心の温度、旋律の行方
窓の外から差し込む朝日が、重い瞼を容赦なく叩く。
「……ん」
机に突っ伏したまま眠ってしまった颯太は、首の痛みに顔をしかめながら体を起こした。
ディスプレイには、昨夜完成させたばかりの楽曲が、整然とした波形を並べている。
「……できたんだな」
不思議な実感が、じわりと胸に広がる。
早く、聴いてほしい。
朝の準備に追われる中でも、その焦燥だけははっきりと自覚できた。
颯太は莉奈に音源データを送り、短いメッセージを添える。
『朝の忙しい時にすみません。新曲、できました。聴ける時に聴いてください』
送信ボタンを押した瞬間、張り詰めていた何かが、ほんの少しだけ緩んだ気がした。
昼休み。
朝は莉奈にメッセージを送る内容を考えていたせいで家を出るのが遅れ、コンビニによる時間がなかった。
腹の虫に急かされるように購買へ向かっていた颯太は、廊下で聞き覚えのある明るい声に呼び止められる。
「あ、二宮くん!」
振り向くと、昨日と同じ巾着袋を抱えたいろはが立っていた。
「……佐藤さん?」
「今日も、これ。……その、昨日の続きっていうか」
「え、今日も? いや、悪いって。昨日ので十分だって……」
周囲の視線が集まっているのを感じ、颯太は言葉を濁す。
しかし――
「いいから! ほら、隼人くんも教室にいるんでしょ?行こ!」
有無を言わせぬ勢いで腕を引かれ、颯太はそのまま教室へ連行された。
案の定、隼人がニヤニヤしながら迎える。
「おー、来た来た。いろはも一緒か。颯太も隅に置けねえな」
「……うるさい」
机を寄せて三人で弁当を広げると、クラスメイトたちの視線が一斉に集まった。
「あの二人、付き合ってるのか?」
そんな囁きが、湿気を帯びた空気のように耳にまとわりつく。
(早く食べて、出よう……)
いろはが期待の眼差しでこちらを見つめている。
クラスメイトたちの「やっぱりあの二人……」という視線を背中に浴びながら、颯太はなんとか平穏を装って弁当の半分ほど食べ進めた。
ポケットの中で、スマホが短く二度、震えた。
画面を確認し、颯太は息を呑む。
『今、聴き終えました。……この曲なら、私、歌えます。』
昼休みのこの時間に、誰にも邪魔されずに音源を聴ける場所。
莉奈が静寂を求めて向かう場所を、颯太は直感的に確信していた。
「……悪い、ちょっと用事思い出した」
「えっ、まだ唐揚げ残ってるよ!?」
「後で食べるから!」
制止を振り切り、颯太は教室を飛び出す。
階段を駆け上がり、屋上の入口で一度息を整えてから、ゆっくりと重い扉を押し開けた。
屋上のフェンスに背を預け、イヤホンを耳にした莉奈がいた。
風に揺れる髪が、彼女の横顔を柔らかく隠している。
「……桜庭先輩」
「……颯太くん。どうしたの?」
「なんとなく。ここにいる気がして」
息を整えながらそう答えると、莉奈は一瞬だけ目を見開き、それから静かにイヤホンを外した。
「曲、聴いたよ。……すごかった」
言葉を選ぶように、一拍置いてから続ける。
「ステラがやってきたこと……全部、詰まってた。この曲なら、私、歌える」
その一言で、胸の奥に溜まっていた不安が一気にほどけた。
「……よかった」
気づけば、颯太は笑っていた。
無防備で、子供のように純粋な笑顔。
「っ……」
莉奈が、息を吞む音が聞こえた気がした。
莉奈は弾かれたように目を逸らすと、熱を帯びた頬を隠すように俯き、フェンスを握る手にぐっと力を込める。
不自然に沈黙した莉奈の様子に、颯太の心臓も不意にトクン、と大きな音を立てた。
彼女の白い耳たぶが、ほんのりと赤く染まっているのが見える。
(……え、なんだ。今の……)
急に意識してしまった空気の熱さに、颯太はたまらなく居心地が悪くなった。
喉の奥が熱くなり、視線をどこに置いていいか分からなくなる。
颯太は逃げるように、わざとらしく一つ咳払いをした。
「……あ、そ、それで、仕上げの話なんですけど」
照れを振り払うように、颯太が話題を切り替える。
「ミックスとかマスタリングは、ステラステップの時と同じように、桜庭先輩の方でお願いしてもいいですか?」
「うん、わかった。」
颯太はミックス作業ができないわけではない。
だが、それはあくまで作曲の延長線上にあるもので、音を極限まで磨き上げる専門職の領域とは違うと理解している。
「本当は、全部自分の手でやりたい気持ちもあるけど……。家じゃ歌録りの環境が整わないし、何より、ステラを支えてるプロの人……SNSで依頼してるエンジニアの人に任せたほうが、音の仕上がりが絶対にいいから。俺が中途半端にやるより、餅は餅屋に任せるのが一番だと思うので」
ステラというアーティストを最高の状態で世に出す。その一点において、颯太の判断に迷いはなかった。
「……そっか。颯太くんらしいね。前にお願いした人に、また頼んでみる。歌はいつも通り、自分で録るから」
莉奈は納得したように頷いた。
「MV制作の依頼も出さなきゃいけないし……公開は、夏休みに入るか入らないかぐらいの時期になるかな」
「楽しみにしてる」
「……うん。私も、楽しみ。颯太くんが書いてくれたこの曲、大切に届けるね」
予鈴が鳴り、二人は言葉少なに屋上を後にした。
屋上を後にした颯太は、浮き立つ心を落ち着かせながら教室へと戻った。
だが、席に着くや否や、隣の席の隼人が呆れたような顔でジロリとこちらを見てきた。
「……おかえり。ずいぶん長い『急用』だったな」
颯太の机の上は、すっかり片付けられていた。
いろはの姿も、あの巾着袋も、もうそこにはない。
「悪い。……あ、佐藤さんは?」
予鈴も鳴っているし、彼女の教室は別の階だ。
わかっているはずなのに、つい口を突いて出た。
「さっき戻っていったよ。……お前があんな勢いで飛び出していったからさ、いろは、めちゃくちゃショック受けてたぞ」
「え……」
「『そんなに口に合わなかったのかな』って、半泣きで心配してた。俺が慌ててフォローしといたけど、あれは少し可哀想だったな」
隼人の言葉が、冷や水を浴びせられたように颯太の胸に刺さった。
莉奈から連絡が来た嬉しさのあまり、目の前で一生懸命に弁当を作ってくれたいろはの気持ちを、二の次にしてしまった。
「……悪いこと、したな」
次会った時、ちゃんと謝ろう。
そう思いながら、颯太は申し訳なさと、自分の至らなさへの反省で、少しだけ肩を落とした。
放課後のバイト中、颯太の足取りは自然と軽くなっていた。
「颯太くん、今日なんかいいことあった?」
店長である恵子にそう言われ、慌てて否定したものの、口元の緩みは隠せない。
帰宅後も、興奮は冷めなかった。
自分の動画は、簡素な構成で済ませることが多い。
だが、ステラの新曲は違う。一流のイラスト、一流の映像、そして一流の仕上げ。
(どんな景色になるんだろうな)
まだ見ぬ完成形を思い描きながら、颯太は穏やかな高揚感に包まれ、深い眠りへと落ちていった。
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