共犯者のカウントダウン
カラオケ店へ向かう歩道は、やけに広く感じられた。
いや、実際に広いわけじゃない。ただ、四人の距離が微妙に噛み合っていないだけだ。
駅の出口で合流した直後、逃げ場を失った颯太は、冷や汗をかきながら二人を紹介した。
莉奈は、借りてきた猫のように肩をすぼめている。
「……桜庭、莉奈です」
消え入りそうな声。
けれど、その名前が颯太以外の口から発せられた瞬間、心臓が跳ねた。
紹介を終えて歩き出しても、四人の間には、まるで透明な壁があるようなぎこちなさが漂っている。
先頭を歩くのはいろはだ。
足取りが軽く、振り返るたびに視線が莉奈へと吸い寄せられている。
隼人はその少し後ろで、空気を読まずにスマホを弄っていた。
そして颯太と莉奈は、気まずさをごまかすように、ほんの一歩分の間隔を空けて並んで歩いている。
「……あの」
いろはが、ついに我慢できなくなったように振り返った。
「莉奈先輩って、呼んでもいいですか?」
一瞬、莉奈の肩が小さく跳ねる。
配信で見せる、あの堂々とした“ステラ”とはまるで別人だ。
「あ、はい。……どうぞ」
困ったように、けれど断りきれずに莉奈が頷く。
その様子を見て、颯太の胸の奥がちくりと痛んだ。
——俺が、無理に連れてきたせいだ。
莉奈は今、必死に“大人しい女子高生”を演じ、慣れない後輩の勢いに圧倒されている。
「やった! じゃあ莉奈先輩、よろしくお願いしますね!」
いろはは満足そうに笑った。
人懐っこい笑顔のはずなのに、颯太にはそれが、獲物を見つけた猫のようにも見えてしまった。
駅前の喧騒を抜け、派手な看板のカラオケ店へと吸い込まれる。
受付を済ませると、いろはが「ドリンクバー、行こ!」と颯太の腕を引くようにして歩き出した。
色とりどりのシロップが並ぶドリンクバーの前。
莉奈は迷うようにボタンを見つめていたが、結局、一番無難なウーロン茶をコップに注いだ。
その横顔は、やはりどこか落ち着かない様子で、何度も入り口のほうへ視線を泳がせている。
颯太と隼人も適当に飲み物を注ぎ、少し冷房の効いた階段を上った。
指定された個室のドアを開けた瞬間、冷えた空気と、防音壁特有の閉塞感が颯太たちを包み込む。
四人で座っても十分な余裕はあるはずなのに、窓のない密室のせいか、妙に圧迫感があった。
颯太は莉奈を端に座らせるように促し、その隣に腰を下ろす。
テーブルを挟んだ向かい側では、いろはが「あの新しい曲入ってるかな」と楽しそうに端末を操作し、隼人は慣れた手つきでポテトの盛り合わせを注文していた。
部屋に着くと同時、いろはが迷いなくマイクを掴んだ。
「じゃ、最初は私いくね!」
イントロが流れ、いろはは一気に歌い出した。
声量、音程、リズム感。さすがボーカルといった安定感で、場の空気を一瞬で掌握する。
——上手い。
純粋に、そう思った。
曲が終わると、いろはは息を弾ませながら振り返る。
隼人は「さすがボーカルだな」と称賛する一方、颯太と莉奈は小さく拍手するしかできなかった。
「はい、次は莉奈先輩の番です!」
差し出されたマイクに、莉奈が目に見えて狼狽した。
「え……あ、あの、私は、まだ心の準備が……」
「えー、莉奈先輩の歌、早く聴きたいですって!」
ぐいぐいと迫るいろはに、莉奈が助けを求めるような視線を颯太に向ける。
——ここで歌わせるわけにはいかない。
颯太は反射的に、いろはの手元からマイクを奪い取るようにして立ち上がった。
「あー、ごめん。俺、先に歌いたい曲あるんだわ。桜庭先輩はその後でいいだろ?」
「えっ、二宮くん? 珍しい、そんなに乗り気なの?」
いろはの訝しげな視線を無視して、颯太は適当な曲を入力し、マイクを握った。
正直、歌どころではない。
