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境界線を越えるための理由

図書室の空気は、相変わらず静かだった。


莉奈は颯太のノートを引き寄せ、シャープペンで迷いなく線を引いていく。


「ここで一回、整理しましょう」


図解は無駄がなく、言葉も端的だ。

感覚ではなく、きちんと理屈で説明してくれる。


「この符号、さっきも間違えてましたね」


「……あ」


指摘されて、颯太は小さく息を飲む。

自分でも分かっていた弱点を、彼女は一度も責めずに、淡々と修正していく。


配信で見るステラの凛とした姿とも違う。

学校での「近寄りがたい先輩」とも違う。


今、目の前にいるのは——

驚くほど優しくて、根気強い人だった。


――なんで、この人が孤立しなきゃいけなかったんだ。


その疑問は、いつの間にかただの興味じゃなくなっていた。

もっと知りたい。

できるなら、守りたい。


そんな感情が、胸の奥で静かに形を持ち始める。


チャイムが鳴った。


「……もう、こんな時間ですね」


窓の外は、すっかり暗い。

席を立つ準備をしながら、颯太は焦る。


今日だけで終わらせたくない。

でも、理由がない。


――いや、ある。


勇気をかき集めて、口を開いた。


「……あの。もし、もし迷惑じゃなかったら」


莉奈が顔を上げる。


「また、教えてもらえませんか?」


一瞬、彼女は目を瞬かせた。

胸元のリボンに指を添え、何かを考えるように視線を落とす。


自分のテスト。

配信の予定。

その全部を、頭の中で照らし合わせているような沈黙。


「……配信がお休みの日なら」


ゆっくりと、そう言った。


「私でよければ」


胸の奥が、じんわりと熱くなる。


「ありがとうございます」


言葉が、少しだけ震えた。


「あの……、もしよかったら。……連絡先、交換しませんか?」


その一言を口にするだけで、心拍数が跳ね上がるのが分かった。

莉奈が、不思議そうに首を傾げる。


「連絡先、ですか?」


「あ、いえ……その。予定を合わせたり、……わからないところがあったら、すぐ聞けるように、というか。……やっぱり、迷惑ですよね」


必死に言い訳を並べる自分に嫌気がさす。

けれど、莉奈は困ったように微笑むと、カバンから自分のスマホを取り出した。


「……迷惑じゃないですよ。いいですよ」


彼女の優しい肯定に救われながら、颯太は震える手で自分の画面を差し出す。


図書室の静寂の中、QRコードを読み取る微かな電子音だけが響いた。


登録完了。


画面に表示された名前は——

『莉奈』


『ステラ』じゃない。


その事実が、思っていた以上に重く、嬉しかった。


二人だけの秘密が、デジタルの線で繋がった瞬間だった。


画面を見つめたまま、颯太はふと思い切って口にした。


「……あの、桜庭先輩」


「……はい」


「その……。俺の方が年下ですし、学校ですし。桜庭先輩の敬語、やめてもらえませんか? 逆に緊張しちゃうっていうか……」


莉奈は意外そうに目を丸くしたあと、またリボンの端を指先でなぞった。

少しだけ考え込むように視線を泳がせ、やがて、困ったような、それでいて少しだけ楽しそうな笑みを浮かべる。


「……わかった。じゃあ、そうする。……二宮くん」


初めて聞く、彼女の声による自分の名字。

けれど、その響きに颯太は微かな違和感を覚えた。


クラスの連中や教師が呼ぶのと変わらない、どこか距離のある『二宮くん』。

画面越しに、お互いの魂を削るような音をやり取りしてきた相手にそう呼ばれるのが、ひどく寂しく感じたのだ。


「……あの、できれば」


颯太は、自分でも驚くほど図々しいと思いながら、喉まで出かかった言葉を絞り出した。


「『二宮くん』じゃなくて、『颯太』でいいですよ。その……ネットでも、そう呼んでくれてたわけだし」


言い終えたあと、途端に気恥ずかしさが襲ってきた。

図々しすぎただろうか。

莉奈を困らせてしまっただろうか。


莉奈は、リボンを弄っていた指を止めた。

彼女の耳元が、夕陽のせいか、それとも別の理由か、ほんのりと赤く染まっているのが見える。


「……、……わかった。……わかった、颯太くん」


はにかむように、けれどもしっかりと自分を呼んだ声。

その響きは、配信をしている時の『ステラ』とは違う、等身大の『桜庭莉奈』としての温もりを帯びていた。


それからの日々は、あっという間に過ぎていった。


バイトを休み、放課後は図書室へ。

いつもの席で、週に一、二回。


颯太は必死に勉強する。

莉奈はそれに付き合いながら、自分の勉強も進めている。

そして夜には配信。


それを知っているからこそ、胸がざわついた。


――負担になってないだろうか。


けれど、莉奈は何も言わない。

ただ、変わらない調子で教えてくれる。


テスト初日の朝。


教室の席に着く直前、スマホが震えた。


『がんばって。符号、気をつけてね』


短いメッセージ。


でも、確かに自分を見てくれている言葉だった。


颯太は深く息を吸い、前を向く。


――越えてしまったのかもしれない。


でも、この境界線を越える理由なら、もう十分すぎるほど持っていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


少しでも心に残るものがあれば、


評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです。


次回も、よろしくお願いします。

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