眩しすぎる夏、溶け合う孤独
視界のすべてが、暴力的なまでの光に満ちていた。
真っ白な砂浜、どこまでも続く紺碧の海。
そして、耳を突き刺すような波の音と若者たちの歓声。
「ほら二宮くん、ぼーっとしない! 夏だよ、海だよ!」
目の前で浮き輪を振り回しているのは、太陽をそのまま形にしたような女の子、いろはだった。
結局、いろはの猛攻に押し切られる形で、颯太は今日この場所に立っている。
隣には、いつも通り涼しい顔をした隼人。そして――。
「……おはよう、二宮くん」
少し困ったような、けれどどこか安心したような顔で、莉奈がそこにいた。
大人気Vtuberのステラが、今、一般客に紛れて海にいる。
その事実に颯太は心臓を跳ねさせながら、あの日、カラオケで莉奈をいろはに引き合わせてしまった自分の失態を改めて悔やんだ。
莉奈は、いろはの勢いに圧倒されて断れなかったのだろう。
帽子を深く被り、周囲を気にする彼女の姿が痛々しく、申し訳なさがこみ上げる。
「よーし、場所取り完了! 男子、着替えてきなよ。私らも着替えてくるから!」
いろはの号令で、慌ただしく準備が始まった。
浜辺にシートを広げ、颯太と隼人が着替えを終えて戻ると、そこにはすでに「夏」を体現したような光景が待っていた。
「じゃーん! どう、二宮くん?」
いろはが、羽織っていたシャツを脱ぎ捨てて笑う。
いろはの性格をそのまま表したような、ビビッドなオレンジ色のビキニ。
健康的で、眩しくて、直視するのに勇気がいるほどのエネルギーを放っている。
「……ああ、似合ってると思う」
「反応薄いなー! ま、いいや。莉奈先輩! 早く脱いでくださいよ!」
いろはがターゲットを莉奈に変える。
莉奈は「えっ、あ、ううん……」と必死に抵抗していたが、いろはの「せっかくの海なんですから!」という押しに、最後は諦めたように肩を落とした。
莉奈が、ゆっくりと指先を動かし、ワンピースのボタンを外していく。
颯太は、思わず息を呑んだ。
現れたのは、淡いブルーの生地に控えめなフリルがあしらわれた、清楚で可愛らしい水着姿だった。 陶器のように白い肌が、夏の光を反射して発光しているかのように見える。
普段の制服姿や、画面越しのステラとも違う、あまりにも無防備な「一人の女の子」の姿がそこにあった。
「……似合ってます。すごく」
無意識に言葉がこぼれていた。
お世辞ではない、心の底からの本音だった。
莉奈は顔を真っ赤に染め、俯きながら「……ありがとう」と小さく呟いた。
「ちょっと! 私にはそんなマジなトーンじゃなかったじゃん!」
いろはが頬を膨らませて割り込んでくる。
颯太は焦りながら「いや、いろはのも、その……活発な感じでいいと思うぞ」とフォローを入れるが、心拍数は莉奈の姿を捉えたまま、一向に下がる気配がなかった。
それからは、怒涛の時間だった。
いろはに引きずられるようにして波打ち際へ向かい、四人ではしゃいだ。
水を掛け合い、隼人がいろはをからかい、莉奈がそれを見てほほ笑む。
(……笑ってる)
莉奈は楽しそうだった。
けれど、颯太は気づいていた。
その笑顔は、以前バイト先のケーキ屋で母親に向けていた「百パーセントの笑顔」に比べれば、まだ五、六十パーセント程度のものだ。
どこか周囲の目を気にし、ステラという仮面を完全には脱ぎ捨てきれていないような、危うい美しさ。
「ねえ二宮くん! もっと奥まで行こうよ!」
少し離れた場所からいろはが呼びかける。
颯太がそちらを向こうとした、その瞬間。
「あっ、颯太くん、危ない!」
莉奈が鋭く叫んだ。
直後、他グループが遊んでいたビーチボールが、颯太の頭のすぐ横を猛スピードで通り過ぎていく。
「おっと……! あぶねー」
「……あ」
咄嗟に叫んだ莉奈が、ハッとして自分の口元を両手で抑えた。
しかし、周囲は波の音と、夏休みを楽しむ大勢の人たちのざわめきに包まれている。
少し離れた場所にいた、いろはと隼人は、飛んできたボールに驚いてそちらを指差していた。
「わ、今の超速かったね! 二宮くん、大丈夫!?」
「危なかったな。颯太、避けられてよかったな!」
二人はボールの勢いに気を取られ、莉奈が何と叫んだかまでは聞き取っていなかったようだ。