自分の心臓の音がマイクに乗ってしまうんじゃないかと思うほど、喉が引き攣っていた。
颯太の歌声は、上手くも下手でもない、至極普通なものだ。
盛り上がるわけでも、静まり返るわけでもない、ただ時間が過ぎるのを待つためだけの歌。
歌い終わると、いろはがパチパチと拍手を送る中で、颯太は逃げるように隣の隼人にマイクを押し付けた。
「ほら、次はお前だ、隼人。十八番歌えよ」
「えー、俺? まあいいけどさ」
気休め程度の時間稼ぎ。 けれど、曲のカウントダウンが進むたびに、颯太と莉奈は確実に追い詰められていた。
——逃がしてやりたい。
でも、そんな都合のいい方法は、どこにもなかった。
隼人が歌い終わった。
無難に歌いこなした、隼人に拍手を送る。
しかし、一通り歌い終わってしまった。
逃げ場はなくなった。
「じゃあ、次は莉奈先輩の番ですね」
いろはの声は柔らかい。
けれど、退路は完全に塞がれている。
莉奈は小さく息を吸い、震える手でマイクを取った。
その指先が端末の画面に触れる。
迷い、躊躇い、そして——何かを振り切るようにして、一つのタイトルを押し込んだ。
選んだのは、今どこへ行っても耳にするような、誰もが知る流行りのJ-POP。
ステラが歌枠配信で歌うようなエモーショナルな曲とは正反対の、無機質なほど明るいヒットチャート。
それは莉奈なりの、必死の防衛本能に見えた。
「私はどこにでもいる普通の女子高生だ」と、自分自身に言い聞かせるような選曲。
イントロが流れ、数秒の沈黙。
——そして。
莉奈が、歌った。
空気が、凍る。
上手い。
いや、それだけじゃない。
声の芯が、まるで違う。
隣で直接浴びるその歌声は、配信越しとは比べものにならないほど生々しくて、強かった。
胸の奥を、鷲掴みにされる。
当たり前のことだが、ステラの声に似ている。
正体を知っている颯太には、それが当然の帰結だと分かっていた。
けれど、目の前で空気を震わせるその生の響きは、デジタル越しのそれよりもずっと深く、暴力的なほどに颯太の脳を支配していく。
「まずい」と、理性が警報を鳴らしている。
そう思ったのに、魂に直接触れられたような歌声から、どうしても目が離せなかった。
歌い終わると、個室は一瞬の静寂に包まれ、直後に爆発したような拍手が巻き起こった。
「え、すごっ……! 莉奈先輩、めちゃくちゃ上手いじゃないですか!」
いろはが身を乗り出して、目を輝かせる。
「びっくりした……。先輩、プロかと思ったよ」
隼人も、素直に感嘆の声を漏らしていた。
場は一気に「莉奈の歌唱力」への絶賛で温度を上げる。
当の莉奈は「そんなこと、ないです……」と、顔を赤くしてマイクを戻し、小さく肩を丸めていた。
颯太だけが、心臓の早鐘を抑えられずにいた。
この盛り上がりが、逆に怖い。目立ちすぎている。
ふいに、いろはが笑いながら、莉奈に言った。
「なんかさ、莉奈先輩。今の歌声、めっちゃステラに似てた!」
無邪気な、ただの感想を口にするようなトーン。
だからこそ、颯太の背中には一気に冷や汗が流れた。
心臓が、跳ねた。
莉奈の表情が、固まる。
颯太は反射的に割って入った。
「桜庭先輩、ステラのファンだからさ。歌い方、寄っちゃってるんですよね?」
自分でも分かる。
強引で、雑なフォローだ。
何より、莉奈の意思も確認せずに、勝手に「ファン」だなんて設定を彼女に押し付けてしまった。
莉奈の顔は見れなかった。
けれど、いろはは意外なほどあっさりと目を細めた。
「あ、そうなんだ!似てるなぁって思いました!」
疑う様子もなく、いろはは笑う。
耐えきれなくなったように、莉奈が立ち上がる。
「……ドリンク、取ってきます」
逃げるように個室を出る背中を、さりげなくトイレに行くと言って、颯太は迷わず追った。
