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秘密のオフライン、二人の約束

スマホの画面に表示された『送信済み』の文字が、まるで取り返しのつかない罪の証跡のように見えた。

指先はまだ微かに震えていて、タップした瞬間の感触が指の腹に残っている。


(……送っちゃった。本当に送っちゃったぞ)


時刻は深夜。

ステラの配信が終わってから一時間が過ぎていた。


普段の颯太なら、配信の余韻に浸りながら新曲の構成を練っている時間だ。

けれど今は、手の中のデバイスがいつ爆発してもおかしくない、爆弾にでもなったかのような緊張感に支配されていた。


スマホを液晶が見えないように机に伏せ、そのままベッドに倒れ込む。

一分、二分。一向に通知のバイブは鳴らない。

静まり返った闇の中で、天井を見上げながら、颯太は自分の無謀さを呪った。


いきなり二人きりで夏祭りなんて、ハードルが高すぎたんじゃないか。

そもそも「また遊びましょう」なんて、あの日あの場所の空気に流されただけの、単なる社交辞令だったんじゃないか。


考えれば考えるほど、颯太が送ったメッセージが身の程知らずなラブレターのように思えてきて、顔から火が出そうになる。


数分おきにスマホを裏返しては、ロック画面を確認する。


――通知はない。


「既読」がつかないことに絶望し、送った文章を見返しては「もっと違う言い方があっただろ」と過去の自分に罵声を浴びせる。

そんな不毛なループを繰り返しているうちに、意識は泥のような眠りに沈んでいった。


翌朝、カーテンの隙間から差し込む陽光で目を覚ました。

真っ先にスマホを掴む。

通知欄には、待ち焦がれた名前があった。


『桜庭莉奈:いいですよ。私も、行きたいと思ってました。楽しみにしてます』


心臓がどくん、と大きく跳ねた。


「……っし!」


颯太は布団を蹴飛ばし、無人の部屋で小さくガッツポーズを作った。

世界が昨日までとは違う、鮮やかな色に塗り替えられたような気がした。


夏祭りが開催されるのは、夏休みが終わる数日前。

それは、どこか物悲しい夏の終わりを告げる合図のような日だ。


当日までの数日間、颯太は相変わらずバイトと楽曲制作に明け暮れた。

隼人のいないバイト先で、黙々と作業をこなす。

けれど、視線は無意識に壁のポスターへと向いてしまう。


ただの友達と遊びに行くのとは、明らかに違う高揚感だ。

いろはだったら、きっと「賑やかで楽しいだろうな」と気楽に構える。

隼人だったら、「適当に食って遊ぼう」と食欲が先に来る。

けれど莉奈に対して抱くこの感情は、もっと重くて、もっと熱い。


ふと、そんな自分に違和感を覚えた。


少し前の、--それこそ、ステラの「中の人」を知る前の自分だったら、こんな風に浮足立つことなんて、まずありえなかった。


かつての颯太は、夏祭りなんて「人混みと熱気が不快なだけの行事」だと切り捨てていた。

画面越しに彼女の声を聴き、一人で楽曲を作っていれば、それで颯太の世界は完結していた。


誰かと予定を合わせ、服装に悩み、鏡の前で数時間を無駄にするなんて、非効率で無意味なことだと思っていたはずだ。


(……いつからだ。いつから俺は、こんなに必死になってる?)


思えば、颯太はいつも自分に自信が持てなかった。


独学で作り続けている楽曲。


誰にも聴かせず、ただ自己満足で積み上げられたデータ。

自分では良いと思っても、次の瞬間には「こんなの、誰が聴くんだ」とゴミ箱に捨てたくなるような夜を何度も繰り返してきた。


そんな暗いループから救い出してくれたのは、他でもないステラだった。

彼女が颯太の曲を「好き」だと言ってくれた。

歌いたいと言ってくれた。


その言葉だけで、颯太の無価値だったはずの時間は、意味のあるものに書き換えられたんだ。


だからといって、急に自分に自信が満ち溢れたわけじゃない。

今だって、自分の作る音が本当に彼女に相応しいのか、不安で堪らなくなる。


でも、だからこそ颯太は、今の自分に呆れるほど「余裕」を失っているんだろう。


莉奈が、颯太の知らない誰かとどこかへ行ってしまうかもしれない。

その可能性を想像するだけで、視界が暗くなるような焦燥に駆られる。


莉奈が家で颯太の話をしていた。


ステラが明日の配信を休んでくれた。


そんな、いつか消えてしまいそうな断片的な事実に縋り付いて、必死に一喜一憂している。


誰かを「独り占めしたい」なんて、そんな傲慢で泥臭い感情が自分の中に眠っていたなんて、思いもしなかった。

変わり果てた自分に戸惑いながらも、その変化の理由が莉奈であるということが、どこか誇らしくて、そして酷く恐ろしかった。


祭りの前夜。


カレンダーに引かれた赤い丸を見るたび、胸の鼓動が騒がしくなる。


颯太はいつものように、ステラの配信を見ていた。

今日の内容はフリーで公開されているホラーゲームの実況。

画面の向こうで怖がったり強がったりするステラの声はいつも通りだったけれど、ゲームが終わり、配信が終わる数分前の雑談コーナーで、ステラはふと声を弾ませた。


『あ、そうだ。明日の夜なんだけど、配信はお休みさせてもらうね』


普段、ステラはスケジュールをSNSで知らせている。

それなのに、わざわざ配信の最後でも「明日はお休み」と念を押した。

リスナーたちは「ゆっくり休んで!」「了解!」とコメントを流していく。


(……本当に、空けてくれたんだ)


その理由は誰にも語られない。

けれど、その「休み」が自分との約束のためだということを、世界で颯太だけが知っている。

事前に予定を空けて、楽しみに待ってくれている。

その事実だけで、胃のあたりがキュッとなるような、猛烈な優越感に襲われた。


(桜庭先輩を、がっかりさせたくない)


画面の向こうのスターではなく、あのケーキ屋の出口で寂しそうにポスターを見ていた「一人の女の子」を。


そして、当日。


湿り気を帯びたぬるい夜風が、街の喧騒を運んでくる。

颯太は慣れない整髪料で少しだけ髪を整え、家を出た。


駅を降りると、浴衣姿の人々が大勢いた。

遠くから聞こえる太鼓の音。

提灯の明かりが街並みをオレンジ色に染め、非日常の世界へと塗り替えていく。


待ち合わせ場所の神社の鳥居前。

人混みの中で、颯太は必死に莉奈の姿を探した。

心拍数は、お囃子のリズムよりもずっと速く、激しく刻まれている。


「……颯太くん?」


背後からかけられた声に、颯太は心臓が止まるかと思った。

ゆっくりと振り返る。

そこには、浴衣姿の莉奈が立っていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


少しでも心に残るものがあれば、


評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです。


次回も、よろしくお願いします。

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