颯太は冷や汗を拭いながら、莉奈と一瞬だけ目を合わせた。
莉奈の瞳には、明らかに「やってしまった」という動揺が浮かんでいる。
颯太は小さく頷き、声を出さずに「大丈夫、聞こえてない」と目配せで伝えた。
遊び疲れた昼下がり。
隼人と莉奈が砂浜で何かを作っているのを遠目に、颯太はいろはと二人、シートの上で休んでいた。
「……ねえ、颯太くん」
不意に呼ばれた名前に、颯太は耳を疑った。
その声の主は、莉奈ではなく、隣に座るいろはだったからだ。
「……え、今なんて?」
「あはは、やっぱり驚いた? さっき海で遊んでる時、莉奈先輩が二宮くんのこと『颯太くん』って呼んでるの、私聞き逃さなかったんだよねー」
いろはがニカッと、すべてを見透かしたような太陽の笑みを浮かべる。
颯太は背筋が凍る思いだった。
海ではしゃいでいる最中、莉奈がいつもの癖で名前を呼んでしまった一瞬。
それをいろはは、鋭く捉えていたのだ。
「莉奈先輩と二宮くん、実は私たちが知らないところで結構仲良しでしょ? ズルいなー、私だけ名字なんて」
「いや、それは……」
「ま、いっか! それより二宮くんって、話してみると意外と面白いよね。どうして今までぼっちだったの?」
いろはの屈託のない質問に、颯太は少しだけ視線を海へと落とした。
「……別に、誰かを避けてたわけじゃない。ただ、人付き合いが苦手っていうか。自分からグイグイいけるタイプじゃないから、気づいたら一人でいるのが一番楽になってたんだ。音楽さえあれば、退屈もしなかったしな」
不器用な自己分析。
それは、誰かに深く踏み込まれることを恐れていた、これまでの自分の防衛本能でもあった。
それを聞いたいろはは、ふーん、と面白そうに鼻を鳴らした。
「ふーん。じゃあ、私がグイグイ攻めてあげる。私、決めたから。私も隼人みたいに、君のこと『颯太』って呼ぶね。その代わり、私のことも『いろは』って呼んで」
颯太は急な提案に戸惑いつつも了承する。
「……あ、あぁ。わかったよ」
押し切られるように頷く。
莉奈との「秘密」を知らないいろは。彼女の無邪気な浸食が、静かだった颯太の境界線を、いとも簡単に踏み越えていく。
帰りの電車。
冷房の効いた車内には、遊び疲れた空気と、夕暮れのオレンジ色の光が満ちていた。
向かい合わせで座っていた隼人といろはは、早々に深い眠りに落ちている。
向かい合わせの席。
ガタン、ゴトン、と規則的な走行音だけが、沈黙を埋めていく。
「……桜庭先輩。今日は、すみませんでした」
颯太は、眠る二人を起こさないよう、声を潜めて切り出した。
「あのカラオケに行った日、俺がいなきゃ……桜庭先輩がこんな風に無理やり連れだされることもなかったはずです。」
元を正せば、あのカラオケの日、自分がいなければ莉奈がいろはと接点を持つこともなかった。
一人の時間を大切にしていた莉奈を、結果的に騒がしい日常に引き摺り込んでしまったのではないか。そんな後悔が、颯太の胸にはあった。
莉奈は窓の外、流れ去っていく夕焼けを見つめたまま、しばらく黙っていた。
やがて、彼女の唇がかすかに動く。
「……ううん。大丈夫だよ。……楽しかった、から」
ボソッとした、消え入りそうな声だった。
「今まで、こんな風に……誰かと海で遊ぶなんて、一度もなかった。……私には、縁のない世界だと思ってた」
その言葉に、颯太の胸が疼いた。
学校の屋上で、あるいは深夜の画面越しに、孤独な戦いを続けてきた莉奈。
それは、一人で音を紡ぎ続けてきた颯太自身の姿とも、痛いほどに重なる。
颯太たちは、似ているのだ。
眩しすぎる光の中にいても、心のどこかに拭えない暗闇を抱えている。
「……また、遊びましょう。」
電車の揺れに合わせて、勇気を振り絞る。
莉奈が、ゆっくりと顔を上げた。夕闇に染まり始めた彼女の瞳が、驚いたように揺れ、やがて優しく細められる。
「……うん」
その時に見せた莉奈の顔は、海辺のどの瞬間よりも、ずっと深い色をしていた。
夏休みはまだ、始まったばかりだ。
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