イヤホンが外れた日
ガタン、ゴトン―――
電車の車窓を流れゆく景色を速水高校2年生の二宮颯太はぼんやりと眺めていた。
夕暮れ時の空はオレンジ色に染まり、線路沿いの家々や、桜が舞い散る街路樹が淡く揺れる。
電車の中には、仕事帰りのサラリーマン、制服姿の学生、手をつないだ親子――さまざまな顔があった。それぞれの生活が、この一瞬に交錯している。
電車が次の駅に滑り込むと、何人かの乗客が降り、ホームで待っていた乗客が次々乗り込んでくる。空いている席に座る人、吊革を握る人。ドア付近で立ち止まる人。みんなそれぞれに散らばった。
走り出す電車の音とともに、どこからか聞き覚えのある音楽が聞こえてきた。
最初は気のせいだと思った。
夕方の車内はいつも騒がしく、誰かのスマホから音が漏れても珍しくない。
だが次の瞬間、颯太の心がざわついた。フレーズを耳にした瞬間、心臓の鼓動が速まる。昨日まで何度も聴いていた、公開前のはずの颯太が作った曲だった。
視線を向けると、数メートル先に自分と同じ学校の制服を着た女の子--桜庭莉奈--が向かいの席に座っていた。同じ制服だが、颯太には見覚えがなかった。
長い髪が揺れ、イヤホンは耳にかかっているが、ケーブルは宙に浮き、音が車内に溶けている。
「ありえない」――颯太は心の中でそうつぶやいた。
この曲を知っているのは、颯太と、楽曲を渡したVtuber「ステラ」だけのはずだ。
莉奈の目がちらりとこちらを向く。
視線が合った瞬間、胸が小さく跳ねた。
ほんの一瞬、それだけなのに、まるで時間が止まったように感じた。
スマホから直接流れる音楽と、車内のざわめきの中で、一人のOLが彼女に声をかける。
「イヤホン外れてますよ」
莉奈は顔を赤らめ、イヤホンが抜けていることに気づき、音楽を止め、すみません、と小さく謝った。
颯太が莉奈の方を見ていると、莉奈と目があってしまった。お互いに慌てて視線をそらす。
鳴りやまない鼓動を抑えながら、颯太はポケットからスマホを取り出し、Vtuber「ステラ」のSNSを開く。
今日が初のオリジナル曲の公開日--まだ19:00より前で、投稿されていないはずだった。配信ページを見ても、当然まだ公開されていない。
データのやり取りなどはすべてネット上で行われており、顔も本名も知らない。
もしかすると、彼女がステラなのではないか――その予感が颯太の頭をよぎる。
次の駅に到着すると、莉奈はすっと電車から降りていく。
背中を見送ると、列車の揺れに紛れ、あっという間に視界から消えた。
胸にぽっかり穴が空いたような感覚――あの曲の正体を知っているのは、彼女だけだ。
普段なら、こんなことで心を乱すはずもない。
しかし目の前にいた莉奈が、自分の作った曲を無意識に聴いていると思うと、鼓動が早まり、手のひらがじんわり熱くなる。
もし莉奈がステラなのであれば、お礼を言いたい。
今までいくつもの曲を作り、動画サイトに投稿したが、反響もなければ再生数も数百程度。
しかしステラは颯太の作った曲を気に入ってオリジナル曲を作ってほしいと依頼してきた。
依頼料の話があったが、颯太は頑なに断っていた。自信がないからだ。
颯太は無償で作ることを条件に依頼を受けることにした。
ステラは最近登録者10万人を超えた人気Vtuberだ。
そんな彼女からの依頼で本当に本物なのかと半信半疑だったが、本人の認証がされているSNSアカウントからのメッセージだったので、本物だと信じ、指定された条件を組み込み、ステラのこれまでの活動を振り返るような歌詞を入れた。
納期に仮歌を入れたデモ曲とインストのデータを送っていた。
リテイクなどもなく、投稿予定日の連絡とお礼のメッセージのやり取りを最後に、それきりだった。
耳元で漏れた音楽のフレーズが、頭の中で反響して離れない。
周囲の景色も音も一瞬霞み、目の前にいた莉奈の姿だけが鮮明に浮かぶ。
肩の緊張やイヤホンの線の跳ね、長い髪の揺れ――
その一つひとつが、無意識のうちに記憶に刻まれる。
列車が加速する。窓の外の街並みは流れ、音は車内に溶けていく。
それでも、あの瞬間の莉奈の存在は頭から離れなかった。
「また会えるかもしれない」 ――その期待と不安が、胸を静かに締め付ける。
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家に帰ると、颯太は靴を脱ぎ、すぐに自室に入り、パソコンを起動させた。
部屋着に着替え、机に向かう。
今日が新曲公開日――自分が楽曲提供したVtuber「ステラ」の投稿がある日だ。
時刻は18:45。19:00ちょうどに動画サイトで楽曲が公開される予定だ。
時計の秒針の音が静かな部屋に響く。
颯太は軽く手を握りしめ、画面の前で息を整える。
今日電車での出来事の疑問が頭をよぎるが、何より初めて依頼されてステラのために制作した楽曲が公開されるのだ。
最終的な仕上げはステラ側で行っている。
どんな楽曲に仕上がってるのか、反響はどうなのか――期待と不安でいっぱいだった。
19:00--スマホにSNSの通知が届いた。
それは楽曲が投稿された合図だった。
