表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

17/58

音が交わる場所

湿り気を帯びた夜風がカーテンを揺らし、部屋の中に六月の終わり特有の重い空気を運んでくる。


モニターの光だけが、壁に長い影を落としていた。

颯太はヘッドホンを首にかけ、画面上の音の波形を見つめる。


最近の日常は、以前とは比べ物にならないほど忙しくなっていた。

週に数回、放課後に第二音楽室へ顔を出しては、いろはたちに作曲を教える。

それ以外の日はバイトを入れ、そして深夜、こうしてステラのための新曲と向き合う。


「……あともう少しだ」


ステラという一人の女の子が、配信を通して作り上げてきた世界。

その純粋な輝きを形にするためのパズル。

その最後のピースが、ようやく見えかけていた。


あともう一押し。

何かが足りない。


その答えを探るように鍵盤に指を置いたが、連日の疲れからか不意に強烈な睡魔が襲い、颯太はそのまま机に突っ伏した。


そんなある日の昼休みだった。


「二宮くん、ちょっといいかな!」


教室の入り口から響いた元気な声に、颯太は肩を跳ねさせた。

見れば、そこには可愛らしい巾着袋を下げたいろはが立っていた。

クラス中の視線が、一斉に颯太へと突き刺さる。


「……佐藤さん? どうしたの、わざわざ」


「これ! こないだのお礼。……その、口に合うかわかんないけど、お弁当作ってきたの」


「えっ」


差し出されたのは、ずっしりと重みのある弁当箱だった。


驚きで固まっていると、後ろから隼人が「お、なんだなんだ? 愛妻弁当か?」とニヤニヤしながら現れる。

慌てて二人を連れて外へ出し、人気のない中庭のベンチへと移動した。


「……あの、佐藤さん。お礼なんていらないし、お礼するにしても、購買のパンとかでよかったのに。なんでわざわざ、お弁当?」

ベンチに座っても、颯太はまだ受け取った弁当箱を膝の上に乗せたまま、困惑していた。


「え? あー……。だって、パン一個じゃお礼にならないっていうか。二宮くん、あんなに熱心に教えてくれたでしょ? 私にできることって言ったらこれくらいしか思いつかなくて……」


いろはは少し視線を泳がせ、人差し指で頬をかいた。


「それに、なんか、ちゃんと食べてるか心配になっちゃって。あんまり自分のこと構わなそうじゃん? だから、せめてお礼の時くらい、ちゃんとしたもの食べてほしいなー、なんて……。変かな、やっぱり迷惑だった?」


「あ、いや……そんなことは。ただ、大変だったろ、これ作るの。佐藤さんだって忙しいだろうに」


不安げに覗き込んでくるいろはに、颯太はたじろいだ。


「全然! 料理、嫌いじゃないし。……いいから、食べてみてよ。自信作なんだから」

いろはに促され、颯太はようやく包みを解いた。

蓋を開けると、卵焼きや唐揚げといった定番のほかに、彩り豊かな野菜が並んでいた。


「……すごいな。彩りまでちゃんとしてる」


一口食べると、出汁の効いた優しい味が広がる。


「……おいしい」


「本当!? よかったぁ」


いろはが心底ホッとしたように笑う。

その笑顔に、颯太は少しだけ胸が疼くのを感じた。


「そういえばさ、二宮くん。どうして作曲なんて始めたの? ピアノもあんなに上手いのに」


いろはの純粋な問いに、颯太は箸を止めた。

少し迷ったあと、ポツリポツリと、今まで誰にも話さなかったことを話し始めた。


「……中一の時、親父が病気で死んで。それを機に、母さんの実家があるこっちに引っ越してきたんだ。友達もいなくて、ずっと一人でさ。そんな時に、たまたま動画サイトで見たんだ。誰かが家で作った、歌声合成ソフトの曲を」


「歌声合成ソフト……可愛いキャラクターに歌わせるやつだよね?」


「そう。一人でも、こんなにかっこいい音楽が作れるんだって驚いた。……最初は全然ダメだったけど、独学でコツを掴んでいくうちに、気づいたら抜け出せなくなってたんだ」


話している間、いろははずっと真剣な目つきで颯太を見つめていた。

普段の明るい彼女とは違う、どこか切なげで、包み込むような眼差し。


「……そっか。二宮くんが優しいのは、そういうことがあったからなんだね」


「え? ……俺、別に優しくなんてないけど」


「ううん、優しいよ。作曲の教え方もそうだし、今の話し方だって。……なんだろ、人の痛みがわかる人の話し方っていうか」


「……考えすぎだよ、佐藤さん」


颯太は照れ隠しに目を逸らしたが、真っ直ぐに向けられた彼女の言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。


「あ、ごめん! ちょっとしんみりしちゃったね。……で、曲とかアップしてないの?」


慌てて誤魔化そうとするいろはの横で、それまで黙って卵焼きを奪っていた隼人が、ニヤリと笑った。


「してるぜ。なんならこいつ、最近すごい実績作ったんだ」


「ちょっと、隼人……!」


「いいだろ別に。――いろは、お前も知ってるだろ。登録者数10万人を超えるVtuberのステラに、こいつ楽曲提供したんだぜ」


「…………えっ?」


いろはが固まった。 手に持っていた箸が、カチリと音を立てる。


「え、うそ……あの曲、二宮くんが作ったの!? 私、初めて聴いた時、鳥肌立って……今も毎日聴いてるよ!」


「……声が大きいって」


颯太は顔を伏せ、隼人を睨みつけた。

莉奈がステラだということは颯太と莉奈だけの秘密だ。

けれど、自分が「あの曲」の作者だと知られるのは、やはり気恥ずかしい。


「他のみんなには内緒にしてくれよ。目立ちたくないんだ」


「わ、わかってる! 絶対言わない。……でも、すごい。本当に、すごいよ二宮くん」


いろはの瞳が、これまでにない熱を持って颯太を射抜く。

尊敬。驚き。そして、それ以上の何かが混じった視線。

隼人はそれを見て、「まあ、そういうことだ」と満足げに頷いていた。


その日の放課後。

軽音部の活動も、バイトも、たまたま休みだった。


颯太は真っ直ぐ家に帰り、カバンを置くのももどかしくパソコンの電源を入れた。


いろはに掛けられた言葉が、脳裏を回っている。 『二宮くんは優しい』 『あんなにすごい曲を書くなんて』


颯太が作る音が、誰かに届いている。

その実感が、今までになく指先に力を与えてくれた。


ヘッドホンを装着し、最後の旋律を打ち込む。

図書室の夕暮れ。

莉奈の控えめな微笑み。ステラとしての覚悟。


すべての感情を、一音のズレもなく配置していく。


深夜二時。 最後の一音の余韻が消えたとき、颯太は大きく息を吐き、マウスから手を離した。


「……完成だ」


ステラへの、二曲目の提供曲。

それは、ステラが歩んできた道を肯定し、その声をさらに遠くへ届けるための、澄み渡るほどに力強い旋律だった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


少しでも心に残るものがあれば、


評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです。


次回も、よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