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交差する、夏の入口

教室の空気が、どこか落ち着かなかった。

昨日の屋上での出来事が、まだ胸の奥に残っている。

曲を認めてもらえた嬉しさと、あの距離感のまま時間が止まってしまったような感覚。

その両方が、颯太の思考を微妙に鈍らせていた。


やがて四時間目の終了を告げるチャイムが鳴り、教室内は一気に昼休みの喧騒に包まれる。

颯太は意識を切り替えるように一つ息を吐くと、机の横に下げている、鞄の中から、今朝買ったおにぎりを取り出した。


隣では、隼人が慣れた手つきで妹のひよりが作った弁当を広げていた。


(……昨日の今日だ。流石に、佐藤さんも今日は来ないよな)


昨日、弁当を半分残したまま莉奈のもとへ駆け出してしまったあの一件。

隼人から聞いた「半泣きで片付けていた」といういろはの姿を思い出すと、今でも胸のあたりがズキリと痛む。

特に昼食の約束をしていたわけではないが、せっかく作ってきてくれたのにあんなひどい真似をしたのだから、怒っていても、愛想を尽かされていてもおかしくはないはずだった。


「……悪いことしたな、本当に」


おにぎりの包みに手をかける。

少しだけ切ない静寂を噛み締めながら食べる昼食に、意識を向けようとした、その時だった。


廊下の向こう、上の階から階段を下りてきたのだろう。

少しだけ肩を揺らして息を整えながら、いろはが教室に入ってきた。

その手には、昨日と同じ巾着袋がしっかりと握られている。


「二宮君!隼人!一緒にご飯食べよ!」


明るい声とともに、机の横に影が落ちる。

顔を上げると、いろはがいつも通りの満面の笑みで立っていた。昨日と同じ巾着袋。何事もなかったかのような態度。


「はい、二宮くん!お弁当だよ!」


呆然と、目の前の弁当を見つめる。 昨日、彼女の好意を置いてきぼりにした自分に対して、文句一つ言わずにまた台所に立ち、丁寧に包みを結んでいる彼女の姿を想像してしまい、颯太の胸は熱さと痛みが混ざり合ったような感覚でいっぱいになった。


「え、あ……佐藤さん、これ……」

「今日はちゃんと二宮くんに食べてほしいなー、なんて」


悪戯っぽく笑いながら、いろはが颯太の前の席の椅子をくるりとこちらへ向け、颯太と向かい合わせで座る。

そのあまりに真っ直ぐな善意を前にして、手元にあるコンビニのおにぎりが、急に味気ない代物に感じられてしまった。


颯太は一瞬、言葉に詰まった。


「佐藤さん……昨日は、その……」


「ん?」


「急にいなくなって、ごめん」


一瞬だけ、いろはの表情が揺れた。けれど、すぐに笑顔に戻る。


「いいよ! 用事あったんでしょ?」

その言い方が、かえって胸に刺さる。


「……それとさ」

颯太は言葉を慎重に選びながら続けた。

「ここ最近毎日作ってもらってるし、お礼ならもう十分伝わったから。だから、明日からはもう大丈夫だよ。さすがに悪いし。それに、その……変な噂も立つのも、佐藤さんにとって良くないと思うんだ」


一瞬の沈黙。

いろはは巾着袋をぎゅっと握りしめ、視線を落とした。


「……そっか。やっぱり、ちょっとやりすぎちゃったかな」


いろはは少しだけ肩を落とし、苦笑いとも寂しげな笑いともとれる表情で俯いた。

その様子に、颯太は胸の奥がチクりと痛むのを感じる。


(あ、言い方……)


