音が交わる場所
湿り気を帯びた夜風がカーテンを揺らし、部屋の中に六月の終わり特有の重い空気を運んでくる。
モニターの光だけが、壁に長い影を落としていた。
颯太はヘッドホンを首にかけ、画面上の音の波形を見つめる。
最近の日常は、以前とは比べ物にならないほど忙しくなっていた。
週に数回、放課後に第二音楽室へ顔を出しては、いろはたちに作曲を教える。
それ以外の日はバイトを入れ、そして深夜、こうしてステラのための新曲と向き合う。
「……あともう少しだ」
ステラという一人の女の子が、配信を通して作り上げてきた世界。
その純粋な輝きを形にするためのパズル。
その最後のピースが、ようやく見えかけていた。
あともう一押し。
何かが足りない。
その答えを探るように鍵盤に指を置いたが、連日の疲れからか不意に強烈な睡魔が襲い、颯太はそのまま机に突っ伏した。
そんなある日の昼休みだった。
「二宮くん、ちょっといいかな!」
教室の入り口から響いた元気な声に、颯太は肩を跳ねさせた。
見れば、そこには可愛らしい巾着袋を下げたいろはが立っていた。
クラス中の視線が、一斉に颯太へと突き刺さる。
「……佐藤さん? どうしたの、わざわざ」
「これ! こないだのお礼。……その、口に合うかわかんないけど、お弁当作ってきたの」
「えっ」
差し出されたのは、ずっしりと重みのある弁当箱だった。
驚きで固まっていると、後ろから隼人が「お、なんだなんだ? 愛妻弁当か?」とニヤニヤしながら現れる。
慌てて二人を連れて外へ出し、人気のない中庭のベンチへと移動した。
「……あの、佐藤さん。お礼なんていらないし、お礼するにしても、購買のパンとかでよかったのに。なんでわざわざ、お弁当?」
ベンチに座っても、颯太はまだ受け取った弁当箱を膝の上に乗せたまま、困惑していた。
「え? あー……。だって、パン一個じゃお礼にならないっていうか。二宮くん、あんなに熱心に教えてくれたでしょ? 私にできることって言ったらこれくらいしか思いつかなくて……」
いろはは少し視線を泳がせ、人差し指で頬をかいた。
「それに、なんか、ちゃんと食べてるか心配になっちゃって。あんまり自分のこと構わなそうじゃん? だから、せめてお礼の時くらい、ちゃんとしたもの食べてほしいなー、なんて……。変かな、やっぱり迷惑だった?」
「あ、いや……そんなことは。ただ、大変だったろ、これ作るの。佐藤さんだって忙しいだろうに」
不安げに覗き込んでくるいろはに、颯太はたじろいだ。
「全然! 料理、嫌いじゃないし。……いいから、食べてみてよ。自信作なんだから」
いろはに促され、颯太はようやく包みを解いた。
蓋を開けると、卵焼きや唐揚げといった定番のほかに、彩り豊かな野菜が並んでいた。
「……すごいな。彩りまでちゃんとしてる」
一口食べると、出汁の効いた優しい味が広がる。
「……おいしい」
「本当!? よかったぁ」
いろはが心底ホッとしたように笑う。
その笑顔に、颯太は少しだけ胸が疼くのを感じた。
「そういえばさ、二宮くん。どうして作曲なんて始めたの? ピアノもあんなに上手いのに」
いろはの純粋な問いに、颯太は箸を止めた。
少し迷ったあと、ポツリポツリと、今まで誰にも話さなかったことを話し始めた。
「……中一の時、親父が病気で死んで。それを機に、母さんの実家があるこっちに引っ越してきたんだ。友達もいなくて、ずっと一人でさ。そんな時に、たまたま動画サイトで見たんだ。誰かが家で作った、歌声合成ソフトの曲を」
「歌声合成ソフト……可愛いキャラクターに歌わせるやつだよね?」
「そう。一人でも、こんなにかっこいい音楽が作れるんだって驚いた。……最初は全然ダメだったけど、独学でコツを掴んでいくうちに、気づいたら抜け出せなくなってたんだ」
話している間、いろははずっと真剣な目つきで颯太を見つめていた。
普段の明るい彼女とは違う、どこか切なげで、包み込むような眼差し。
「……そっか。二宮くんが優しいのは、そういうことがあったからなんだね」
「え? ……俺、別に優しくなんてないけど」
「ううん、優しいよ。作曲の教え方もそうだし、今の話し方だって。……なんだろ、人の痛みがわかる人の話し方っていうか」
「……考えすぎだよ、佐藤さん」
颯太は照れ隠しに目を逸らしたが、真っ直ぐに向けられた彼女の言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。
「あ、ごめん! ちょっとしんみりしちゃったね。……で、曲とかアップしてないの?」
慌てて誤魔化そうとするいろはの横で、それまで黙って卵焼きを奪っていた隼人が、ニヤリと笑った。
「してるぜ。なんならこいつ、最近すごい実績作ったんだ」
「ちょっと、隼人……!」
「いいだろ別に。――いろは、お前も知ってるだろ。登録者数10万人を超えるVtuberのステラに、こいつ楽曲提供したんだぜ」
「…………えっ?」
いろはが固まった。 手に持っていた箸が、カチリと音を立てる。
「え、うそ……あの曲、二宮くんが作ったの!? 私、初めて聴いた時、鳥肌立って……今も毎日聴いてるよ!」
「……声が大きいって」
颯太は顔を伏せ、隼人を睨みつけた。
莉奈がステラだということは颯太と莉奈だけの秘密だ。
けれど、自分が「あの曲」の作者だと知られるのは、やはり気恥ずかしい。
「他のみんなには内緒にしてくれよ。目立ちたくないんだ」
「わ、わかってる! 絶対言わない。……でも、すごい。本当に、すごいよ二宮くん」
いろはの瞳が、これまでにない熱を持って颯太を射抜く。
尊敬。驚き。そして、それ以上の何かが混じった視線。
隼人はそれを見て、「まあ、そういうことだ」と満足げに頷いていた。
その日の放課後。
軽音部の活動も、バイトも、たまたま休みだった。
颯太は真っ直ぐ家に帰り、カバンを置くのももどかしくパソコンの電源を入れた。
いろはに掛けられた言葉が、脳裏を回っている。 『二宮くんは優しい』 『あんなにすごい曲を書くなんて』
颯太が作る音が、誰かに届いている。
その実感が、今までになく指先に力を与えてくれた。
ヘッドホンを装着し、最後の旋律を打ち込む。
図書室の夕暮れ。
莉奈の控えめな微笑み。ステラとしての覚悟。
すべての感情を、一音のズレもなく配置していく。
深夜二時。 最後の一音の余韻が消えたとき、颯太は大きく息を吐き、マウスから手を離した。
「……完成だ」
ステラへの、二曲目の提供曲。
それは、ステラが歩んできた道を肯定し、その声をさらに遠くへ届けるための、澄み渡るほどに力強い旋律だった。
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