灰色の朝と、自問自答
朝の光が、無遠慮にカーテンの隙間から差し込んでいた。
颯太は何もできないまま、ベッドに腰掛けてスマホを握っている。
画面に表示されているのは、さっき読んだばかりのステラからのメッセージ。
何度も読み返していた。
文字の並びは、もう暗記するほどなのに、指が勝手にスクロールしてしまう。
読み返すたびに、胸の奥がじくりと鈍く痛んだ。
机の上では、パソコンのモニターが静かに光っている。
完成したばかりの曲――「ふたつのココロ」。
整えられた波形が、整然と並んでいる。
それはまるで、
「これが正解だろう?」
と、無言で問いかけてくるようだった。
……違う。
颯太は、ようやく気づいていた。
ステラが言った「怖い」という言葉。
あれは、音楽の出来がどうこうという話じゃない。
颯太は、彼女らしい一曲を作ったつもりだった。
でも実際にやっていたのは――
莉奈が必死に守ってきた「ステラ」という仮面を、力ずくで剥ぎ取ろうとすることだった。
現実を忘れるための場所。
逃げ込むために作った、たった一つの居場所。
そこに、
「君はこうなんだろう?」
「本当はこういう人間だろう?」
と、土足で踏み込んだ。
莉奈=ステラ。
その事実を知っただけで、全部分かった気になっていた。
名前。
声。
学校での姿。
それらは、ただの情報にすぎなかったのに。
彼女が、何を怖れていて。
何を守りたくて。
どんな気持ちで歌っているのか。
一度も、ちゃんと聞こうとしなかった。
颯太は、彼女の心を見ていなかった。
見ていたのは、「理解しているつもりの自分」だけだった。
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
登校の時間になっても、身体は鉛のように重かった。
街の音が、やけにうるさい。
電車の走行音も、誰かの話し声も、すべてが耳に刺さる。
イヤホンをつける気にもなれなかった。
音楽を流せば、きっと今は拒絶してしまう。
教室に入ると、隼人がすぐにこちらに気づいた。
「……なぁ、颯太」
いつもより少し、声が低い。
「ちょっと相談したいことがあるんだけど……」
振り返った隼人の顔は、珍しく真剣だった。普段なら、何でもない顔をして話を聞いていたはずなのに。
今の颯太には、その余裕がなかった。
視界が、にじむ。
言葉が、頭の中でまとまらない。
隼人は一瞬、何か言いかけて――
颯太の顔を見て、口を閉じた。
「……いや、やっぱいいや」
「また今度にするわ」
軽く笑ってそう言うと、席に戻っていった。
背中を見送りながら、胸が少しだけ痛んだ。
親友の声すら、受け止められない自分が情けない。
廊下に出るたび、無意識に視線が泳ぐ。
階段の踊り場。
自販機の前。
中庭。
けれど、今日はどこにも莉奈はいなかった。
メッセージは、いまだ返すことが出来ていなかった。
謝ることもできず。
話すこともできず。
ただ時間だけが、無為に流れていく。
夜。
食卓に並んだ夕飯に、ほとんど手をつけられずにいると、母親が箸を止めた。
「……颯太、どうしたの?」
「今日、元気ないわね」
少し迷ってから、颯太はぽつりと口を開いた。
「……母さんは相手のためだと思ってやったことが、逆に、傷つけちゃったこと……ある?」
顔は上げられない。
相手の名前も、状況も言えない。
「俺、何も分かってなかったんだと思う」
母親は、すぐには答えなかった。
自分の過去を懐かしむように少し目を細めてから、静かに言った。
「あるよ、何度もね…」
その言葉に、颯太は驚いて顔を上げた。
「でもね……分かってなかったってことに、気づけたなら、それが、本当のスタートじゃない?」
母親は、いつもの穏やかな表情で続けた。
「相手を理解するってね、情報を集めることじゃないのよ。
その人が、何を大切にしてるのか。一緒に探しに行くこと」
その言葉が、胸の奥にすっと染み込んでいく。
自分は、知っているつもりだった。
でも、本当は――
何一つ、知らなかった。
それでも。
知らないと、気づけた。
なら、もう一度。
今度は、踏み込むんじゃなく、隣に立つために。
自室に戻り、颯太はパソコンの電源を入れた。
「ふたつのココロ」のプロジェクトを開き、しばらく画面を見つめる。
削除はしなかった。
フォルダを一つ作り、そこに移す。
――いつか、この曲が歌えるくらい。
――君を、ちゃんと理解できたら。
震える指で、スマホを手に取る。
ステラのアカウント。
返信画面。
ゆっくりと、文字を打った。
自分の独善的な音楽で、彼女の大切な場所を壊そうとしたこと。
彼女を「分かったつもり」で見ていたこと。
本当は、何も知らなかったこと。
そして。
『本当に、ごめんなさい。 ステラさんの居場所を壊そうとした俺には、もう曲を書く資格なんてないのかもしれません。
だけど、どうしても諦めきれないんです。 ステラさんの歌う理由を、守りたいものを、何一つ聞かないまま終わりたくないです。
ステラさんが大切にしている世界を、俺も一緒に見たいです。 ちゃんと、知りたいです。
お願いします。一度、直接会って、打ち合わせをさせてください。 納得してもらえるまで、何度でも書き直します』
送信ボタンを押し、深く息を吐いた。
もう、正解なんて分からない。
それでも、知らない君を知るために、踏み出した。
颯太は窓を開け、夜空を見上げる。
画面の向こうの彼女に、
この想いが、届くことを祈りながら。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
少しでも心に残るものがあれば、
評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです。
次回も、よろしくお願いします。