後悔しかけたその瞬間、いろはが顔を上げる。


「じゃあさ!」


さっきまでの沈んだ空気を振り払うような勢い。


「毎日はダメでも……たまになら、いいよね?」


「え?あ……たまに、なら……」


「うん! 週一とか! それくらい!」


その必死さに、颯太は小さく息を吐いた。

「……それぐらいなら。ありがたく」


「やった!」

ぱっと花が咲いたような笑顔。


こうして二人の間に、「たまにのお弁当」という、曖昧だけど確かな約束が生まれた。


放課後、第二音楽室。

軽音部の面々が、それぞれの楽器を手に音を合わせている。


ステラに提供した曲は、夜空に瞬く星をイメージした、切なくもどこか温かい光を放つ一曲だった。

それに対し、今目の前にいる彼女たちが求めているのは、もっと直接的な「熱」だ。


颯太の役割は、彼女たちが抱く断片的なイメージを、音楽という共通言語に翻訳すること。


「……よし、メロディの土台はできてきた。今日はこの曲をどういう方向に持っていきたいか、具体的なテーマを決めよう」


颯太がホワイトボードの前に立って問いかけると、真っ先に反応したのはいろはだった。


「はいはい! 私、やりたい感じがある!」


勢いよく立ち上がると、彼女はまだ電源も入っていないマイクを両手でギュッと握りしめ、パッと顔を輝かせる。


「もっと、青春! みたいな感じ! こう、炭酸が弾けて、青空に向かって走っていくような……そういうキラキラしたやつ!」


「青春、か……」


いろはの直球すぎる表現に、颯太は思わず苦笑した。

ステラの曲が「届かない光への憧れ」だとしたら、彼女たちが求めているのは「今この瞬間の爆発」だ。

同じキラキラした音でも、選ぶ楽器やリズムの刻み方はまるで正反対になる。


「わかった。爽やかな青春ソング、って感じか。」


颯太はホワイトボードに『青春・炭酸・青空』と書き出し、彼女たちの方を向き直した。


「だったら、今のメロディをもっと明るく聴かせる工夫が必要だ。

例えば……キーを少し上げてみるとか、テンポを今の1.2倍くらい速くしてみるとか。

ベースとドラムはどうしたい? 前に演奏したあのバンドの曲みたいに、疾走感を出してみる?」


颯太の問いかけに、メンバーたちが「あ、それいいかも!」「じゃあ、ドラムはもっと手数を増やして……」と、次々にアイディアを出し合う。


「……じゃあ、一回そのイメージで合わせてみようか」


颯太がリズムを刻む合図を出すと、メンバーたちがそれぞれ自分の楽器を鳴らし始めた。

最初はバラバラだった音が、颯太のアドバイスを道標にして、少しずつ「青春」の形へと収束していく。

自分たちの手でイメージが音に変わっていく快感に、部室内の空気が一段と明るく跳ね上がった。


「そうそう、今の感じ。……いろはそのリズムに乗せて歌ってみて、ハミングみたいな感じでいいから」


「うん! ……――♪」


颯太に促され、いろはが即興でメロディを口ずさむ。

まだ歌詞のない、ハミングに近い歌声。

それでも、彼女の弾けるような笑顔と重なったその声は、驚くほど真っ直ぐに部室の空気を震わせた。


それが、不思議と心地よかった。


メロディは形になっていく。

ギターの坂井が軽快なカッティングを刻み、ベースの小笠原がそれを支え、栗林のドラムがリズムを前に押し出す。


颯太はいろはたちのセッションを聴きながら、頭の中で足りない音を補完し、曲が完成へと近づく確かな手応えを感じていた。


演奏を終え、メンバーたちが「今の良かった!」「今のテンションだね!」と興奮気味に顔を見合わせる。


しかし、その熱狂の輪の中心で、いろはだけが、手元のノートをじっと見つめていた。


「……あのさ」


ふと、いろはがポツリと口を開いた。

高揚感に包まれていた部室に、いろはの少し困ったような声が響く。


「……曲は、すっごくかっこいいんだけど、これに合わせる言葉が、全然出てこないんだ」


いろははペンを回しながら、真っ白なページが並ぶノートを颯太に差し出した。


「キラキラしてて、炭酸で、青空で……。イメージは頭にあるのに、言葉にしようとすると、なんか嘘っぽくなっちゃうっていうか。……作詞って、こんなに難しいの?」


メロディという「器」が立派になればなるほど、そこに入れるべき「言葉」の重みが際立ってくる。 いろはがぶつかっているのは、創作者なら誰もが一度は経験する、表現の壁だった。


颯太は少し考えてから口を開いた。

「机に向かってるだけが、作詞じゃないよ」


「外の空気吸ったりさ。なにか、感情が動くことをして、そこからインスピレーションが湧くこともある」


その言葉に、いろはの目がきらりと光る。


「じゃあさ!」

いろはが勢いよく立ち上がり、颯太を指差した。

「二宮くん、遊びに行こうよ! 青春ソングなんだし、青春しに行こ!」


「は? ……遊び?」

呆気にとられる颯太をよそに、いろはは「いい歌詞書くためだよ!」と有無を言わさぬ勢いで詰め寄る。

他のメンバーも、作詞はいろはの担当ということもあり「いいんじゃね?」とどこか他人事のように笑っている。


「……いや、遊びって言ってもな」

「じゃあ隼人くんも誘お! それなら文句ないでしょ?」


隼人の名前を出され、颯太はついに抵抗を諦めた。あいつがいれば、少なくともいろはと二人きりという気まずさは避けられる。


「……あいつが行くなら、わかったよ」


「やったぁ! 決定!」


ガッツポーズを作るいろはの勢いに、颯太は溜息をつくしかなかった。


休日の駅前。


集合時間よりかなり早く着いてしまい、颯太は改札前でスマホを眺めていた。


その時だった。


人混みの向こうに、見覚えのある横顔が見える。


(……え?)


肩まで伸びた髪。

制服ではない、落ち着いた色合いの私服。

少し大人びた雰囲気。


「……桜庭先輩?」


思わず声が漏れる。

振り返った彼女――莉奈は、少し驚いたように目を瞬かせた。


「二宮くん……?」

「こんなところで、会うとは」


学校とは違う場所で、違う服を着た莉奈。

その空気感に、颯太は一瞬、言葉を失った。


「どうしたんですか、こんなところで」

「ちょっと待ち合わせしてて……」


ほんの短い会話。

それでも、二人の間には静かな温度が流れていた。


その時。


「二宮くーん!」


弾けるような声。

振り返ると、いろはが手を振りながらこちらへ駆けてくる。


「お待たせ……って」


いろはの視線が、莉奈に向く。

莉奈もまた、自分とは正反対の眩しいオーラを放ついろはに目を留める。


一瞬の沈黙。


――この子は誰?

――誰と話してるの?


そんな無言の問いが、空気に張り付いたまま。


夏本番を目前にした駅前で、三人の時間が、交差した。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


少しでも心に残るものがあれば、


評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです。


次回も、よろしくお願いします。

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