星を掴む夜、夏が始まる
二十時ちょうど。
更新された画面の向こうで、運命の秒針が重なった。
MVが投稿された。
流れる音楽。
イントロは、冷たく澄んだピアノの旋律から始まった。
画面に浮かび上がったのは、楽曲のタイトル。
――『スターライト』
画面に浮かぶその文字を見つめ、颯太は喉の奥を熱くした。
ステラ(星)は、あまりに遠い。
けれど、その星が放つ光は、どんなに暗い夜でも、どんなに深い孤独の淵でも、必ず届く。
一人で音楽を作るしかなかった日々も、誰にも理解されないと思っていた静かな絶望も。
莉奈と出会い、その歌声を聴くことで、颯太の日常には少しずつ光が射していった。
暗闇に光を与えてくれる、そんな存在。
莉奈が颯太にとっての『スターライト』であるように、この曲が、今どこかで暗闇の中にいる誰かを照らす光になってほしい。
そんな想いを乗せて名付けたタイトルが、今、ステラの歌声と共に世界を照らし始める。
紺碧の夜空の下、一人の女の子――ステラが、天高く輝く一等星に手を伸ばしている一枚絵が表示される。
指先があと数センチで星に届く。
その一瞬を切り取った絵は、わずかに揺れながら、物語を刻み始めた。
やがて、ステラの声が重なった。
切なさを帯びた、けれど決して折れることのない芯の強さを持った歌声。
サビに差し掛かった瞬間、ドラムが激しく打ち鳴らされ、世界が一気に反転する。
暗かった夜空に光が溢れ出し、メロディは突き抜けるような明るさへと加速していった。
「……っ」
颯太は、息をするのも忘れてモニターを見つめていた。
自分の頭の中にしかなかった音が、ステラの歌声という魂を得て、形を持って世界に放たれている。
切なさを抱えたまま、それでも星を掴もうとする意志。
ステラが歌い上げたのは、まさに颯太が楽譜に込めた、そしてステラ自身が抱えていた『スターライト』そのものだった。
一曲が終わったとき、颯太の全身には心地よい疲労感と、それ以上に激しい高揚感が残っていた。
それと同時に、胸の奥が、熱く、痛い。
ただ作品に感動しているだけではない、もっと得体の知れない何かが、心臓を強く握りしめている。 莉奈のことを思い出そうとすると、喉の奥が震えた。
これまで「憧れのステラ」に向けていた尊敬とは違う、もっと泥臭くて、逃げ出したくなるほど甘い、未知の熱。
(なんだ、この感覚は……)
その答えにたどり着くのが怖くて、颯太は深呼吸をして無理やり意識を切り替えた。
最後のピアノの残響が、吸い込まれるように消えていく。
暗い部屋に、動画が終わったことを告げる静寂が戻ってきた。
颯太は、硬直していた体をゆっくりと背もたれに預けた。
肺に溜まっていた熱い空気を吐き出すと、全身の筋肉がじわじわと震え出す。
ただの視聴者として聴いていた時とは違う。
自分の生み出した旋律が、ステラという表現者を通し、何万人もの感情を揺さぶる巨大な熱量へと変わったことへの畏怖と、言いようのない充足感。
ふと視線を落とすと、自分の拳が白くなるほど強く握りしめられていた。
モニターの光を反射する指先が、まだわずかに小刻みな振動を続けている。
震える指を動かし、莉奈にメッセージを送る。
『最高でした。スターライト……ステラがこの曲を歌ってくれて、本当によかった。ありがとうございます』
すぐに返信が来た。
『ありがとう。颯太くんの曲だから、私もここまで歌えたんだよ。』
短い言葉だった。けれど、その向こう側に、今この瞬間、同じように心臓を踊らせている彼女がいることを確信できた。
画面には「神曲」「タイトル通りの輝き」といったコメントが、滝のような速さで流れていく。
――世界が、二人の『スターライト』で満たされていた。
―夜明け
目覚めると、部屋の温度はすでに上がり始めていた。
七月下旬、夏休み初日。
窓の外からは容赦のない蝉時雨が降り注いでいる。
ふと、スマホで昨夜の動画を確認する。
(……あ)
不意に、歌声の向こう側に莉奈の顔が重なった。
初めて莉奈と行った喫茶店。
時折見せる、照れたような、けれど信頼を寄せてくれるようなあの瞳。
ドクン、と心臓が跳ねた。
昨夜の興奮のせいだと思っていた鼓動が、今度はもっと静かに、けれど確実に胸の奥を突き上げてくる。
ただの動画のはずなのに、ステラの歌声を聴いているだけで、まるで隣に莉奈が立っているかのような錯覚に陥る。
視線をどこにやっていいか分からなくなるような、居心地の悪さと、胸の疼き。
「……っ、落ち着け」
颯太は慌ててスマホを裏返した。
再生数は一晩で驚異的な数字を叩き出していた。
けれど、それはもう、どこか遠い世界の出来事のようにも感じられた。
生活のすべてがステラの歌声を中心に回っていた、あの削るような日々は、もうない。
いろはの軽音部に通う、慌ただしい放課後も終わった。
あるのは、バイトの予定が数日入っているだけの、空白だらけの予定表だ。
いつものようにコンビニのおにぎりを齧り、ぬるくなった茶を飲む。
数週間前までは、これが当たり前の日常だったはずだ。
更に夏休みにも入り、一人の時間が多くなる。
静かで、誰にも邪魔されない、颯太の「ぼっち」な日常。
「……なんだかんだ、楽しかったな」
独り言が、がらんとした部屋に響く。
莉奈と秘密を共有したこと。いろはに振り回されながら、一つの楽曲を完成させたこと。
あの喧騒が、今はひどく愛おしいものに思えて仕方がなかった。
寂しさに身を任せようとした、その時。
机の上のスマホが、けたたましく震えた。
『夏休みスタート! 二宮くん、海行こう! この前のメンツで行くって決めたから、強制参加ね! 断ったら家まで迎えに行っちゃうから!』
送り主は、いろはだった。
勝手で、一方的で、けれどどうしようもなく明るい招待状。
颯太はそれを見て、苦笑いしながら天井を仰いだ。
どうやら、夏休みは、思っていたよりもずっと騒がしくなりそうだった。
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