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咄嗟の嘘と密室のステージ

駅前の雑踏が、不自然なほど遠く感じられた。


空中でいくつもの道が交差する、広く無機質な歩行者広場。

見下ろせばバスロータリーへと吸い込まれていく人の流れが絶えず、頭上からは大型ビジョンの喧騒が降り注いでいる。


夏本番を前にした午後の空気は、逃げ場のない熱を孕んでざわついているはずなのに、颯太の周囲だけが、時間を止められたかのように静まり返っている。


デッキの手すり際に立ち、行き交う人混みから逃れるように身を潜める莉奈。

その数メートル前で、待ち合わせの目印となっている円形のモニュメントから駆け寄ってきたばかりの、いろは。

そして、その二人の間に立ち尽くす颯太。


――まずい。


喉の奥がひりつく。

視線の圧が、はっきりと形を持って突き刺さってくる。


いろはの目には、驚きと困惑が混じっていた。

自分の知らない颯太の世界を、突然見せつけられたような顔。


一方の莉奈は、微かに肩を強張らせている。

正体が露見するかもしれない恐怖と、それ以上に――颯太の隣にいる“同年代の女の子”への戸惑い。


三人の間に、見えない緊張の糸が張り詰める。


先に口を開いたのは、いろはだった。


「……二宮くん、その人は?」


穏やかな声音。

けれど、その裏に潜む探るような響きに、颯太はごくりと唾を飲み込んだ。


頭が高速で回転する。

正解のない問い。

間違えれば、すべてが崩れる。


「……あ」


喉が鳴る音が、自分でも分かるほど大きく聞こえた。


「が、学校の……先輩」


苦し紛れに絞り出した一言。


「先輩?」


いろはが、首を傾げる。


「二宮くん、学校ではいつも一人の時間を大事にしてるイメージだったから。先輩みたいに可愛い人と知り合いだったなんて、なんだかちょっと意外」


疑念が、じわじわと染み出してくる。

空気が、目に見えて重くなった。


(まずい……)


その瞬間だった。


「おーい! 悪い悪い、待たせたな!」


場違いなほど明るい声が、空気を切り裂いた。


振り返ると、隼人が手を振りながらこちらへ歩いてくる。

その無神経さが、今は救いにすら思えた。


「……あれ?」


隼人は颯太の隣に立つと、莉奈の顔をじっと見つめ、確信を得たように声を上げた。


「俺のバイト先のケーキ屋に、よく来てる人ですよね?お母さんと一緒のところ、何度か見たことがあります」


――しまった。


颯太の背筋に、冷たいものが走る。


莉奈は、弾かれたように肩を跳ねさせた。


「え……っ」


莉奈の喉が、ひゅっと小さく鳴った。

学校では誰とも関わらず、ひっそりと息を潜めて守ってきたはずの自分の「日常」が、一番予期せぬ場所から漏れ出していた。


母親と笑い合いながらケーキを選んでいた、無防備で、あまりにも「普通の女の子」だった莉奈。

その姿をクラスメイトの友人に目撃されていた事実は、服の隙間から中を覗き込まれたような、耐え難い羞恥となって彼女を襲った。


頬が、瞬時に熱を帯びていくのが分かった。

莉奈は視線を彷徨わせる。


「……あ、あの。そ、れは……」


消え入りそうな声で、かろうじて言葉を紡ぐ。

否定しようにも、隼人の視線には確信がこもっていた。


莉奈は俯き加減に認め、逃げるように髪を耳にかけた。

その指先が、わずかに震えている。


「え、知り合いなの?」と、いろは。


莉奈は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに小さく頷いた。


「……はい。よく利用させてもらってます」


「やっぱり! よく来てくれてたから、印象に残っててさ」


隼人は屈託なく笑う。


「てかさ、颯太。お前、この人と前から知り合いだったのか?」


ストレートすぎる問い。

逃げ場は、もうない。

ごまかすことは出来ず、認めるしかなかった。


隼人はふと思い出したように、自分の顎を指先で叩いた。


「ああ、だからか。そういえばお前、店に来たときもチラチラ見てたよな。知り合いだから気にしてたのか」


「――っ!?」


颯太の心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。

あの時、正体を隠して莉奈を見守っていたはずの視線を、隼人は「知り合いを見つけた時の反応」だと解釈して、この最悪なタイミングで掘り返してきたのだ。


「あー、納得したわ。お前、視界に入るたびに妙に落ち着かない様子だったもんな。なんだよ、知り合いならそう言えよ」


隼人の悪気のない追撃が、逃げ道を完全に塞いでいく。


いろはの視線が、わずかに細められた。


(まずい、このままじゃ……!)


