないまま投稿した曲だった。
「その曲がなかったら……たぶん、今の私はいません」
理由は語られない。
過去も、背景も、まだ伏せられたまま。
それでも、十分だった。
「……それで、お願いしたんです。”そうた”さんに」
――そうた。
耳にした瞬間、颯太は一瞬だけ言葉を失った。
自分の名前だ。
けれど、それは学校で呼ばれる「颯太」じゃない。
音楽を作っている時だけ、画面の向こうで名乗っている“そうた”。
同じ音なのに、まるで別の誰かを呼ばれたみたいだった。
彼女は、その“そうた”を知っている。
再生数の奥にいて、名前だけが残った存在を。
胸の奥で、何かが静かに重なった。
莉奈はそう言って、小さく笑った。
その笑顔は、ステラのものとは似ても似つかない。
颯太は胸の奥に、奇妙な既視感を覚えていた。
音楽だけが、自分を肯定してくれた日々。
誰にも見つけてもらえなかった時間。
――似ている。
そう思った瞬間、颯太は口を開いていた。
「……また、俺の曲を歌ってほしいです」
莉奈が、驚いたように目を見開く。
一瞬、言葉を探すように唇が動いた。
「リアルの俺は、正直こんな感じで……自信もないけど」
「それでも、あなたの声で届くなら、意味があると思う」
数秒の沈黙。
風の音だけが、二人の間を通り抜ける。
やがて莉奈は、小さく息を吸った。
「……私で、よければ」
短く、そう言った。
「……あなたの曲なら、歌います」
視線は伏せたまま。
それでも、言葉だけは迷っていなかった。
莉奈が、ゆっくりと顔を上げる。
「……このことは、二人だけの秘密にしてください」
「もちろん」
即答だった。
その約束が、
この日、二人の距離をほんの少しだけ縮めたことを、
まだ誰も知らない。
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