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共鳴する放課後、一歩の勇気

翌日。

学校へ行くと、そこにはいつもと変わらない様子で椅子に座る隼人の姿があった。

相変わらずクラスメイトと軽口を叩き、時折声を上げて笑っている。

けれど、母親を亡くしたことを知った颯太には、その笑顔のすべてがひどく痛々しく見えた。


「……隼人、おはよ」

「おー、颯太。わりぃな、昨日は電話で湿っぽい話しちまって」


隼人は平然と、昨日などなかったかのように接してくる。

かけるべき言葉を飲み込んだまま、颯太はどうしてもぎこちない態度になってしまった。

そんな颯太の様子を見て、隼人が少しだけ呆れたように笑う。


「だから、気遣い無用だって。腫れ物に触るみたいにされるのが一番きついんだわ。普通にしてくれてた方が、俺も楽なんだよ」


その言葉に、颯太はただ「……わかった」と頷くしかなかった。

親友が必死に保とうとしている「普通」を、自分が壊すわけにはいかない。


昼休み。

いつもの癖で、颯太は隼人の机を見やった。

いつもならそこには、タッパーに詰められた不恰好な、けれど色鮮やかな弁当箱があるはずだった。


隼人の妹、ひよりはまだ小学四年生だ。

隼人は以前、妹が「料理に目覚めたんだ」と笑って話していたが、現実は違ったのかもしれない。  隼人の母親は、昔から身体が弱かったと恵子さんは言っていた。

颯太はその事実を、昨日まで何も知らなかった。

きっと十歳のひよりは、遊びたい盛りの自分を抑えて、入院しがちな母親の代わりなろうと、一生懸命台所に立っていたのではないか。


けれど今日、隼人の手元にあるのは財布だけだった。


「ひより……今日は、どうしたんだ?」


「ああ。さすがに昨日までは部屋に引きこもって飯も食わねーし、どうなるかと思ったけどさ。……今日はなんとか学校に行ったよ。まだ弁当作る元気はねーみたいだけど、それでも一歩前進だろ」