颯太は一瞬、目を伏せ――次の瞬間、これ以上ないほど必死に、腹を括った。


「……昔」


言葉を選ぶ暇はない。

即興で、嘘の物語を組み立てる。


「む、昔、音楽の公募に出す時に……SNSで仮歌を募集したことがあってさ」


三人の視線が、集まる。


「その時、たまたま反応してくれたのが……桜庭先輩だった。学校が同じだって知ったのは、ほんと最近」


言い切る。

迷いを見せたら終わりだ。


一拍の沈黙。


莉奈が、わずかに目を見開いた。

だが、その驚きはほんの一瞬で、すぐに理解の色に変わる。


「……はい」


莉奈は、小さく息を整えた。


「に、二宮くんには、その時、少しだけお世話になって」


完璧な補足。

呼び方も「二宮くん」にしてくれた。

颯太は内心で息を吐いた。


隼人は腕を組み、「へぇー」と感心したように頷く。


「すげえ縁だな。音楽って意外と世界狭いんだな」


いろはも、表向きは納得したように笑った。


「そうなんだ……。仮歌さん、なんだ」


けれど、納得したように笑ういろはの瞳に、わずかな影が落ちた気がした。

自分の知らないところで二人が繋がっていたことに、いろはが疎外感を抱いているような、そんな不穏な静けさ。


その空気を、いろは自身が破った。


「……あの!」


急に声のトーンが上がる。


「仮歌さんってことは、歌、上手いんですよね?」


莉奈が一瞬、言葉に詰まる。 視線を泳がせ、何とか角の立たない断り文句を探しているのが分かった。


「え……あ、その……。私、歌なんて……そんな……」


「じゃあ決まり!」


否定の言葉を紡ぎきる前に、いろはがパンッ、と弾けるような音で手を叩いた。


「みんなでカラオケ行こ! すぐそこに駅ビル直結の店、あるよね?」


「は?」


「え?」


颯太と莉奈の声が、驚くほど綺麗に重なる。

二人の動揺を見透かすように、いろははいたずらっぽく、けれど有無を言わせない瞳で莉奈を覗き込んだ。


「ちょ、ちょっと待って佐藤さん。いきなりすぎるでしょ。先輩だって予定があるかもしれないし……」


颯太が必死の盾になろうとするが、いろはの攻勢は止まらない。


「だって、せっかくのチャンスなんだよ? 仮歌さんってことはうまいだろうし、ボーカルとして何か勉強になることがあると思うしさ」


「それは……そうだけど」


「作詞のインスピレーションにもなるかもしれないし。ね? お願い、先輩。少しだけでいいんです!」


いろはは莉奈の両手をそっと握り、真っ直ぐに見つめた。

そのキラキラとした純粋な期待の眼差しに、莉奈は息を呑んで後退りする。

内向的な莉奈にとって、いろはのような陽のエネルギーに満ちた押しは、何よりも防御不能な攻撃だった。


「……私、本当に、今日はそんな心の準備が……」


莉奈が助けを求めるように颯太へ視線を送る。

だが、そこでトドメを刺したのは、やはり隼人だった。


「いいじゃん! 俺も聴いてみたい」


「お前は黙ってろ!」


颯太の叫びも虚しく、包囲網は完全に完成していた。

ここで頑なに拒否し続ければ、かえって「歌えない理由(正体)」を探られることになりかねない。


莉奈は小さく震える指先で、自分の腕を抱きしめるようにして俯いた。

そして、覚悟を決めたように、消え入りそうな声で呟く。


「……ほんの、少しだけなら……」


その場しのぎで咄嗟についた嘘。

莉奈を守るための、安易な、けれど最低な言い訳。

変に口走ってしまったばかりに、莉奈は一番避けたかったはずの場所に、自ら足を踏み入れようとしている。


自分の嘘を真実にするために、彼女は恐怖を押し殺してまで付き合ってくれようとしているのだ。


申し訳なさが胃の底で泥のように重く沈み、吐き気がした。

俯き、震える肩を抱く莉奈の細い背中が、まるで自分のせいで断頭台へと向かわされる罪人のように見えて、颯太は喉まで出かかった謝罪を、乾いた唇で飲み込むことしかできなかった。


「やったぁ! 決まり、行こう!」


莉奈が颯太を見る。

颯太も、莉奈を見る。


――どうするの、これ。

――すみません…


言葉を使わない、短いアイコンタクト。


隼人が、楽しそうに笑った。


颯太は、諦めたように肩を落とす。


「……行くだけだからな」


「やった!」


こうして。


嘘から始まった共犯関係は、逃げ場のないまま、カラオケという名の密室へと、四人を引きずり込んでいった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


少しでも心に残るものがあれば、


評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです。


次回も、よろしくお願いします。

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