ドリンクバーの前。
並んだ紙コップを前に、颯太は頭を下げる。
「本当に、すみません。……俺があんな嘘を言わなければ、こんな思いをさせずに済んだのに」
ステラの正体を晒しかねない、あのヒヤリとする瞬間。
それだけでなく、そもそも莉奈をこんな騒がしい場所へ無理やり連れ出したことへの後悔が、言葉となって溢れ出す。
莉奈は、注がれるウーロン茶の泡をじっと見つめながら、少し困ったように笑った。
「……ううん。私も、断ろうと思えば断れたはずだったし。私の性格のせいで、颯太くんに気を遣わせちゃってるだけだから」
二人でいる時は「颯太くん」と呼んでくれる特別感が嬉しかった。
けれど今は、その名前を呼ぶ彼女の優しさが、今の颯太には余計に痛かった。
莉奈は決して、颯太を責めようとはしなかった。
むしろ、自分の内気な性格のせいで状況を複雑にしているのだと、自分自身を諫めている。
その健気さが、無理をさせている自分への罪悪感をいっそう強くさせた。
「……少しだけ、ここで時間を置いてから戻りましょうか。いっぺんに戻ると、怪しまれるかもしれないし」
「そうだね。」
二人は、機械の駆動音だけが響くドリンクバーの前で、ほんの数分だけ「共犯者」としての沈黙を共有した。
先に莉奈が戻り、数分遅れて颯太が部屋に戻ると、いろはは先ほどまでのはしゃぎっぷりが嘘のように静かだった。
何かを考え込むような、それでいて純粋な興味が隠しきれない、底の見えない目。
「莉奈先輩、さっきの歌なんですけど……」
いろはが、ぽつりと呟いた。
「歌う時、曲の気持ちをちゃんと汲み取ってる感じがしました。ただ上手いだけじゃなくて、そこに誰かがいるみたいに」
その言葉の鋭さに、颯太の心臓が跳ねる。
莉奈は少しの間をおいて、自分に言い聞かせるように答えた。
「……そんな、大層なものじゃ。ただ、曲の中の思いを、ちゃんと想像するようにしているだけです」
その答えを聞いた瞬間、いろはは一瞬だけ、何かに触れたような寂しそうな顔をした。
けれど、すぐにいつもの人懐っこい笑顔を貼り付ける。
「ふーん。……やっぱり莉奈先輩、すごいです」
隼人の熱唱といろはの盛り上げで、一見すれば「楽しいダブルデート風」の時間は過ぎた。
三時間が経過し、退出の時間を知らせる電話が鳴った。
颯太は、残った飲み物を一気に飲み干したが、最後まで砂を噛むような味がした。
店を出て、夕暮れに染まり始めた駅前。
解散の空気が流れたところで、いろはがバッグからスマホを取り出した。
「ね、莉奈先輩。連絡先、交換しませんか? また遊びたいですし!」
解散の間際、いろはが事もなげに言った。
莉奈の動きが、目に見えて凍りつく。
バッグを握る指先が落ち着かなく泳ぎ、助けを求めるような、あるいは逃げ出したいような視線を颯太に向ける。
ここで颯太が口を出せば、かえって不自然になる。
莉奈は何度も唇を戦わせ、何かを言いかけ——けれど、いろはの無垢な笑顔に押し切られるように、諦めたように肩を落とした。
「……あ、はい。……よろしくお願いします」
震える手で取り出されたスマホが、いろはの端末と重なる。
それを見た隼人も「あ、じゃあ俺もいいかな」と自然に流れに乗り、四人の間で無機質な通知音が重なった。
繋がってしまった。
莉奈に強い関心を持ついろはと、隠し通さなければならない莉奈。
本当なら、決して交わってはいけなかった二つの世界が、一つに収まっていく。
――時限爆弾を、抱えてしまった。
それがいつ爆発するのか、あるいは不発のまま終わるのか。
去っていくいろはの背中を見つめながら、颯太はただ、掌に滲む冷たい汗を拭った。
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