隼人は努めて明るい声でそう言って、席を立つ。

自分の悲しみを脇に置いて、ひよりが学校へ行ったことを「一歩前進」と喜ぶ。

その強さが、颯太にはたまらなく切なかった。


「今日は購買のパンで済ますわ。久々だと何選んでいいか迷うな」


「……俺も行くよ。今日はパンの気分なんだ」


颯太はそう言って、隼人の隣を歩き出した。


廊下に出ると、窓からは突き抜けるような青空が見えた。

あの日、海で笑っていた時と変わらない青さ。


購買へと向かう道中、喧騒の中で誰かの声が響いた。


「あ! 颯太! 隼人も!」


人混みの向こうから、一際明るい声が響いた。

視線を向けると、別クラスの同級生で軽音部のいろはが、こちらへ駆け寄ってくるところだった。  隼人が一瞬でいつもの調子に戻る。


「なんだ、いろはか。そんなに勢いよく走ると転ぶぞ」


「大丈夫だって! それより二人とも! 夏休み中も私、めちゃくちゃ練習したんだよ。文化祭でやる曲も決まったんだ!」


手ぶらで身軽な彼女は、弾むような足取りで二人の前に並んだ。

その屈託のない笑顔は、今の重苦しい空気を塗り替えるような強さがある。


「その練習の成果、見てほしいんだ。放課後、いつでもいいから顔出してよ!」


「……そうだな。颯太を紹介した日から一度も聴いてないし、行くか」


隼人が少しだけ口角を上げたのを見て、颯太も胸をなでおろした。


放課後。

二人は『第二音楽室』へと向かった。

扉を開けると、アンプから漏れるノイズと、いろはたちの熱のこもった音が溢れ出してきた。


颯太が作曲を教え、バンドメンバーみんなで考えたオリジナル曲は、夏休み前とは比べものにならないほど磨きがかかり、バンドとしての形を成していた。


いろはがマイクを持ったまま、嬉しそうに駆け寄ってくる。

だが、その直後だった。


「お待たせ、いろはちゃん」


背後のドアが開き、聞き慣れた声が響く。

颯太の心臓が、ドクリと大きく跳ねた。そこに立っていたのは、莉奈だった。


颯太は耳を疑った。

莉奈が今、自然に「いろはちゃん」と呼んだからだ。

夏休みの海ではまだ、莉奈は「佐藤さん」と呼んで一歩引いていたはずだった。

あの日、連絡先を交換してから今日までの数日間。

自分の知らないところで、二人は下の名前にちゃん付けで呼び合うほど、急速に距離を縮めていたらしい。


ステラとしてではなく、「桜庭莉奈」としての彼女に、自分以外の新しい居場所ができ始めている。

その事実に、颯太の胸の奥で得体の知れないざわつきが生まれた。


「あ、莉奈先輩! 来てくれたんですね!」


いろはが親しげに駆け寄る。

その様子からしても、二人の間で呼び方が変わったのは、ついさっきの出来事ではないようだった。


颯太と目が合った莉奈は、一瞬だけ弾かれたように目を見開き、それから熱を帯びたように視線を彷徨わせたのだ。

そのひどく動揺したような仕草一つで、あの日、夏祭りの夜の記憶が鮮明に蘇る。

あの花火の下、指先から伝わってきた確かな熱、繋いだ手のひらの感触。


――意識しているのは、莉奈もだ。


それを確信した途端、今度は颯太の方こそ、どう振る舞えばいいか分からなくなってしまった。


いろはが莉奈を招き入れる。

どうやらいろはが「見学」として呼んでいたらしい。

事情を知らない莉奈は、なぜ颯太と隼人がここにいるのか不思議そうな顔をしたが、いろはが「隼人から紹介されて、颯太に曲のアドバイスをもらってるんだ」と手短に説明すると、納得したように頷いた。


気まずい沈黙を破るように、バンドの演奏が始まった。

一ヶ月ぶりに聴くその曲は、メロディの節々に颯太の教えが息づき、いろはの力強いボーカルが魂を吹き込んでいた。

演奏が終わると、隼人が真っ先に口を開いた。


「……すげーじゃん。正直、驚いたわ」


颯太も深く頷く。

莉奈も「すごく……いい曲。歌詞も、心に響くね」と、いろはが見せた歌詞カードを指先でなぞりながら微笑んだ。


「……ねぇ、莉奈先輩」


いろはが、いたずらっぽく、けれど真剣な目で莉奈を見つめた。

「あの時のカラオケの歌声、私、今でも耳に残ってるんだ。颯太から『仮歌をやってる』って聞いて、やっぱりプロの現場を知ってる人は違うなって思ったし……。

もしよかったら、この曲、一回だけ莉奈先輩の歌で聴いてみたいな。上手い人の表現、近くで勉強したいんだ!」


「えっ、ちょ、ちょっと待って……それにプロじゃないから!」


莉奈が慌てて颯太を睨む。

颯太は以前、正体を隠すために「莉奈は仮歌の手伝いをしてもらった」と嘘をついたことがあった。  戸惑う莉奈だったが、いろはの熱意と、何より隣にいる颯太の「聴きたい」と言いたげな視線に根負けしたのか、小さく息を吐いた。


「……ワンコーラスだけだよ?」


莉奈は数回、いろはたちの演奏を真剣な表情で聴き返した。

その驚異的な集中力。

たった数回で、彼女はメロディの起伏と感情の置き場所をすべて把握したようだった。

そして、前奏が始まる。莉奈がマイクの前に立ち、すっと息を吸い込んだ。


――その瞬間、部室の空気が一変した。


流れてきたのは、透明感がありながらも、芯の通った圧倒的な歌声。

いろはの歌には元気と勢いがあるが、莉奈の歌には、聴く者の心を震わせ、強制的にその世界に引きずり込むような「魔力」があった。

颯太は、鳥肌が立つのを抑えられなかった。やはり彼女は『ステラ』なのだ。


歌い終わると、部室は静寂に包まれた。最初に声を上げたのは、いろはだった。


「……すごい。すごすぎるよ、莉奈先輩! 全然違う……!」

いろはの目に、嫉妬ではなく、純粋な憧れが宿る。

「莉奈先輩、お願い! 文化祭までの間、たまにでいいから教えてください!」


莉奈は頬を赤らめ、はにかむように笑った。


「私に教えられることがあれば……いいよ」


文化祭まで、約一ヶ月。


隼人の喪失、莉奈との再会、そしていろはの情熱。

それぞれの想いを乗せて、季節は秋へと動き出そうとしていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


少しでも心に残るものがあれば、


評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです。


次回も、よろしくお願いします。

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