颯太が提供したオリジナル曲--「ステラステップ」。
明るく弾むリズムに、ところどころに切なさが差し込む旋律。
MVはアニメーションで作られていて、画面に映るのはステラのこれまでの活動を象徴するような光景が映し出されていた。
桜色の花びらが舞うステージ、輝くライトの中で笑顔を振りまくステラ。
過去の配信シーンの再現――懐かしい画面や手元の動きが、まるで時間をさかのぼるかのように流れる。
小さな躓きや悔しさも、画面に光のように残り、しかし今は希望に変わっている。
颯太は椅子に座ったまま、目を逸らせない。
耳に馴染んだ音楽と、画面のアニメーションが重なり合う。
過去の配信の思い出を次々に辿っていく。最初は小さな配信、少ない視聴者、コメント欄も静かだった。それでも諦めずに続けてきた軌跡が、MVを通して颯太の目に映る。
花びらの間から差し込む夕日の光は、彼女の努力と希望を象徴しているようで、胸の奥にじんわりと温かさと切なさが広がった。
コメント欄にはファンたちの声が溢れていた。
「めっちゃいい曲!」
「オリ曲待ってました!」
「感動した!」
いろいろなコメントが飛び交い、ステラだけではなく、曲もかなりの反響だった。
初めて曲を褒めてくれた。認められた気がして、こみ上げるものがあった。
曲が終わり余韻に浸り、そしてまた再生する。何度も繰り返していた。
でもこれはステラが歌ってくれたから、ここまで反響があるのだ。嬉しいという気持ちの反対にステラがいなければこんなにたくさんの人に聞いてもらえなかった。そう思った颯太は素直に喜べなかった。
そして電車で見かけたあの莉奈のことが、自然と頭に浮かぶ。
リビングから、母親の声が聞こえる。
「颯太、夕飯できたよー」
部屋に閉じこもって気づかなかったが、いつの間にかに帰ってきていた母親の声を合図にリビングへと向かった。
仕事帰りの疲れを感じさせず、笑顔で食卓に料理を並べていた。肉じゃがと味噌汁、ほかほかのご飯。香りが部屋いっぱいに広がる。
颯太は小さく返事をして席につく。母親と二人きりの食卓は、なんとなく落ち着く。だが、頭の中ではまだ、ステラの楽曲のこと、電車で見かけたステラと思われる莉奈の存在が気になっていた。
「体調でもよくないの?」
母親の問いかけに、颯太は軽く答える。
「そ、そんなことないよ」
母親の気遣いを下手にごまかして、別の話題をだし、食事に集中した。
食事を終えると、颯太は皿を片付け、風呂の準備をする。お風呂に浸かりながら、自分の心臓の鼓動を確かめる。MVを見たときの感動と電車で目が合ったあの瞬間の感覚が、鮮明に蘇る。
そして21:00から始まる「ステラ」の配信のことを考える。まだ配信は始まっていない。今日は雑談配信とSNSで発言していたので、間違いなく初のオリジナル曲の話題がメインとなるだろう。
風呂から上がり、部屋着に着替える。湯上りの肌が温かく、春の夜風がカーテンを揺らす。
時計は20:50を過ぎていた。颯太はパソコンの前に座り、配信ページを開き、準備をする。
21:00、ちょうどに配信が始まった。
画面に映るのはいつものステラだ。
だが声を聴いた瞬間、胸がざわつく。わずかに甲高く、でも柔らかい――電車で莉奈が小さく言った「すみません」と似ている。
「…あの子…なのか」
小さく呟く。手がわずかに震える。
声色が、偶然ではない確信に近づいていく。しかし本人に確認しない限り、確定とはならない。
声の印象――あの電車で聴いた声に似ている――が偶然ではないと、理屈では説明できない感覚で胸を締めつける。
配信ではやはり先ほど公開したオリジナル曲の話題がメインの雑談配信だった。
コメント欄から曲の感想を拾って、それに感謝を述べたり、MVや曲に込めた思いなどを語っていた。
しばらくしてステラが今日あった出来事について話し始めた。
「ステラステップ」がすごく気に入って電車の中で聞いていたら、イヤホンが外れていてOLにイヤホンが外れてると言われて恥ずかしい思いをした話だった。
一瞬なんのことを言っているのか理解できなかった。
颯太はその話を聞いて、信じられない気持ちになった。それは颯太が見た光景とリンクしている。間違いなく彼女がステラだ。
2時間ほどの配信が終わり、もう一度ステラステップを聴いた。何度聞いても感動した。まだ投稿されて数時間しかたっていないのに再生数は1万を超えている。
曲を聴き終え部屋に静寂が戻った。
椅子に深くもたれ、颯太は深く息をつく。あの電車での一瞬――目が合ったあの瞬間――偶然ではなかったかもしれない。
次に会えるかもしれない期待が、颯太の心をそっと締め付ける。
同じ学校の制服だったから、明日莉奈に会えるかもしれない。でも声をかける勇気があるかどうかは分からない。
そもそも急にステラと確認をすればストーカーと勘違いされてしまうのではないかと思うと、いきなり声をかけるのは得策ではないのかもしれない。
だが確かなのは、あの小さな声と音楽の余韻が、明日への行動を後押ししていることだった
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